遠藤保仁が語りつくした「もう一度日本代表」への野心 | FRIDAYデジタル

遠藤保仁が語りつくした「もう一度日本代表」への野心

日本サッカーのレジェンドが語りつくした! 20年間在籍したガンバ大阪からジュビロ磐田へ期限付き移籍

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突然の移籍から約1ヵ月。すっかりチームにも慣れた様子の遠藤保仁。新たな挑戦に「ワクワクしている」と語る(写真提供:ジュビロ磐田)
突然の移籍から約1ヵ月。すっかりチームにも慣れた様子の遠藤保仁。新たな挑戦に「ワクワクしている」と語る(写真提供:ジュビロ磐田)

「日の丸をつけて試合に出るのは、サッカーをするうえで一番の喜びです。今でも代表戦には出たいと思っていますよ」

そう語るのは、今年10月、20年間在籍したガンバ大阪からJ2のジュビロ磐田へ期限付き移籍した遠藤保仁(40)だ。

’15年を最後に日本代表から離れているが、国際Aマッチ出場数は最多記録となる152試合。2位タイで並ぶ長友佑都(マルセイユ)、井原正巳(現・柏レイソルコーチ)の122試合を圧倒的に上回る。さらに今年7月にはJ1通算632試合出場を達成し、こちらも歴代最多記録を更新した。

「記録を目指してプレーしたことはありません。強いて言えば、引退した時に自慢になればいいかな(笑)」

40歳を迎えても〝鉄人〟ぶりを発揮している遠藤の頭の中には、今もなお、日本代表がある。コロナ禍の中、森保一(もりやすはじめ)監督率いる日本代表は10月9日にカメルーン代表(0-0)、13日にコートジボワール代表(1-0)と対戦。海外組のみの編成で、約1年ぶりに行われた国際親善試合の結果は1勝1分だった。

ジュビロ磐田への移籍で慌ただしい時期だったが、合間を抜って2試合とも観戦したという。

「久しぶりの代表戦で、なかなかうまくいかないところもあったと思います。ただ、新型コロナの感染が拡大している中で試合ができたのはとても良いこと。

海外で活躍する若手については、「久保(建英(たけふさ))君(ビジャレアル)も堂安(律・ビーレフェルト)も、今まさに欧州で経験を積んで活躍している選手なので、非常に楽しみに見ています」と語る。自分が代表のピッチに立って彼らと一緒にプレーする姿を想像したりもするという。

「今の若い選手たちとは、ほとんど一緒にプレーしたことがないので、やってみたい。今回は代表に呼ばれていませんでしたが、中島(翔哉)選手(FCポルト)とか、今の2列目の選手は見ていて楽しいプレーをするので好きですね」

ひとりぼっちのJ2挑戦

印象深い試合については、「150試合くらい出ているので、パッとは思いつかないけれども……」とは言いつつ、3つ挙げてくれた。

「1つ目は代表デビュー戦(’02年キリンチャレンジカップ、対アルゼンチン戦)。2つ目は100試合目のメモリアルとなった’10年、ソウルでの韓国代表との国際親善試合。3つ目は’03年のキリンチャレンジカップのナイジェリア戦での初ゴールですね」

もちろん、過去3大会に出場したワールドカップも忘れてはいない。遠藤は’06年ドイツ大会、’10年南アフリカ大会、’14年ブラジル大会に出場。南アフリカ大会では、決勝トーナメント進出がかかったデンマーク戦で直接FKを決め、勝利を呼び込んだ。

「W杯はどの大会もよく覚えています。結果的に僕の場合は、南アフリカ大会がクローズアップされますけど、ドイツは初めてのW杯でワクワクしていましたし、ブラジルもすごく良いメンバーで臨むことができた大会。どれも印象深いし、また悔しい大会でした」

国の代表としてW杯に出場したい――。遠藤は若い時分から、日の丸への強い思いを持ち続けてきたという。

「代表ってやっぱり楽しいんですよ。プレッシャーもありますし、負けたときは批判される。ただ、批判も称賛も、その場に立った者しか味わえないものです。いろんな経験をしてきましたが、最初に思うのは楽しかったということ。簡単な言葉だけれど、〝特別な場所〟です」

