サイボウズ代表が語る「マイナカード 起死回生の妙案」
「システム音痴が国を運営すると、現場が死にます」システムのプロが考えるデジタル行政の姿とは?
今年ほどマイナンバーカードが注目された年はないだろう。5月から始まった特別定額給付金の申請で初めて〝活躍〟するかとみられたが、トラブル続出で市区町村の窓口が大混乱に陥ってしまった。
現在は、マイナンバーカードを使った『マイナポイント』が実施されているが、手続きの複雑さや面倒さは、一向に解消されていない。なぜこうした事態が、続いているのだろうか。
全国で数少ないオンライン申請の成功例をサポートした、サイボウズ代表取締役・青野慶久さんは、マイナンバー制度について、「システム音痴が国を運営すると、現場が死にます」と早くから警鐘を鳴らしていた。その真意を聞く。

『リーマン・ショック』の教訓を生かした決定
まず、特別定額給付金の混乱の原因を振り返り、制度の問題点を明らかにしよう。
2016年1月に登場したマイナンバーカードには、氏名・住所・生年月日・性別とマイナンバー(個人番号)が記載されている。顔写真付きなので身分証明書になるほか、コンビニで住民票や印鑑登録証明書を取得することも可能。そこで、このマイナンバーカードを特別定額給付金のオンライン申請に使うことを政府が決めた。
この決定には理由があった。2008年に起きた世界的な金融危機である『リーマン・ショック』の後、同じような定額給付金を実施した際、紙の申請書の事務処理に時間がかかり、給付までに約3ヵ月要したところが多かったからだ。もちろん、2020年4月1日時点で、16.0%という普及率を増加させることも意図していたと考えられる。
オンライン申請も結局チェックは手作業
だが、そうした政府の思惑は裏目に出る。5月1日に始まったオンライン申請によって、全国の市区町村の窓口は大混乱に陥った。おもな原因は、間違った申請が続出したのだ。その内容は、住所や氏名の誤入力といった基本的なものから、すでに世帯から抜けている子供の氏名を入力してしまうなど、多種多様にわたっている。さらに、ミスに気が付いた人が、再度(中には10回以上)、入力をしてしまうというケースも頻発した。
致命的だったのは、そうして入力された情報を、人間がいちいちチェックする仕組みになっていたことだ。オンライン申請は、通称『マイナポータル』と呼ばれる政府が運営するサイトで受付けがなされた。そして、入力された情報は全国の自治体に転送されるのだが、その情報が正確なものかどうかについて、情報を紙にプリントアウトして、自治体の職員がひとつひとつ住民基本台帳と照らし合わせるという作業になったのだ。
しかも、そこには大量の誤入力されたデータも交じっている。申請された情報が間違っていることが判明した場合、申請者に職員から電話で連絡をすることもあったという。恐るべきお粗末さである。その結果、スタートして約1ヵ月後、オンライン申請を中止した自治体が後を絶たなかった。

システムを独自に構築して成功した加古川市
そうした混乱の一方で、自治体の中には、独自の仕組みを作ってオンライン申請をスムーズに機能させたところもある。兵庫県加古川市だ。サイボウズの『kintone』というプラットフォームを用い、『加古川市 特別定額給付金 Web申請システム』を構築した。
このシステムは、各世帯に郵送される申請書の「照会番号」を利用する。申請者にこの照会番号を入力してもらうと、加古川市側の保有しているデータと簡単に照合することができる。そのため、郵送で申請した場合と比べて、職員の事務処理時間を約5分の1へと大幅に削減できたという。なぜこんなことが可能になったのか。サイボウズの青野社長は次のように解説をする。
「まず、強調しておきたいのは、加古川市でこのシステムを開発した担当者の方は、エンジニアなどの経験があったわけではなかった、ということです。それにもかかわらず、クラウド上にある『kintone』を使いやすいようにカスタマイズして、1週間でシステムを作ってしまったそうです。当社の担当者に聞くと、サポートしたのは、全角のカタカナで入力できるようにしたことくらいです。
加古川市が上手くいったのは、担当職員の方が、申請する人がどこで間違える可能性が高いのかを、あらかじめ把握していたことだと思います。本人確認で入力するデータは、氏名、照会番号、生年月日の3つだけに絞る。振込先の銀行名も、加古川市に支店のある銀行名がクリックすれば表示されるプルダウンにして、入力ミスを予防しています。現場の担当者の方が、ユーザーの目線に立ってシステムを作る、これが最も大事なんだと思います」(青野慶久氏 以下同)
マイナンバーカードの仕組みを国がわかっていない?
