所持金8円…渋谷区のバス停で殴り殺された女性が最後に見たもの
2020年11月16日早朝、彼女は命を落とした
所持金8円とわずかな身のまわりのものを抱えた女性が、11月16日の早朝、渋谷区幡ヶ谷のバス停で亡くなった。
女性の名前は、まだわからない。年齢は「60歳代」。彼女の最期の場所になったバス停のベンチにいるのを「この数か月、見かけるようになった」と近所の人はいう。足元にキャリーバッグを置いて、ベンチに座っていたという。
11月16日の午前5時、この女性がバス停のベンチの前に倒れているのを通りかかった人が見つけ、警察に連絡した。彼女は病院に運ばれ死亡が確認された。住所も、年齢もわからない。
彼女は何十年か前、誰かの赤ちゃんとしてこの世に生を受けた。よちよち歩きをし、おしゃべりができるようになり、学校に行き、少女時代を過ごした。成人して、それからも年齢を重ねて、生きてきた。
そして今年、2020年11月16日の早朝に、東京・渋谷区「幡ヶ谷原町」のバス停で、何者かに殴り殺された。
彼女の最期の場所になったバス停の近くに防犯カメラがあった。帽子をかぶりチェックのシャツを着た人物が、持っていた白い袋で彼女の頭を殴りつけた。彼女はその場に倒れ、亡くなった。死因は外傷性くも膜下出血。
新宿や渋谷にも近いこのあたりは、通りを入ると落ち着いた住宅街だが、片側4車線の甲州街道の上に首都高4号新宿線の高架が覆いかぶさるようにして、街を貫いている。バス停は「笹塚」の大きな交差点のすぐ近くで、ベンチは道路に背を向けて固定されている。奥行き25センチの、小柄な人でもゆったりとは座れない木のベンチが、彼女の「定位置」だった。
「終バスが行ったあと、どこからかやってくるんですよね。で、朝にはいなくなってるんです」
「新宿のほうに向かって、キャリーバッグを引いて歩いてるのを何度か見ました。足取りはわりとしっかりしていて。おばあさんという感じじゃ、ぜんぜんなかった」(近くの住人)
22:44渋谷駅行の最終バスが通り過ぎた後のこの場所で、彼女が夜を過ごしていたことを知っている人は少なくなかった。
彼女を殴った人物の姿は、周辺の防犯カメラの映像にたくさん写っている。まもなく警察に見つかり、司法の手にかかり、罪を問われ、罰を受けるだろう。でも、無残に殺された彼女は帰らない。
コロナ禍で、女性の自死が激増している。街で、路上で過ごす女性の姿を多く見かけるようになった。
「声をかけられなかった周囲の人を責められるのか? 自分だったら? と自問自答しています。食べるものや着るもの、お金を渡していた人たちが近隣にいたかもしれません。でもなにより、安全な場所『ハウジングファースト』の仕組みが必要と、あらためて痛切に思いました」
ホームレスの状態にある人を支援する「ビッグイシュー日本」東京事務所の佐野未来さんは絞り出すようにこういった。
「自助」が求められる日本。公的なセイフティーネットが機能しないこの国で、孫子の代まで生活に困らない資産のある家に生まれたひと握りの人以外、だれもが、いつ家を失うかわからない。今、路上やネットカフェなどで過ごす、家がない=ホームレスの状態にある人は東京都内で4000人。30代、40代の若年層も多い。
オリンピックを歓迎する「TOKYO2020」のフラッグがはためく。昼間のバス停には、ひっきりなりにバスがやってくる。傍に7つの花束と、「あったかいはちみつレモン」と「焼酎の緑茶割り」と、マドレーヌが2つ、供えてあった。バス停横のイチョウは黄色く色づいて、首都高の高架とビルの間から青空が見えた。夜の間だけここを居場所にしていた彼女は、この風景を見ていなかったかもしれない。
11月16日の早朝、渋谷区幡ヶ谷のバス停で殴り殺された人。女性で、もう若くはなく、安全な家を持たなかった彼女は、守られなかった。彼女が最後に口にしたものはどんな味がしただろう。彼女が最後に見たのはどんな景色だっただろう。殺されていい命はひとつもない。
*ホームレスの状態から抜け出すための方法をわかりやすく説明しているガイドブックがあります。
認定NPO法人ビッグイシュ―基金発行
「路上脱出・SOSガイド」
https://bigissue.or.jp/action/
- 撮影:tenhana