牧場経営始めたラグビー元日本代表・トンプソン「激動の1年」 | FRIDAYデジタル

牧場経営始めたラグビー元日本代表・トンプソン「激動の1年」

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牧場でトラクターに乗るトンプソンルーク(本人提供)
牧場でトラクターに乗るトンプソンルーク(本人提供)

ラグビー日本代表として昨秋のワールドカップ日本大会で活躍したトンプソン ルークは、今年1月に現役引退。生まれ育ったニュージーランドへ戻って牧場経営を始めたが、新生活はコロナ禍に巻き込まれて…。東大阪市で13年も住み関西弁を話す人気者はいま、どんな暮らしをしているのだろうか。

日本代表合宿の休み時間に関連書物を読んでいた

お元気でしたか、との問いかけに、画面の向こうの通称トモさんは「ぼちぼちでんな」。転職したての40歳。日々の苦労も慌ただしさも、前向きな言葉で表す。

「ラグビーではたくさん経験があります。だから自信をいっぱい持っていました。でも、いまは全部が新しい。だから、また勉強をして、また頑張りたい。これはいいチャレンジね」

タックル。タックル。またタックル。ラグビーマン時代のトモさんは、専門誌で読者が大会MVPに選ぶ通好みのタフガイだった。

2007年に代表デビューを果たして以来、4年に1度のワールドカップへは4大会連続出場。特に鮮烈な印象を残したのは、2015年のイングランド大会だろう。

それまでの7大会で1勝21敗2分と苦しんでいた日本代表だが、イングランドでは一気に3勝をマークし、この国に21世紀最初のラグビーブームを巻き起こした。トモさんはその一員だった。

過去優勝2回の南アフリカ代表を破り、世界中に「史上最大の番狂わせ」と驚かれた初戦では、接戦で迎えた試合終盤に一緒にスクラムを組む仲間を「歴史を変えるのは誰よ!?」と日本語で奮起。第3戦で大男ぞろいのサモア代表を制した瞬間は、本当の意味で力を出し切ったからかその場で膝から崩れ落ちた。その日の対戦チームの主力選手は、この調子で驚いた。

「うちの選手は途中から彼を警戒し、かなり痛めつけたはずです。それでも彼は立ち上がり続けた」

一時は代表引退も、2019年にはジェイミー・ジョセフヘッドコーチの要請で復帰。日本大会で史上初の8強入りを成し遂げた戦士たちのなかにも、38歳のトモさんがいた。

今回のオンライン取材に応じた日からちょうど1年前の2019年9月28日には、アイルランド代表と激突した。

アイルランド代表は、大会前に世界ランク1位だったニュージーランド代表も倒したことがある。その強豪が擁する大型選手の足元、懐へ突き刺さっていたのが、身長196センチ、体重110キロのトモさんだった。

19-12で制したその日の感触を、かみしめて述懐する。

「まだ、痛いよ。肩とかがね。…1年間は早かったな。信じられへんね。ライフはめちゃ変わりました。けど、ハッピーね」

昨年W杯準々決勝で南アフリカ代表に敗れた試合後。前にも増して、3人の子供との時間を大切にしている(写真:アフロ)
昨年W杯準々決勝で南アフリカ代表に敗れた試合後。前にも増して、3人の子供との時間を大切にしている(写真:アフロ)

引退後の人生は、現役時代からイメージしていた。周りの証言によれば、肉体を酷使する傍ら農業の関連書物も読んでいたそうだ。

イングランド大会までの日本代表は、当時のエディー・ジョーンズヘッドコーチのもと「ハードワーク」を提唱。早朝から1日複数回にわたる練習の合間に「昼寝」の時間が定められるなど、日本出身の参加選手が後に「これで結果が出なかったら…」と漏らすほどの管理体制が敷かれた。

トモさんも、家族の出産を支えるために一時帰宅した際さえスタッフから個人トレーニングのメニューを渡されたもの。農業の勉強をしていたのは、そういう激務の合間のことである。当時の心境を簡潔に表せる点も含め、称賛の対象となった。

「ラグビー選手はいつも外で仕事をする。終わっても、まだ外の仕事が欲しかった。自分のメンタルにとっては、外にいるのが大事ね」

所属していた近鉄でのラストゲームを2020年1月中旬に終えると、2月には生まれ育ったニュージーランドへ戻る。クライストチャーチの市街地から北へ車で30分ほど走り、推定140ヘクタールの土地へたどり着く。その場所を高齢化した現地の「先輩」から引き継いで始めたのは、鹿の飼育だった。

鹿の角から作った漢方薬は、血流の促進を助けたり、痛みを和らげたりする効果が期待される。トモさんも現役晩年は「怪我からのリカバリーが凄い」とその恩恵に授かった。「だから私は、39歳までプレーできた」。自身がスパイクを脱いでからも、多くのアスリートを間接的に応援するわけだ。

