廃部寸前だった野球部がたった2年半で甲子園への切符をつかむまで | FRIDAYデジタル

廃部寸前だった野球部がたった2年半で甲子園への切符をつかむまで

長崎県立大崎高校 漫画みたいな「奇跡のストーリー」が現実に! 人口5000人の離島にある部員5名の高校に元名門高の監督が就任

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満を持して4年ぶりに現場に復帰した清水監督の熱意によって、行政や地域の人々、OBらがサポートに乗り出し、野球部は変わっていった

長崎県にあるテーマパーク『ハウステンボス』(佐世保市)の横を抜けて西海市に入り、いくつか大きな橋を渡った先に浮かぶのが大島である。かつては炭鉱で栄え、人口が2万人を超えていた大島も、現在は過疎化が進み、わずか5000人ほどしかいない。この小さな島で練習に励む球児が、今秋、奇跡を起こした。

全国的には無名の県立大崎高校が秋の長崎大会を制し、九州大会でも私立の強豪を倒して優勝。正式決定は来年1月だが、来春のセンバツ出場は当確だろう。100年以上の高校野球の歴史で、西海市の高校としては初めての甲子園出場だ。

奇跡のタクトを振ったのは、2年半前に5人しか部員がいなかった同校野球部の監督に就任した清水央彦(あきひこ)(49)である。

「端(はた)から見れば、早いと思われるかもしれませんが、私自身は昨年秋に、つまり就任から1年半で、甲子園出場を決めることを狙っていました。去年の秋も長崎大会では優勝したんですが、九州大会では初戦敗退に終わっていた。そうした経緯があるから、2年半で九州大会を制覇したことを喜ぶよりも、私と一緒に大崎高校に来てくれた現3年生の目標を果たせなかった悔しさのほうが勝ります」

高校の1年先輩で、母校の佐世保商業、平戸と監督を務めた吉田洸二(現・山梨学院高校監督)をコーチとして支え、吉田の清峰高校(当時の校名は北松南)の監督就任にも帯同。教員免許を取得した後、部長となった。対戦校の分析や自軍の戦術面を担い、参謀役として吉田を支え、生徒からの信頼も厚かった。

清峰は’06年にセンバツ準優勝、’09年春にはエース・今村猛(現・広島カープ)を擁して県勢初の日本一に輝く。

そんな清水が大崎高校の監督に就任するまでには紆余曲折があった。清峰では吉田に代わって08年秋に監督に就任したが、辞任に追い込まれ、九州大会優勝後にチームを離れた。

「一言で振り返れば、私が生徒を叩いてしまったんです。いろいろあり、とにかく辞(や)めることになった。’09年にセンバツで優勝した清峰は、私が作り上げたという自負はありますが、 優勝した時には佐世保実業に移っていました」

生まれ育った佐世保の私学を、’12年夏、’13年夏と2年連続で甲子園に導く。ところが’13年10月、先輩部員による暴力で後輩部員がケガしたことを、「練習中の事故」と学校に虚偽報告したとして、清水に日本学生野球協会から「無期謹慎」の処分が下された。それは事実上、高校野球からの追放である。清水は事実と大きく乖離(かいり)した決着に不服を申し立てた。

「当時、私が何を言っても、マスコミの力には負けてしまう。不服申し立ての結果、謹慎期間が無期から2年半の有期となったんですが……」

それを報じるマスコミは皆無に近かった。二度も甲子園に導いた学校を追われることになった清水だが、恨み節は口にしない。だが、野球に裏切られ、人間不信にも陥ったのではないだろうか。しかし、彼は高校野球の現場に戻る。救いの手を差し伸べたのは西海市の人々だ。

「犯罪者のような扱いを受けていた私に声をかけてくださったのが西海市の市長(当時)さんでした。佐世保実業の監督時代から誘われていたんですが、ああいうことがあっても、快く自分を必要としてくれた。野球人生の最後は、島の学校の野球部を率いてみたいという気持ちが心のどこかにあったんです」

’14年からは西海市の職員として教育委員会が新たな職場となった。謹慎が解け、いよいよ’18年春からの監督就任が正式に決まったのが’17年8月。その日から清水は西海市や佐世保市をはじめとする県北を中心とした中学生のスカウティングに奔走し、20人の入学が決まった。

「中学の指導者の方々が、私の復帰をある程度は待ち望んでくれていたというのはあるかもしれません。過疎地域の高校なので、20人も来てくれるというのは西海市の行政としてもありがたいこと。そこまで本気ならと、彼らの入学前に寮を用意してもらうことができました」

同校が練習の拠点とするのは、学校から1.9㎞先の海岸沿いにある『大島若人の森野球場』だ。左翼96m右翼97mの立派な球場で、屋内練習場もあり、都心の強豪私立にも負けない練習環境だ。

「30年ぐらい前に、当時の大島町の町長が大崎高校を甲子園に、とこの球場は作られたんです。しかし、強化はうまくいかず、私が就任した時は施設も廃(すた)れていました」

