バスケ女子日本代表 大﨑佑圭「五輪延期でユニフォーム脱ぐ決意」
【短期集中連載】長すぎた1年/運命の3月24日 東京五輪延期でユニフォームを脱ぐ決意をした日本代表選手たちの本音
東京五輪まで、およそ半年。それなら駆け抜けられると思った。
「長い目で見られたらブランクの影響が出てしまうけど、短期間の勝負なら、ハッタリで代表に滑り込めるかなって。ゴールまで半年というところが自分の気持ちと境遇にうまくはまった」
元バスケットボール女子日本代表の大﨑佑圭(ゆか)(30)はそう振り返る。185㎝の長身を活(い)かし、ゴール下の要(かなめ)として活躍。彫りの深い顔立ち、金髪のショートヘアは、まるで宝塚のトップスターを思わせる。
大﨑は2度、「引退」した。最初は’18年5月、妊娠したのを機にほぼ引退状態になった。
「引退の言葉は使いませんでしたが、このまま引退になると思っていました」
大﨑はそもそも26歳で迎えた’16年のリオ五輪を競技生活の集大成にするつもりでいた。
「私は結婚もしたいし、子供も欲しいと思っていました。なので、もしリオを逃(のが)したら東京までがんばらなくっちゃいけないのかなというプレッシャーがすごくて。もう30ですからね。それだけは避けたかったのでリオにかけていた」
その願いは叶えられた。’16年、アテネ五輪以来、3大会ぶりに五輪に出場し、ベスト8の好成績を収めた。大﨑はその年の暮れに入籍。翌’17年はアジア選手権3連覇、’18年には所属のJX−ENEOSでWリーグ10連覇も達成する。現役生活に思い残すことは何もなかった。
ただ、チームが貴重な大型フォワードを簡単に手放すはずもなかった。両者の思いは永遠に平行線を辿(たど)るかに思われたが、大﨑が妊娠したことで「一時休養」という折衷案が生まれた。
「こんな言い方をしたら何ですけど、子供に助けられた部分はあります。あのままバスケから離れられなかったらと想像すると、鳥肌が立つくらいの感覚になりますね」
そんな大﨑が復帰を考え始めたのは昨年秋のことだ。
「その頃、オリンピックのチケット抽選の話題もあって、周囲が東京五輪のことで盛り上がっていた。そうしたら、知人や身内から復帰を期待する声が上がり始めて。何もせずに見送ったら一生言われるんだろうなと。チャレンジしてダメなら、みんなも納得して東京五輪を迎えられると思ったんです」
周囲に背中を押され、昨年11月、大﨑は女子日本代表のヘッドコーチ、トム・ホーバスに復帰の相談をした。復帰を待望していたホーバスだったが、最初、大﨑の言葉に失望の色を浮かべたという。
「正直に『自分のためというより、周りの人のためっていう気持ちが強い』って言ったらすごい嫌な顔をされて。ああ、変な言い方しちゃったなと。でも次に会った時には『そういう気持ちも大事だよね』と理解を示してくれました」
そこから極秘でトレーニングを本格化させ、五輪イヤーの’20年1月、大﨑は突然、代表合宿に姿を現した。合宿は言ってみれば「トライアウト」だったが、力のあるセンターが不足していた代表の中で、身体を張ってプレーするタイプの大﨑は存在感を示した。女子日本代表はすでに五輪出場を決めていたが、2月にベルギーで開催された五輪最終予選にもチーム強化を目的として出場。そこでも大﨑はスタメン出場を果たすなど戦力として通用することを証明してみせた。
世界が新型コロナの脅威にさらされ始めたのはそんな矢先だった。そして3月24日、東京五輪の1年延期が発表された。
「その瞬間、あと1年はきびしいかもなと思いました。所属先もないので、練習も満足にできない。ちょろっと復帰して、結局、辞めんのかよと思われるかもしれませんが、長いチャレンジになったら、ボロがどんどん出てくる」
チームは大﨑の翻意を待ったが、本人の気持ちは変わらなかった。
8月7日に代表が新たな代表候補を発表した3日後、大﨑はSNSで引退を決断したと綴(つづ)った。今後は子育てをしながら、バスケットボール教室を開催するなど競技普及に努めるつもりでいる。
ただ、大﨑に代わる大型フォワードはそう簡単には現れないだろう。もし来春、まだ若手のセンターが伸びてきていなかったら、と振るとこう破顔一笑した。
「そしたら、また(代表に)いるかもしれませんね」
そんな冗談がすぐ返せるのは、現役への思いを完全に断ち切ったからだった。





『FRIDAY』2020年10月23日号より
取材・文:中村計(ノンフィクションライター)撮影:會田 園