毎朝6時に起き、3人いる子どものために飼った3匹の羊の乳を搾る。ちなみに鶏も3羽いるから、卵も買わなくていい。

近所の学校へ子どもたちを送ると、牧場の仕事が始まる。時に「先代」の指示を仰ぎながら、数百頭もの鹿の世話をする。一定の場所で草を食べさせたり、別な場所に移動させたりして、バランスの取れた栄養補給と運動習慣を保つ。夕方、学校へ子どもを迎えに行ってからは、5人家族の時間を楽しむ。

秋は「収穫」のシーズンだ。9月頃からは日々「2センチずつ」も伸びるという角を「(変化が始まってから)50日後くらい」にカット。患部の周りには「痛いの(を防ぐ)薬」を施す。ラグビー選手が手術前に麻酔を打つのと、そう変わらないねと笑う。

トモさんが牧場経営で大きな収入が得られるのは、角を漢方にするこのタイミングだけのようだ。

妻のネリッサさんは教師の仕事、トモさん自身は近鉄ライナーズのアドバイザー業務を副収入とするが、選手時代と異なる条件下なのは確か。それでもアスリート時代に培った精神で、日々の暮らしを紡ぐ。

「(牧場経営とラグビーでは)テクニックは絶対に違うし、鹿にタックルするのは無理だけど、できるだけ何でもやってベストを尽くしたい。毎日レベルアップしたい。そのメンタルは、ラグビーみたい」

昨年、金星をあげたアイルランド戦。相手の屈強なFWが強力なモールを形成した時、トンプソン(左から2人目)は防波堤のように最前線で奮闘した(写真:アフロ)
昨年、金星をあげたアイルランド戦。相手の屈強なFWが強力なモールを形成した時、トンプソン(左から2人目)は防波堤のように最前線で奮闘した(写真:アフロ)

新生活を始めて間もなく、新型コロナウイルスの感染拡大に直面した。ニュージーランドでは3月中旬から約2か月の都市封鎖政策があり、トモさんも自宅に籠った。

せっかく新しいことを始めたばかりなのに、予期せぬトラブルで足止めされた格好。へこたれそうなところである。

ところがどうだ。

選手時代から打たれ強かったこの人は、置かれた状況を全力で楽しむことをいまでも止めない。

「街に住んでいる皆さんはちょっとかわいそうだったけど、私たちの家族は全然、問題ない。(自宅の区域内にあたる)牧場は広いから、遊びのスペースはいっぱいある。外へ行く、山へ行く、子どもが外で遊ぶのも全部、大丈夫だった。前は(ワールドカップや事前合宿などで)1年くらい家族から離れていたけど、ロックダウンの間はずーっと家族と一緒だった」

コロナ禍との向き合い方についてさらに聞かれれば、「これ、大事な質問。通訳、してくれますか?」と英語で述べる。

「他国と同様に、ニュージーランドもコロナの影響を受けています。それは特に観光、輸出関係で大きいのではないでしょうか。そんななか僕は、自分でコントロールできること、できないことがあると思っている。いまは日本に行きたくても国境が閉ざされていて行けないこと、輸出の需要が下火になっていることなど、コントロールのできない問題が起きています。でも、家族を大事にする、経営する牧場を大事にするという、自分がコントロールできることでベストを尽くしています。ストレスがたまる時期ではあるけど、頑張っています。ラグビーで学んだ、毎日ステップアップするということを実践しています」

前向きな語り口で聞き手を勇気づけたり、安心させたりするトモさんの背景には、回り道も多かった競技生活がじわりと浮かび上がる。

学生時代に地域代表選手権のカンタベリー州代表へ選ばれるも、そこにはブラッド・ソーン、ルーベン・ソーンら、ラグビー王国のニュージーランドで代表になる強力なライバルがずらり。トモさんが2004年に来日したのは、母国で得られぬ出場機会を確保するためだった。

試練は続く。最初に入った三洋電機では、国内リーグの外国人枠との兼ね合いなどもありわずか2年間で退部。2010年に日本国籍を取得して「むっちゃ楽しみ」「信じられへん」と関西弁を話す人気者となったのは、東大阪市で活動する近鉄が失業危機に陥るトモさんへ機会を与え、トモさん自身がその期待に応えるべく身体を張り続けたからだ。

ひたすら頑張れる意味では常人離れしているトモさんだが、理想と現実のはざまに揺れる意味では多くの現代人と似通ってもいる。

とにかく、自分自身が前向きにピンチを乗り越えてきた分だけ、前向きな言葉にも説得力をにじませられるのだ。

「僕は特別の選手じゃない。努力の選手ね」

あの日のアイルランド代表戦で酷使した肩の傷みがまだ残ると話すほど、あっという間に過ぎた1年。生きるステージが変わっても、大切な人のために汗をかき続ける生き方はずっと変わらないだろう。

鹿の様子を観察する(本人提供)
鹿の様子を観察する(本人提供)
最近のトンプソンさん一家(提供:ニュージーランド政府観光局)
最近のトンプソンさん一家(提供:ニュージーランド政府観光局)
  • 取材・文向風見也

    スポーツライター 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

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