涙を誘った朝ドラ『エール』聖母・薬師丸ひろ子の賛美歌が再び降臨

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朝ドラ『エール』で、薬師丸ひろ子は「うるわし白百合」を熱唱した

目を覆いたくなるような戦争の現実が、容赦なく視聴者の心をえぐったNHK朝の連続テレビ小説『エール』。第18週「戦場の歌」(86話~90話)に、心震わされたのは、私だけではあるまい。

視聴者から反響の大きかった週だけに、10月24日(土)深夜26時35分(25日(日)午前2時35分)から地上波で異例の“再々放送”されることが発表された。

太平洋戦争史上、もっとも無謀と言われたインパール作戦。日本兵およそ9万人が投入され、生還者わずか一万数千人。地獄絵図と化したビルマ戦線の奥地へ慰問に向かう裕一(窪田正孝)は音楽会当日、恩師・藤堂先生(森山直太朗)まで狙撃兵の銃弾を浴び、失ってしまう。

目の前に起きた現実を受け止められずにいる裕一。その胸に去来する思いとは、なんだったのか。この日から主題歌「星影のエール」も沈黙の喪に服する。

「第18週に登場する戦場描写はコロナ禍の撮影休止以前にすでに書き終えていました。しかし、脚本を手掛けたチーフ演出・吉田照幸氏は撮影休止中にさらに熟考を重ね、みずから若者を鼓舞するために軍事歌謡を作り、死地に赴かせてしまった。『エール』を贈ったことによって起きた惨劇をどうやって作品に込めたらいいのか考え抜いた末に、戦場描写をより一層鮮烈なものに書き換えています」(制作会社プロデューサー)

撮影は6月下旬、千葉県内の山林で行われ、ソーシャルディスタンスを意識した撮影方法を行うために、戦場のシーンはリハーサルなしの一発勝負。しかも収録前に豪雨が襲い、撮影現場はさながらビルマの奥地を思わせるロケーションとなった。

本格的な演技は今回が初めてだという森山は、夕闇迫る山の中をロケ期間中毎日10キロ走り込み、”可能な限り空腹”で撮影に臨み、迫真の演技を見せる。しかしそんな森山も、慰問に訪れた古山裕一を演じる窪田正孝の振り切った演技を見て度肝を抜かれる。

「リハなしの一発本番。恐怖と絶望感から、窪田自身もアドレナリンが出たと話していますが、その演技を目の当たりにした森山は『(窪田が)半狂乱のあまり死んでしまうんじゃないか』と心配したと当時を振り返っています。コロナと闘いながら、俳優もスタッフも覚悟を持って撮影に挑んだ。彼らにとってもこのシーンは”抗しがたい悲劇”との闘いの連続だったのかもしれません」(前出・制作会社プロデューサー)

しかし悲劇の連鎖は、慰問から帰国した裕一に追い打ちをかける。裕一の歌に感化され、予科練に合格した弘哉(山時聡真)も戦死。

弘哉に恋心を抱いていた娘・華の泣きじゃくる様を見て、妻・音(二階堂ふみ)に「僕は、音楽が憎い」と呟く裕一。それ以来、作曲はおろか、譜面を見ることすら恐ろしくて出来ない。

しかし、10月16日に放送された第90話。サプライズが訪れる。

玉音放送と共に終戦。空襲によって瓦礫の山と化した豊橋の自宅に一人佇む音の母・光子(薬師丸ひろ子)は、黒焦げになった「基督教學校 賛美歌」を手に取り、噛みしめるように「うるわし白百合」を静かに歌い出す。

「この場面、当初の台本では『戦争の、こんちくしょう!こんちくしょう!』と唸りながら地面を叩くシーンが描かれていました。ところが、薬師丸さんから『何か歌えないか』と提案があり、キリスト教では”復活”を意味する”百合”を題材にした『うるわしの白百合』が選ばれました。この曲は大正から昭和の初期、女子学生の間で愛唱されており、実は薬師丸さん自身も大学時代、礼拝堂でよく歌い、親しみのある楽曲だったようです」(番組関係者)

このシーンがNHKの渋谷スタジオで撮影されたのは、7月3日のこと。薬師丸ひろ子が歌う賛美歌と共に、音の実家・関内家の在りし日の思い出が3分間に渡って映し出され、歌い終わった薬師丸が優しく十字架をその手に包みこむ。そんな演出にも心洗われた。

「『カット』がかかっても広いスタジオは深い沈黙のまま。モニターを見つめていたスタッフ達も、目を真っ赤にしながら泣いていました。薬師丸さんの姿は、まるで焼け跡に祈りを捧げる聖母のよう。あの歌によって喪失感と深い悲しみが色濃く伝わり、”復活”への力となりました」(前出・番組関係者)

演出を手掛けた吉田氏は、「15分の中でやる勇気と迷いはあった」と話しているが、あのシーンこそ、若者達を死地に駆り立てた主人公・裕一の心を鎮め、コロナ禍を乗り越えて来た『エール』の番組スタッフを励まし、視聴者一人一人の心の奥底を揺さぶったに違いない。しかし薬師丸が朝ドラで賛美歌を歌ったのは、今回が初めてではない。

「薬師丸は‘13年の朝ドラ『あまちゃん』に出演。最終回に『潮騒のメモリー』を熱唱。この時もドラマに登場した東日本大震災の爪痕が残る”トンネルの現場”を訪れ、犠牲者を悼む賛美歌として『潮騒のメモリー』を歌っています。昨年、三陸鉄道リアス線が全線開通した際も地元でミニライブを行うなど、『潮騒のメモリー』は復興ソングとして今も語り継がれています」(ワイドショー関係者)

戦後75年がたった今、改めて戦争を知るためにも、今回彼女が賛美歌を歌った意味はとてつもなく大きい。

‘84年のクリスマス。薬師丸ひろ子の主演映画「Wの悲劇」が公開され、街に主題歌「Woman〜Wの悲劇より〜」が溢れた。劇場でエンディングに流れるこの歌を聴き、私は客席からしばらく立ち上がれなかった。客席は涙する顔! 顔! 顔! 薬師丸ひろ子は、20歳の頃から我々に寄り添う聖母だったのかもしれない。

  • 島右近(放送作家・映像プロデューサー)

    バラエティ、報道、スポーツ番組など幅広いジャンルで番組制作に携わる。女子アナ、アイドル、テレビ業界系の書籍も企画出版、多数。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、近年『家康は関ケ原で死んでいた』(竹書房新書)を上梓

  • 写真共同通信

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