松井秀喜が愛した居酒屋が閉店…店長が明かす「ゴジラとの秘話」 | FRIDAYデジタル

松井秀喜が愛した居酒屋が閉店…店長が明かす「ゴジラとの秘話」

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店長の安倍氏と松井氏のツーショット。店の創業記念パーティでの1枚だ。松井氏は店外でのイベントにもよく顔を出したという
店長の安倍氏と松井氏のツーショット。店の創業記念パーティでの1枚だ。松井氏は店外でのイベントにもよく顔を出したという

「お世話になってばかりで……。寂しいです」

巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏(46)が、知人を介してある居酒屋の店長に、こんなメッセージを送ってきた。

店の名前は「もー吉」。93年11月に東京・神楽坂にオープンし、巨人時代の松井氏が東京ドームの試合後ほぼ毎晩通ったことで知られる名店だ。だが……新型コロナ感染拡大の影響で、今年4月、5月は休業。6月以降も例年の7割減と客足が戻らず、10月いっぱいで閉店した。店長の安部俊彦氏(67)が語る。

「残念ですが、毎月赤字が200万円ほど出る状況でしたから……。苦労して続けた店をたたむことになり、万感の思いです」

多くの客に愛された「もー吉」だが、店長は松井氏との交流に格別の思い入れがあったという。以下は安倍氏が明かす。ゴジラとの交流秘話だ。

「松井君がウチの店に初めて来たのは、97年の1月だったと思います。当時の巨人の広報担当に連れられて来ました。広報は『松井が寮を出て一人暮らしを始めるので、東京ドームでの試合後の食事の世話をお願いしたい』と言う。ウチは広報担当者の行きつけの店で、大通りから入った人目につきづらい場所にあるので選ばれたのでしょう。

松井君が来るのは、いつも夜11時ごろでした。試合を終え居残りの素振りをし、シャワーを浴びてからチームで一番最後にドームを出るんです。店の営業は23時半まででしたが、松井君には時間を気にせずゆっくりしてもらいました」

本人の解説で打席を振り返る

店内に飾られた松井氏の現役時代のユニフォームやグラブなど。一つ一つに思い出が染み込んでいる
店内に飾られた松井氏の現役時代のユニフォームやグラブなど。一つ一つに思い出が染み込んでいる

松井氏の夕飯は一食5500円。背番号55にちなんだ値段だ。車で来ていたので、お酒は飲まない。チャンネルを変え、各局のスポーツニュースを見ながら食事をするのが定番だった。

「本人の解説で松井君の打席を振り返るんですから、私にとっては贅沢な時間でした。ある時、松井君に『なんで初球のド真ん中を見逃すのよ』と言ったことがあります。松井君はこう反論しました。『初球からド真ん中来たら、意表を突かれて打てないもんなの。打ちに行っても甘い球だからホームランにしてやろうと逆に力が入り、凡打になりますよ』と。プロなりの考え方があるんだなぁと、感心したのを覚えています。

当時は松井君も若かったですからね。3~4人分の食事を提供しても完食。出されたものは『美味い』も『まずい』も言わず、全部たいらげていました。毎日違うメニューを考えるのは大変でしたが、毎年開幕前は縁起をかつぎ、お頭つきの鯛に赤飯でしたね」

98年のオフには、ちょっとしたトラブルがあった。この頃から松井氏はゴルフを始めた。安部氏と一緒に埼玉県狭山市のコースを回った時のことだ。

「松井君はゴルフをやり始めたばかり。ハーフを終わって60近く叩いていました。見ると真っ赤な顔をして、ハーハーと息が荒い。いくらスコアが悪いからといってもおかしいなと思い、おでこに手を当てると尋常じゃない熱さ。熱が38℃以上あったんです」

