筒美京平さん 昭和を代表する作曲家が音楽界にもたらしたモノ

歌謡ポップス界の巨人・筒美京平が逝った——。その人は数多くの伝説的な名曲を残した一方で、ある疑惑をもたれた作曲家でもあった。

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10月7日、誤嚥性肺炎で亡くなった筒美京平さん。多くのヒット曲を生み出してきた(写真:共同通信)

『ブルー・ライト・ヨコハマ』や『また逢う日まで』をはじめ数多くのヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが、今月7日、誤嚥性肺炎のために亡くなった。80歳だった。近年はパーキンソン病を患っていたという。

青山学院大学経済学部卒業後、日本グラモフォン(後のポリドール・レコード→ユニバーサルミュージック)に入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、作曲家のすぎやまこういちに師事し作編曲を学んだ。

‘66年、『黄色いレモン』(藤浩一ほか)で作曲家デビュー。‘68年の『ブルー・ライト・ヨコハマ』(いしだあゆみ)が、自身初のオリコン週間1位を獲得。作曲家としての地位を不動のものとし、以来ヒットメーカーとして50年にわたり活躍する。作曲作品の総売上枚数は、7560万枚で作曲家歴代1位、ヒットチャートランクインは500曲以上、そのうちチャート1位獲得は何と39曲である。

‘13年、とてつもないCDセットが発売された。
筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1977 2013Edition』である。’97年に筒美の作曲家生活30周年を記念して発売された8枚組のCD-BOX『筒美京平 HITSTORY』。それから15年経った ‘13年に、その後に世に出たヒット曲を新たに収録した1枚を追加し、45年間の集大成として、新装版で再リリースされたのだ。

9枚のディスクは、ほぼ年代順にヒット曲全173曲が収録されている。
2600曲以上と言われる筒美の作品数からすればたった173曲だから、少ないと言えば少ないのだが、曲名を眺めているだけで、昭和の歌謡史が浮かび上がってくるほどのラインナップである。

’71年のレコード大賞で、筒美さんが作曲した堺正章の『さらば恋人』が大衆賞を受賞。この年は筒美さんが作曲した6つの楽曲が賞に絡んだ(’73年/写真:共同通信)

‘60年代には、いしだあゆみ、弘田三枝子などの他にもGS(グループ・サウンズ)のヴィレッジシンガーズ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツや熱狂的なファンを持っていたオックスなどにも曲を提供した。

‘70年代になると、作詞家の阿久悠と組んで、『魅せられて』(ジュディ・オング)、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦)、松本隆と『木綿のハンカチーフ』(太田裕美)を大ヒットさせる。

また、『17才』から『純潔』『ひとかけらの純情』などデビューしたての南沙織の名曲群、郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹の新御三家にもヒット曲を提供、岩崎宏美にも『ロマンス』、『センチメンタル』を与え、一躍彼らはスターダムを駆け上ることになった。

‘80年代には、近藤真彦の『スニーカーぶる〜す』、『ギンギラギンにさりげなく』をはじめ、田原俊彦の『原宿キッス』、さらに松本伊代、早見優、河合奈保子、柏原芳恵などの新人アイドルにも多くの楽曲を提供している。

驚くのは‘71年の『レコ大』こと『日本レコード大賞』である。
筒美はこの年、尾崎紀世彦『また逢う日まで』で大賞を射止め、さらに大衆賞の堺正章『さらば恋人』、新人賞の南沙織『17才』、作曲賞に朝丘雪路『雨がやんだら』と平山三紀『真夏の出来事』、歌唱賞に渚ゆう子『さいはて慕情』と、賞を受賞した6つの楽曲で作曲に携わっていたのだ。

伝説の「パクリ疑惑」

ヒットメーカーとして君臨し続けた筒美京平だが、筆者には筒美京平と言えば思い出される言葉があった。

それは「パクリ」である。

実は筒美京平は、全盛時「パクリの帝王」というちっとも嬉しくない異名をつけられたことがあったのだ。

それは、南沙織から始まったと記憶している。

‘71年、デビュー曲の『17才』が、米国のカントリーシンガー、リン・アンダーソンの名曲『ローズガーデン』(’70年)とそっくりだというのだ。衝撃だった。これは、その当時もラジオで話題になったのをよく覚えている。

また、彼女の‘72年リリースの『純潔』は、「イギリスのミュージシャン、ヴァン・モリソンの『Wild Night』のイントロをパクっている」と言われたものだ。

‘70年代、現在と違って音楽情報は乏しいものだった。特に地方在住者にとって、情報源はラジオしかなかった。ましてや海外の音楽情報なんて知る由もない。

おそらく、ラジオ局の洋楽担当やレコード会社のディレクターあたりが、様々な音源の中から「元歌」的な楽曲を見つけ出して、「あの曲はこの曲が元歌だ!」などと自慢げに話したことから、喧伝されていったのだろう。ラジオでも「元歌」が紹介され、我々は衝撃を受けたものだ。

