長男刺殺の元農水次官 弁護士10人従え主張した「無罪」の論理 | FRIDAYデジタル

長男刺殺の元農水次官 弁護士10人従え主張した「無罪」の論理

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保釈中の今年6月に、自宅前で直撃取材した際の熊沢被告
保釈中の今年6月に、自宅前で直撃取材した際の熊沢被告

昨年6月、東京都練馬区の自宅で長男の英一郎さん(44=当時)をナイフで刺して殺害したとして、殺人罪に問われ、一審・東京地裁で懲役6年(求刑懲役8年)の判決を受けた元農林水産事務次官、熊沢英昭被告(77)。控訴審第一回公判が10月20日、東京地裁(三浦透裁判長)で開かれ、熊沢被告の弁護人は「正当防衛」による無罪を主張した。

昨年12月に東京地裁で言い渡された一審判決では、熊沢被告が長男を包丁で一方的に刺し、その結果、失血死させたと認定していた。一審ではこの家庭の実態もつまびらかにされ、中年になった引きこもりの家族と同居する高齢親の苦悩や「5080問題」「4070問題」の議論も活発になった。

長男の英一郎さんは中学生の頃から家庭内で暴れるようになり、ほどなくして熊沢被告の妻に暴力を振るうようになった。熊沢被告はこれを、時に手で制止し、時に言葉で諌めながら向き合ってきた。高校卒業後、長男は日本大学を休学したのち別の専門学校へ入学するなど、紆余曲折をへて無事に大学を卒業するに至ったが、ときの〝就職氷河期〟の影響もあり、希望の仕事も不採用となる。その後もパン作りの学校へ通わせたり、知人のつてで仕事を紹介したりと、さまざまに手を差し伸べてきた。

長らく精神疾患を患っていた長男の代わりに通院し、病状を伝えてきた。さらに、アニメや漫画、ゲームが好きだった彼にコミケへの出品をすすめたり、妻の所有する目白の戸建てに長男を住まわせ、近所の駐車場や賃貸物件の賃料で生計を立てられるように準備を整えるなど、熊沢被告は長男の今後を考え、様々に世話をしていた。そんななか、事件は起こった。

控訴審第一回公判であるこの日、保釈されていた熊沢被告は、一審と同じようにスーツを着用し、マスク姿で被告人席に座っていた。一審の罪状認否では「間違いありません」と起訴事実を全て認め、被告人質問では「取り返しのつかないことをしてしまい、いまは息子の冥福を祈るしかない」と涙ながらに語っていたが、懲役6年という一審判決の内容には承服しかねる点が多々あったようだ。

被告席の後ろに控える10人もの弁護人のうち、1人が立ち上がり、控訴趣意の要旨を読み上げた。

「刑に服して償う意向があったが、原判決の事実認定には大きな誤りがある。これを直した上で刑に服するべき」

開口一番にこう述べた弁護人は、控訴の理由として「事実誤認」「量刑不当」「法令適用の誤り」を挙げる。そして、事件の約1週間前に長男から振るわれた暴力について振り返った。

当時、長男から「一人暮らししている目白の家から戻りたい」と連絡があった。これを受けた熊沢被告はすぐに迎えにゆき、長男との数十年ぶりの同居を始める。しかしその翌日、熊沢被告は長男から初めて暴力を受けたのだ。

事件の現場となった自宅
事件の現場となった自宅

「その数ヵ月前から目白の家に行くたび、ゴミを片付けようとすると『帰れ』と言われてゴミが溜まっていた。ゴミ屋敷になったからいられなくなったのかなと思っていた。その日も私は、目白の家がゴミ屋敷になっていることが頭に常にあり、掃除しなきゃ、ゴミを片付けなきゃ、と言葉で発したと思います。すると『ゴミ捨てろ、ゴミ捨てろばかり言いやがって』と長男が逆上し襲ってきました。

殴る蹴る、そのあと、髪の毛を鷲掴みにされ、サイドテーブルに叩きつけられました。必死に玄関のところまで逃げましたが追いかけられ、また殴る蹴るされ、玄関ドアやコンクリートの三和土に叩きつけられました。必死に外に逃げましたが、そこにも追いかけてきまして、殴る蹴るされ、鉄製の物置の壁に頭を打ち付けられました……」(一審の被告人質問での証言)

以降、熊沢被告は妻とともに、2階の寝室で過ごしていたという。事件は昨年6月1日の15時過ぎ、1階に降りた際に、拳を握ったファイティングポーズの長男から「殺すぞ」と言われ「本気で殺される」と慌てて包丁を手に取り、もみ合いながら胸や首を刺し続けた……と当時熊沢被告は語った。

しかし東京地裁の判決では「傷の状況などから、抵抗を受ける前に一方的に攻撃を加えた」と熊沢被告の証言の信用性を疑問視していた。これに対し弁護人は次のように述べた。

「一審では『一度距離をとった被告が、恐怖の対象である被害者の元に戻る理由はない』と被告の話の信用性を否定し、ほぼ一方的に攻撃を加えたと認定しているがこれは誤りである。

殺されると思いとっさに台所に行ったのであり、逃げるためではない。1週間前に暴力を受けたとき、逃げても被害者に追いかけられて捕まった。逃げても無駄だという思いがあった」

事件の日、包丁で長男に抵抗するしかないと考え、もみ合いになって事件が起こったと主張した。「一審では、『償いたい』という被告人の意向に添い、また裁判員裁判の特性を考慮し、正当防衛の主張をしなかったが、正当防衛が成立すると考えるのが実態にもっとも即している」と訴える。

さらに、一審の法廷では、事件前に熊沢被告が妻宛てに書いた「これしか他に方法はないと思います」と長男殺害をほのめかしていたとも思える手紙が読み上げられたが、この手紙について、控訴審では「被告人は手紙を書いた記憶はない」とも弁護人は言う。「手紙の記憶がないのは、急性ストレス反応を発症したことによる解離症状ということで説明が可能」(弁護人)と、犯行前後に『急性ストレス反応』を発症していたのだという主張も加わった。

しかし、こうした主張の根拠であろう弁護側の証拠取り調べ請求は、裁判所により却下された。12月に予定されている次回公判では、被告人質問が行われる見込みだ。

  • 取材・文高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

  • 撮影蓮尾真司

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