就任後、清水が真っ先に部員たちに命じたのは「掃除」だった。

「荒れ果てていたグラウンドに手を入れ、球場脇の老朽化していた、くみ取り式の便所を徹底的に磨かせました。精神論を振りかざすのは好きではないんですが、練習環境を綺麗に保つということは、勝負事の結果に必ず結びつくと私は信じていて、掃除はこだわってやらせました。練習では基礎的なことを徹底しただけです。まずはバットを振ること。結果が伴うようになるまで時間がかかることから取り組み始め、段階を踏んで少しずつ回数を増やしていきました」

就任から1年と少しが過ぎた昨夏は、県大会1回戦でコールド負けを喫した。その日の夜、今夏に引退した3年生の主将と副主将を呼び出しこう告げた。

「このままでは勝てない。もう少し、厳しくやっていいか」

主将はこう答えた。

「むしろもっと厳しいと思って入って来ました。ぜひやってください」

清水が振り返る。

「もちろん、生徒に手をあげることは絶対にありませんが、やっぱり、ああいうことがあったから、選手に遠慮する自分がどこかにいたんですね」 

直後に秋の県大会を制したのは前述の通りで、今夏の長崎県の独自大会も優勝。高校の玄関には今、地区大会や九州大会も含めて4本の優勝旗が並んでいる。

清水には妻と高校生の息子がいるが、現在は寮に寝泊まりし、監督でありながら、寮監の役割も担う。自宅に帰るのはお盆と正月だけ。部員が授業を受けている間は教育委員会で働いている。

「これほど市や学校に支えてもらっているんだから、甘えず自分が一人の責任ですべてを背負い込む。寮監を誰かに任せるとなれば人件費が必要になる。すると寮費も高くなってしまう。なるべく部員のご家庭に負担をかけたくないですし、監督の考えを浸透させるには寮で一緒に暮らすのが一番です」

すべては島と部員のために

大崎高校には、超高校級の投手や打者がいるわけではない。バッテリーを中心とした守り勝つ野球で九州大会を制した。エースの坂本安司が準決勝の大分・明豊戦まで3試合を一人で投げ抜き、決勝では1年生左腕の勝本晴彦が福大大濠(おおほり)(福岡)を1点に抑えて完投。投手の育成に定評のある清水が、自軍の投手に必ず投げさせるのがカットボールだ。

「覚えるのが簡単な球種ですし、打者の手元で変化するカットは、芯(しん)を外させるには効果的です。ストレートの握りを少しずらして、人差し指をリリースの瞬間まで意識させて投げる。球持ちが良くなるから、コントロールが定まらない投手でもストライクが入るようになります」

主将で外野手の秋山章一郎は、大島から車で2時間半の雲仙市出身だ。彼の兄は佐世保実業の野球部員だったという。

「兄が入学した時、清水監督はすでに離れていたんですけど、兄の先輩が『お前の弟は清水監督に預けたほうがいい』とアドバイスしてくれた。監督についていけば、結果を残せるんじゃないかと思って入学しました。監督は厳しいです。でも、私生活では優しいです(笑)」

昨年、九州大会に進出した大崎は、今春に開催される予定だったセンバツにおいて、県の21世紀枠の候補に挙がってもおかしくなかった。だが、長崎県の高野連の選考に漏れた。清水の過去と無関係ではないかもしれない。清水は言う。

「関係ないと思いますよ。そもそも私は、〝甲子園は勝ち進んで辿(たど)り着くべき場所〟だと思っている。それは部員たちにもずっと言ってきたことです」

年が明け、無事に選抜されれば、清水にとって2度目となる春の甲子園が待つ。

「私自身のために甲子園にもう一度出場したいという思いはありません。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、島に来てくれた子を甲子園に連れて行きたい、お世話になっている地域の人たちに甲子園に応援に来てもらいたい。その責任感と義務感だけなんです」

自分に居場所を与えてくれた西海市の恩に応えるため、清水はすべてを投げ打って球児と共に暮らし、彼らの夢を成就させようと力を注ぐ。(文中敬称略)

  • 取材・文:柳川悠二(ノンフィクションライター)撮影:比田勝大直

九州大会の優勝旗。公立高が優勝したのは11年ぶり。大崎高校はこの2年間で4本の優勝旗を獲得し、玄関に並べている
全校生徒114人(女子33人)のうち、47人が野球部員。自転車で寮、学校、球場を往復する毎日を送る
秋山主将は「去年悔しい思いをした3年生と、地元の方々を甲子園に連れて行くというのを目標に頑張ってきました」と語る
西彼杵(にしそのぎ)半島と橋でつながっているとはいえ、広さ13㎢の小さな離島の公立高校である
縄跳びで体幹や筋力を鍛える。清峰で行っていた丸太を持ち横向きに走るトレーニングも取り入れている
2人一組でゴロをさばく練習。素振りをはじめ、基礎的な反復練習を徹底して行うのが、清水監督の信条だ
大島にある野球場には照明設備も整っており、日が暮れても部員はバッティング練習に取り組んでいた
3年生も含めた野球部員の大半が寮で共同生活を送る。地元の人から農産物などの差し入れがあることも(提供:清水央彦監督)

『FRIDAY』2020年12月11日号より

  • 取材・文柳川悠二(ノンフィクションライター)撮影比田勝大直

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