この話を聞くと、特別定額給付金の申請にマイナンバーカードを使ったのは、失敗するべくして失敗したことがよくわかる。ミスを多発させる入力の仕様や、申請データのチェックを職員が手作業で行なうといったことに、配慮が欠けていたのだ。
いや、そもそもマイナンバーカードの仕様について、政府がきちんと理解していなかった可能性がある。オンライン申請では、マイナンバーカードのICチップに記録されている署名用の電子証明書が必要になるが、電子証明書の有効期間は5年間。2020年はスタート開始から5年目で、更新手続きで窓口に行く人もいる。
また、マイナンバーカードのパスワードを入力するのだが、このパスワードを忘れてしまった人も多かった。パスワードを再設定するには、市町村の役所にあるマイナポータルと繋がっている専用端末でしかできない。この再設定をするための行列が各地で出来てしまった。急激に利用者が増えたため、この端末を管轄している「地方公共団体情報システム機構」のサーバーがパンクするという事態まで発生した。
まったく必要性が感じられないマイナンバーカード
当然、こうした大混乱への苦情や、マイナンバーカードに対する質問は、窓口の職員に向けられる。しかも、コロナウイルスに対する外出自粛要請が出ていた時期である。臨時職員を雇って乗り切ろうとしたが、あまりにも仕事がハードだったため、次々に辞めてしまったという役所も多かったという。青野氏がいうように、まさに「システム音痴が国を運営すると、現場が死にます」という状態だったのだ。
「マイナンバーカードは、国や地方自治体の窓口で行なう、個人のいろいろな手続きを簡素化することが目的になっているはず。それにもかかわらず、利用するとかえって手続きが複雑になり、ユーザーや窓口の職員の負担が重くなっているというのでは、何のために存在しているのかがわかりません。特別給付金では、急に利用することが決まったからと言われるかもしれませんが、元々の仕組みに首をかしげざるを得ない点が多すぎます。
まず、物理的なカードを発行して、1人1人に手渡しするというのが効率的ではない。引っ越しの時にも、転出先の役所の窓口にカードを持参しなければなりません。ここは本来なら、スマホで転出届を出して終了、というのが普通でしょう。また、有効期限があって、期限ごとに窓口に行く必要がある。役所の業務が減る要素がないんです。メリットとして、コンビニで住民票や印鑑登録証明書を発行できるといいますが、年に1回か2回あるかどうかでしょう。必要性が全く感じられません」
ヤフーや楽天のIDで代用可能
今後、マイナンバーカードは、健康保険証として使えたり、さまざまな税の申告や補足に活用されることになっている。それでも、有用性はほとんどないと青野氏は言う。
「現在、メリットとして挙げられている点や、将来的にできるとされていることは、すべてマイナンバーカードを使わなくてもできます。ヤフーや楽天で提供されているID(識別番号)を利用すればいいんです。すでに、こんなに普及しているIDがあるのに、わざわざ使い勝手の悪いIDを、お金をかけて作る必要はありません。
特別定額給付金の交付でも、ヤフーや楽天のIDを使えば短時間でできたはずです。韓国でも、特別定額給付金のような政策を実施したんですが、その際、申請をクレジットカードのサイトからできるようにして、クレジットカードの認証情報を引き継いで行った結果、すぐに支給が終わったそうです」
実際、韓国で実施されたコロナ対策の「緊急災難支援金」の支給は、2週間程度で97%の世帯をカバーしたという。
国がやるから安全は幻想