パクリと称された楽曲は他にもある。
‘75年の岩崎宏美の『ロマンス』は、ディスコサウンドの『ハッスル』(スターライト・オーケストラ)のパクリ。’83年の野口五郎の『19:00の街』の元歌は、バーブラ・ストライザンドの『ウーマン・イン・ラブ』(‘80年)という説。

’70年代には、ラジオから流れる「パクリ説」を「そうだったんだ」と、何だか切ない思いに暮れるしかなかった。しかし、現代、我々にはインターネットという便利なソースがある。今回、「パクリ疑惑」のあった楽曲と「元歌」を比較し、検証してみた。

「パクリ」というよりは「いいとこどり」

デビュー当時の南沙織(’71年/写真:共同通信)

まず南沙織の『17才』。
イントロのフレーズ、歌い出しで無伴奏になるところなど確かに似ている。「あ、そっくり!」と一瞬思うのだが、その後『17才』は歌謡曲らしい少しばかりウェットなサビへと向かっていくのだが、『ローズ〜』の方は、カントリーソングそのものの展開を繰り広げる。どうも、「パクリ」と呼べるほど全体が酷似しているわけではない。

次に『純潔』。聴いてみると、イントロのギターフレーズは同じである。しかし、これまた楽曲の本体に入るとコード進行こそ類似点はあるのだが、まったく違うジャンルの曲である。『純潔』には日本のポップス、歌謡曲の要素がしっかり入れられているのだ。

岩崎宏美の『ロマンス』は、『ハッスル』とアレンジの所々に似たような部分があるが、これはパクリとは言えないだろう。

‘83年の野口五郎の『19:00の街』の元歌は、バーブラ・ストライザンドの『ウーマン・イン・ラブ』(’80年)という説。

これは似ている。イントロや歌い出しもそっくりである。元歌のハイセンスで都会的なムードを日本のポップスの表現方法で演じたらこうなる、という見本のような楽曲。面白いことに似ている部分は確かにたくさんあるのだが、聴けば聴くほど「違う曲」という印象が強くなっていくのだ。

さらにもっと話題になった「パクリ疑惑」の曲があった。それは、マチャアキこと堺正章の『さらば恋人』である。名曲の誉高いこの曲が、実はアメリカの大ヒット曲『カリフォルニアの青い空』のパクリだと言うのだ。

よくもまあ、あんなに有名な曲をと思われるのだが、聴き比べてみると確かにイントロ、歌い出し、全体の構成もよく似ている。一番似ていると言ってもいいだろう。もっと言うと、『さらば恋人』の方が、『カリフォルニア〜』よりも楽曲として良くできている気がする。

調べてみて驚いた。「パクリ疑惑」では有名なこの『さらば恋人』。
‘71年のオリコンの年間チャート10位を記録し、先述の通りレコード大賞の大衆賞も受賞している。一方の『カリフォルニアの青い空』のリリースは、’72年10月。なんと、『さらば』の方が先に作られていたのだ。

海外のロック・ミュージックに詳しい音楽評論家の増渕英紀さんは、海外の楽曲に技法が近いのは、実は筒美さんの弟の存在も大きいと言う。

「筒美京平さんの実弟は、外資系レコード会社のディレクター&プロデューサーで、洋楽の情報を信じられないほど知っていたんです。筒美さんは、彼から洋楽の情報を仕入れていたようですね。ヴァン・モリソンなんてマニアックなところから引き出して来られたのは、弟さんの存在があったからでしょう」

日本の音楽界に彩を与えた「サンプリング」の巧みさ

いろいろ探っていくと、こんなエピソードに遭遇した。
南沙織との初対面で、筒美さんは彼女に「どんな曲を知ってるの?」と尋ねた。すると、南沙織は『ローズガーデン』と言ったのだ。確かに当時、ラジオをかければ『ローズガーデン』が流れていた。そこで、筒美さんは「あ、だったらローズガーデンみたいなのを作ろう」と言って、できたのが『17才』だったというのだ。

‘80年代、ダンス・ミュージックやヒップホップの登場で注目された表現に「サンプリング」という表現技法がある。過去の楽曲や音源の一部を流用し、再構築して新たな楽曲を製作する音楽製作法・表現のことである。これらが使われる理由には、元の楽曲のイメージによる効果や、オマージュなど様々である。現在の音楽シーンから見ると、筒美の行った作業はこのサンプリングに非常に近いことだったように思える。

おそらく、「こういう感じの曲」という引き出しが限りなくあるのだろう。そして、弟の情報提供も参考にしたのかもしれない。筒美京平という人は、洋楽の様々なエッセンスを日本のポップス・歌謡曲という文脈に取り入れるプロダクトに長けていたに違いない。

こうして見ると、筒美の音楽づくりは「パクリ」というものでは決してない。それどころか、筒美が取り入れて消化したエッセンスが、日本の音楽界に与えた彩りの方に注目すべきなのだ。

改めて、日本の歌謡史を彩った偉大な作曲家のご冥福を祈りたい。

  • 取材・文小泉カツミ写真共同通信

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