翌日には、東京ドームでファン感謝デーが予定されていた。悪化させては大変と、安倍氏は松井氏をゴルフ場の医務室で寝かせる。

「松井君はツラいのに、『マスターたちは気にせず後半のハーフを回ってください』と我々を気遣ったね。ラウンドが終わり医務室に行くと、部屋には色紙や帽子が山ほど置いてありました。松井君が来ていることを知ったゴルフ場のスタッフが、サインをもらおうと用意したんです。

私は『状況が状況ですから今回は勘弁してください』と断りました。すると松井君はベッドからムクッと起きて、あっと言う間に30枚の色紙にサインをしてしまった。体調が悪いのに、なかなかできることではありませんよ」

ミスターが毎晩電話で素振り指導

ヤンキース時代に贈られた直筆のサイン
ヤンキース時代に贈られた直筆のサイン

高橋由伸氏や上原浩治氏などの同僚や新聞記者を連れてくることはあったが、松井氏はたいがい一人で来店。銀座や六本木に繰り出したり、仲間とつるんで飲みに行く話は聞いたことがなかったという。

「夜中になると、長嶋茂雄監督(当時)から電話がかかってきたそうです。電話の前で素振りをさせられてね。長嶋さんは、松井君に4番として相当期待していたようですから。選手同士で飲みに行っているヒマなどなかったんでしょう。長嶋さんは耳がいい。松井君のスイングの音を受話器越しに聞いて、『違う、違う! もっとビュッと』と指示を出していたそうです」

長嶋監督から、松井氏の打撃指導を任されたのが「三冠王」落合博満氏だ。

「落合さんの家まで行って、指導を受けていたとか。でも松井君は『いや~。打撃理論はスゴいけど野球以外に尊敬するところがありません』と笑っていました。なにせ息子(声優の福嗣氏)がカブト虫を採りに行くのに、わざわざハイヤーを用意する家庭です。住む環境が違い過ぎたのでしょう」

話は「番長」清原和博氏にもおよんだ。

「清原さんの才能は絶賛していました。外角低めの球を逆方向にホームランできるのは、清原さんぐらいだと。ただ生活習慣には疑問を感じていたんじゃないかな。『ボクの年には相当遊んでいたんでしょう?』と笑っていました。初めて本塁打王を獲得した時には、(無冠の)清原さんに向かい『タイトルとっちゃいました』とおどけて言ったそうです」

巨人時代の松井氏は、あまり女性との噂が出なかった。だが「もー吉」で密会することもあったという。

「女性と時間差で店に入ってもらうんです。2階に個室がありますが、そこで食事をしてもらってね。現在の奥さんとも一度だけ会ったことがあります。当日は私がベロベロに酔っ払って記憶が曖昧だったんですが、後に松井君のお兄さんが描いた似顔絵をテレビで見て『あっ、あの時の女性か!』と思い出したんです」

03年に松井氏がメジャーへ移籍してからも関係は続いた。安倍氏が仲間たちと、毎年のように渡米して観戦。昼食会を開くと、松井氏は必ず来てくれた。

「本当に義理堅い男ですよ。巨人時代に初めてタイトルをとった年に使っていたバットや、メジャーで使用した帽子などをプレゼントしてくれる。ウチの客からサインを要求されても、イヤな顔を絶対にしない。私の人生で最も大切な、夢のような数年間でした」

「もー吉」には松井氏が現役時代に使っていたバットやグローブが、数多く陳列されていた。店は27年の歴史に幕を降ろす。安倍氏は思い出の品々とともに、松井氏との交友を一生大切にしたいという。

松井氏が初めて本塁打王をとった年(98年)に使っていたバット。年間通じて折れなかったという
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米国に観戦に行くと自身の写真にサインをしてくれた
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店の入り口で松井氏のパネルと。今後は親戚が東京・武蔵野市で経営している居酒屋を手伝う予定
店の入り口で松井氏のパネルと。今後は親戚が東京・武蔵野市で経営している居酒屋を手伝う予定
  • 撮影山崎高資

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