選ばれし者しか立つことができない特別な場所に戻るには、結果を残すしかない。遠藤は40歳にしてJ2・ジュビロ磐田へと移籍することを決断した。慣れ親しんだガンバを離れた理由も、やはり消し去ることができないサッカーへの熱い思いがあったからだ。

「常にチャレンジする気持ちは持っていたいと思っています。そのうえで、今回はタイミングが良かった。ガンバで思うように試合に出られなかった中で、磐田が手を差し伸べてくれた。これも〝縁〟だと、受けることにしました。カテゴリーにはこだわっていません。とにかく自分の力をもう一度、証明したい。僕はクラブで結果を残した先に、代表があると思っています。だからまず考えるのはクラブで結果を出せるかどうか。今はそれだけしか考えていません」

磐田への移籍は、引退へのカウントダウンではない。もう一度己の実力を証明するため、遠藤は20年ぶりに家族のもとを離れ、ただ一人、静岡の地でサッカー漬けの日々を送っている。

「掃除も洗濯もすべて一人でやってますよ。ご飯もなるべく自分で作るようにしています。20年ぶりの一人暮らしなんで大変なところもありますが、楽しいですよ」

海外移籍も「狙ってます!」

数々の偉大な記録を打ち立ててきた遠藤だが、代表戦士として戦いたいという思いはまったく衰えることはない。飽くなき欲求は、どこから出てくるのか。

「日本代表ではやり残したことだらけ。例えば代表の最大目標であるW杯でも、決勝トーナメントに行く前に2回も負けてしまった。細かいプレー面まで掘り下げたら、もっとたくさん後悔はあります。一番多く試合に出てるんですから、一番多く悔しい思いをしている。もっと代表でいいパフォーマンスを出せたんじゃないかなって今になって思うこともあります。だからこそ、これからもいいプレーを見せて、また代表に選ばれたいなと思っています」

最後にサッカーファンならだれもが気になる質問もぶつけた。海外挑戦をしなかったのはなぜか。

「南アフリカW杯後、いくつか具体的なオファーはありました。でも、どのチームも自分がフィットするイメージが持てなかった。これも縁ですね。ただ、ずっと海外には行ってみたかったですし、もちろん今も行きたいと思っています。違うサッカー観に出会えるし、異なる文化にも触れられる。サッカーだけをするという感じではなく、自分の経験として、海外に住んでサッカーをしたいなという思いは今もあります。一人で勝手に決断はできないのですが、そんなオファーがあればうれしいですよね」

「まだやれる」という自信と自覚が遠藤にはある。〝鉄人〟の挑戦は続く。

’15年1月のアジアカップ・イラク戦で代表通算150試合出場を達成。特製ユニフォームと胴上げで祝福された(写真:産経ビジュアル)
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鹿児島実業高校では高校選手権・高円宮杯で優勝。選手権では大会優秀選手に選ばれ、U-18日本代表にも選出(写真:産経ビジュアル)
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高校卒業後の’98年に横浜フリューゲルスでプロデビュー。加入1年目から開幕スタメンに抜擢されるなど活躍(写真:アフロ)
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’20年7月4日第2節のセレッソ大阪戦で楢﨑正剛の記録を抜き、J1史上最多となる632試合出場を達成(写真:アフロ)
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ジュビロ加入後の8試合すべてに先発出場。5試合目のザスパクサツ群馬戦では初ゴールとなるFKを決めた(写真提供:ジュビロ磐田)
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『FRIDAY』2020年11月27日号より

  • 取材・文金明昱

    キム・ミョンウ/1977年、大阪府出身の在日コリアン。新聞社、編集プロダクション、ゴルフ専門誌記者などを経てフリーに転身。現在はスポーツライターとして、サッカーのJリーグや代表戦、女子ゴルフを中心に取材し、週刊誌やスポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。韓国・北朝鮮スポーツにも精通。過去6回、北朝鮮を訪問して現地取材。近著に『イ・ボミ 愛される力~日本人にいちばん愛される女性ゴルファーの行動哲学(メソッド)~』(光文社)

  • 写真アフロ、産経ビジュアル

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