従業員の9割に犯罪歴…元レディース社長が出所者を受け入れる事情

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10代の頃に総長を務めていた暴走族。前列右のサラシを巻いた女性が広瀬社長だ

幼い頃は悲しい思い出ばかりだった。

テーブルの上に置かれたコイン、「これで何か食べなさい」と書かれたメモ、一人ぽっちの食事……。

栃木県栃木市の建設会社「大伸ワークサポート」社長・広瀬伸恵さん(42)は、ツラい幼少期を過ごしてきた。学校から帰ってくると、親はいつもケンカ。両親とも家を空けることもしばしば。一人では家に居場所がなく、寂しさを紛らわすために非行に走ったーー。

だが、今は違う。

「マミー! ご飯よそってよ」

「うるさい! 自分でよそいな。甘えるんじゃない!」

騒がしいほど賑やかな食卓。広瀬さんは、自宅敷地内の寮に住む社員たちへ、母親代わりに毎晩夕飯をふるまう。広瀬さんが幼い頃憧れていた、笑い声が絶えない食卓だ。

だが……フツウの会社と違うところがある。社員36人中、約9割の32人が刑務所や少年院の服役経験者。広瀬さん自身「魔羅亜(まりあ)」という女性だけの暴走族の総長を務め、三度の逮捕歴がある。以下は、広瀬さんが語る、「元犯罪者」を従業員として受け入れ、更生に情熱を傾けるまでの壮絶な半生だーー。

留置所で迎えた20歳の誕生日

毎晩、社員十数人分の食事を作る広瀬社長。自宅のキッチンで。自身の作る料理はおどけて「懲役メシ」と呼んでいる

「両親の不仲ために、家にいずらかったです。中学に入るまでは大人しかったんですが、いつの間にかワケ有りの仲間とツルむようになった。丈の長いスカートに髪は金髪。タバコを吸って、眉毛は全部剃っていました。レディース(女性の暴走族)を結成したのは、18歳の時です。ケンカは日常茶飯事でしたね。

19歳の頃だったかな。メンバーの一人がルールを破り、男と遊んでいるのがわかった。掟を破るのは絶対に許せません。集団リンチをし警察に逮捕され、20歳の誕生日は留置所で迎えました」

釈放と引き換えにレディースは解散したが、広瀬さんは犯罪に手を染める。23歳の時に覚醒剤取締法違反で逮捕。服役後、再び薬物事件で逮捕され、釈放された時には27歳になっていた。

「社会復帰してからは、まっとうな人生を送ろうと思ったんですが……。(前科のある)過去を隠さなければ、会社の面接も受けられない。なんとか就職できても、私は地元では有名なワルでしたから、噂が広まり上司から『辞めてくれ』と言われたこともありました。3~4社で働きましたが、長続きしませんでしたね」

従業員として働くのが難しいなら自分で会社を立ち上げようと、「大伸ワークサポート」を設立したのは10年前。建設業だったのには、二つの理由がある。

「一つは、私に建設会社で働いた経験があったから。二つ目は、業界に前科者を気にしない寛容な雰囲気があったからです。『大伸』もヤンチャな2~3人の若者と一緒にスタートしました。

当初は、出所者を受け入れようという気持ちはありませんでした。ただ生きていくため。生計を立てるために会社を経営していたんです」

「おめぇのお母さんになってやる」

27歳の時、出所した広瀬社長(前列中央)を祝う元暴走族のメンバーたち

転機となったのは、ある少年との出会いだ。「大伸」に入社した少年は、周囲と馴染めず広瀬さんを完全に無視していた。入社から2年目。少年は19歳の時に、監禁と恐喝容疑で逮捕される。出所後、広瀬さんは少年に語りかけた。

「私が、おめぇのお母さんになってやっから。もう人様に迷惑かけんな」

少年は幼い頃から父親から太ももに箸を突き刺されるなどの虐待を受け、人間を信用できなくなっていた。食費もなく、カネを得るために繰り返す恐喝や傷害。すべては生きるため。悪いことをしているという意識はなかった。あの逮捕から8年……。現在では「大伸」の立派な社員となった、元少年・原沢朝洋さん(27)が振り返る。

「『お母さんになってやる』と言ってもらい、ただただ嬉しかったですね。初めて、この人を信頼してもいいのかなと感じた……。更生するか、再び犯罪に走るか。岐路に立たされた時、必ずそばで支えてくれる人がいると思うんです。それに気づくか気づかないか。社長の一言で、僕の人生は180度変わりました」

広瀬さんの回想だ。

「原沢君が逮捕され、警察から悲惨な家庭環境を聞き、私の若い頃と一緒だと思ったんです。同じ経験をした私が手をさしのべなきゃ、誰がアイツを助けてやるんだと。それからです。自分の役割がわかったのは。犯罪を犯した人間には、社会復帰してもなかなか居場所が見つからない。だったら『大伸』が受け皿になり、サポートしようと決意しました」

道のりは順風ではなかった。保護司に元受刑者の受け入れを相談しても、広瀬さんの前科を理由に「信用できない」と難色を示されたことも。ただ少しずつ更生の実績と会社の業績を上げ、現在では逆に保護司から出所者を紹介されるまでになった。広瀬さんに、若者たちを立ち直させる秘訣を聞くと……。

「ハハハ。特別な方法なんてありません。みんなでご飯を食べる、手作りの料理を提供する、悩みがある社員の話は真剣に聞くーー。私が若い頃して欲しかったことを、やっているだけです。犯罪に手を染める人間は、みんな寂しいんですよ。自分が経験したから、よくわかります。母親だったら当然のことをしているだけです」

とはいえ、毎晩寮に住む15人ほどの夕飯を用意するのは並大抵のことではない。隣県の大型商業施設まで行き、段ボール2~3箱の食材を調達。会社経営のかたわら、トラブルを起こした従業員のために警察や留置所に出向くこともある。休日どころか、睡眠時以外一人でくつろぐ時間などまったくない。それでも広瀬さんは、充実を感じるという。

「一人ぽっちの寂しさを、十分味わいましたからね。大変ですが、ワケ有りの従業員と一緒にいるほうがよっぽどいい。なんてったって、私はアイツらのお母さんなんですから」

毎年、母の日には従業員から手書きの感謝の手紙が届く。広瀬さんは、自身のバッグに束になった手紙を大切に保管。何度も読み返している。今夜も「大伸」の食卓には、騒がしいほどの笑い声が響く。

常に賑やかな広瀬社長の自宅食卓。社員たちの悩みを聞く場でもある
昨年、社員や家族で新潟へ旅行へ行った際の1枚。正面のバラは従業員から広瀬社長へのサプライズプレゼント
広瀬社長の食卓の上に掲げられた「社訓」。従業員も目にする
  • 撮影山崎高資

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