「私が、ヤフーや楽天のID を使えばいいというと、セキュリティ面を心配する人も多いと思います。しかし、ヤフーや楽天といったネット系の大企業ほど、セキュリティのノウハウを持っているところはないと思います。世界中から受けるハッカーの攻撃に対して、24時間365日、命がけで戦っているのです。しかも、それを20年以上続けているわけですから、セキュリティに関して国内では最も進んでいると言えるでしょう。国、政府がやっているから安全だというのは、幻想にしか過ぎません。
また、税金を投じる事業を特定の民間業者に任せるのはいかがなものか、という意見もありますが、マイナンバーカードを始めとして、これまで国が行なってきたデジタル関連の投資は、すべて民間企業に委託されています。どんな企業に委託されているかといったことが、あまり知られていないだけで、その構造はまったく変わりません。
たしかに、デンマークのように政府が国民にIDを発行して、それを様々な行政サービスに活用している国もあります。でも、デンマークがデジタル署名の仕組みをスタートさせたのは2001年です。20年前から始めて、ノウハウを蓄積して、システムを構築しているわけです。日本は残念ながら、完全に出遅れてしまいました。マイナンバーカードは、5年経っているのに、銀行口座ひとつ連携させるのに苦労している。この期に及んで、国がIDを浸透させようというのは愚の骨頂といえるでしょう。合理的に考えれば、すでにあるレベルの高いものを使えばいいんです」

最善策はマイナンバーカードを廃止すること
政府は、9月25日、マイナンバーカードのワーキンググルーブを開催し、今後のスケジュールを発表した。2023年3月末までに、全国民に行き渡ることを目指して普及を加速させていくという。先頭に立つのは新設されたデジタル庁だ。国は、マイナンバーカードの普及に本腰を入れていく構えだが。
「最善の策は、マイナンバーカードを廃止することです。根本的な設計が間違っているので、パッチワーク(つぎはぎ)をしてもどうにもなりません。今後、何かに使おうとすると、そのたびにトラブルが起きるでしょう。1回落ち着いて、冷静に考えれば、止めるという選択が最善だと気付くはずです。マイナンバーカードに税金や人材を投入するのは完全なムダです。
デジタルというのは、所詮は道具です。行政のサービスや手続きをデジタル化しようとするならば、現場を知らないと役立つものは作れません。トップダウンで号令をかけている限り、形ばかりのデジタル化が続き、現場はこれからも苦労を強いられるでしょう」
ここまで来たマイナンバーカードを止めるというのは、極端な意見に聞こえるかもしれない。しかし、前例がある。『住民基本台帳ネットワーク』、通称「住基ネット」だ。2002年8月から始まり、2015年12月に終了した。スタート当初から不評で、13年あまり続いた制度だが、ほとんど利便性を感じることがなかった。総事業費は合計1兆円以上と言われている。
マイナンバーカードにも、初年度の約1000億円から始まり、毎年巨額の予算が組まれている。今年度は2000億円以上となっている。また、税金をドブに捨ててしまった住基ネットの二の舞を演じるのだろうか……。
青野 慶久(あおの よしひさ) 1971年生まれ。 愛媛県今治市出身。 大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年8月愛媛県松山市でサイボウズを設立。 2005年4月代表取締役社長に就任。
取材・文:松岡賢治
マネーライター、ファイナンシャルプランナー/証券会社のマーケットアナリストを経て、1996年に独立。ビジネス誌や経済誌を中心に金融、資産運用の記事を執筆。著書に『ロボアドバイザー投資1年目の教科書』『豊富な図解でよくわかる! キャッシュレス決済で絶対得する本 』。情報サイト「オールアバウト」クレジットカードガイド。
写真:アフロ