急逝の母に誓う大学連覇 早大ラグビー部に現れた元高校球児の執念 | FRIDAYデジタル

急逝の母に誓う大学連覇 早大ラグビー部に現れた元高校球児の執念

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帝京大戦で公式戦デビューした早大のフランカー坪郷智輝(中央、撮影:松本かおり)
帝京大戦で公式戦デビューした早大のフランカー坪郷智輝(中央、撮影:松本かおり)

大学選手権2連覇を目指す早大ラグビー部に、大学に入ってから競技を始めた苦労人がいる。川越東高野球部の補欠選手だった坪郷智輝は、かつて兄の勇輝が在籍した強豪で地道に努力を重ね、今季4年生にして1軍デビュー。18歳で母を亡くした時から変わらぬ決意を胸に、12月6日、関東大学対抗戦A(対抗戦)の優勝をかけた明大戦でも出場を目指す。

「痛そう」なラグビーをはじめた理由

坪郷が監督の相良南海夫から「先発で行くぞ」と言われたのは本番3日前。緊張していた。ただ、覚悟は決めていた。

11月1日、東京の秩父宮ラグビー場。チームが加盟する対抗戦でのデビューを果たす。

身体をぶつけ合うフォワードのポジション群に入ったが、171センチという身長はその隊列にあっては明らかに小柄。対する帝京大の先発フォワードの平均身長よりも約10センチ、下回る。

帝京大は2017年度まで全国V9で、今季も充実ぶりが伝わっていた。ただし4年前まで素人だった早大の背番号6には、相手を過大評価せずに持ち場を全うする強さがあった。開戦すれば大型選手の足元へ突き刺さり、接点へ身体を当てる。再三、向こうのミスを誘う。

ノーサイド。45―29で開幕4連勝。坪郷は効果的なラン、後半25分に挙げた貴重なトライと相まって、主催する関東ラグビー協会選定のマン・オブ・ザ・マッチに輝いた。

憧れの舞台で活躍できたわけを聞かれ、控えめな口調で誇った。

「目標を立てるだけではだめですけど、目標を立てて、どうすればそれを達成できるかを考えるようにはなりました」

野蛮。ラグビーに抱いた、それが最初の印象だった。

兄で6歳上の勇輝は、早稲田実業高でラグビーと出会ってから傷を作って帰宅することが増えた。少年期の坪郷は「よくやるなぁ」と兄に感心しつつも、自分が同じことをしたくなるとは想像すらできなかった。

気持ちが変わったのは高校1年の冬だ。

早大4年だった兄の出ていた対抗戦の明大戦、帝京大との大学選手権決勝をいまはなき東京の旧国立競技場で観た。かつては「痛そう」としか思わなかった競技と改めて向き合うと、先入観が覆された。

「ラグビーでは身体がでかい方が有利だろうというイメージを持っていたのですが、ワセダの選手は小さくても戦えている」

特に選手権決勝では、5連覇を目指していた帝京大に一時10―34と大きくリードされながらも必死に追い上げて34―41と競った。

当時の坪郷は川越東高の野球部に志願して入部も、腰を痛めて白球を追えずにいた。フラストレーションを抱えていたなか、ひたむきで、勇敢で、諦めない赤と黒の集団にはっきりと心を掴まれたのだ。

「ワセダの選手が観ている人に勇気を与えたということにも魅了されて、僕もそっちの立場になって、観てくれる人たちに勇気を与えたいと…」

高校の間は好きな野球を続け、卒業後は早大でラグビーを始めよう。そんな内なる決心を家族に明かしたのは、野球部を控え選手のまま引退した直後のことだった。その決断に両親は戸惑ったようだが、当の本人は動じなかった。努力家で尊敬できる兄から「お前なら大丈夫」と背中を押されたからだ。

何より自分の意志を固めたのは、ひとつの別れだった。

高校卒業を間近に控えたある日、がんで入院していた母のミユキさんに大学受験の現役不合格を報告した。帰路につく途中、直前までいた病院に呼び戻された。

急変した母を看取る。

死を身近に感じざるを得ない体験を経て、心で育んだのは「後悔をしないように生きたい」という人生哲学だった。皿洗いや掃除を積極的に手伝うよう意識を変えた青年は、改めて、ラグビーという新たな道へ迷わず突き進むのだった。

浪人中は7時から23時半頃まで自宅や塾の机にかじりつき、「受かるだろうな」との確信のもと早大の計7学部に挑んだ。合格した4学部のうち法学部を選んだのは、兄の出た商学部よりステータスが高そうに見えたからだった。

「それまでは何をやるにしても先伸ばしにしていたところもありました。いまは、いまできることはいましっかりやろうという感じに変わったかなと」

「アカクロ」こと1軍ジャージィを掴むまでは、概ね計画通りに歩んだ。

まずは下級生のうちに身体を作り、勝負の3年目に強化指定選手用の寮へ招かれる。以後は2軍にあたるBチームでアピールを重ね、ラストイヤーに何とか「アカクロ」にそでを通す…。そんな「長期的目標」を掲げながら、「中期的目標」「短期的目標」も日々、更新してきた。

例えば1、2年時の身体作りでは、当時のBチームの同じ働き場の選手のトレーニング数値を指標に定めた。「そこに達するには、どの期間までにどれくらい(の重量を)上げられていればいいか、そのためにはどれくらいのトレーニングをするか…」との調子で、自分と向き合った。

父の眞之さんが作った水炊き鍋などで、栄養もバランスよく摂った。寮で食事を管理されるよりも前に、体重を入部当初の「74キロ」から「84キロ」に増やした。現在は「87キロ」で、特に下半身の強さに自信がある。高校時代のズボンは履けなくなり、某ファストファッションブランドの「伸びるやつ(ストレッチ素材)」にしか足が入らない。

初期段階の「短期的目標」には、基本プレーの習得や競技理解度の向上もあった。

経験者との全体練習ではできるのが前提となるハンドリング、タックルは、自宅での父とのパス交換、社会人の兄から教わった個人練習でカバーした。海外の試合映像を観た感想を書面にまとめ、その頃在籍していた大峯功三コーチからその内容をさらに深掘りしてもらった。

自分で立てた計画を自分で遂行できたことで、3年の夏前には「2寮」こと「早稲田大学ラグビー蹴球部第二学生寮」へ、昨季オフにあたる2020年2月には「1寮」と呼ばれる主力中心の「早稲田大学ラグビー蹴球部第一学生寮」に入居できた。

100人超の集団内で成り上がるための思考法を、本能で編み出していた。

「高校(野球部)ではただがむしゃらに、いっぱい練習すればいいという考え方だったんですけど、大学に入っていちから始めるにあたり、しっかりとしたプランを持ってやらないと追いつけないと感じた。ラグビーを始めたことで、自分のなかで考え方が変わったと思います。それは自分で感じたことです。誰かに教わったわけじゃない」

屈強な帝京大の選手をタックルで止める。坪郷の一番の持ち味だ(撮影:井田新輔)
屈強な帝京大の選手をタックルで止める。坪郷の一番の持ち味だ(撮影:井田新輔)

「周りがスゴくても関係ない」

坪郷と同学年で今季主将の丸尾崇真が覚えているのは、1年時の「新人練」での坪郷の奮闘ぶりだった。

毎年4月に約3週間ある「新人練」は、ルーキーにとっての最初の関門だ。全ての参加者が必ず入部できるわけではなく、ふるい落とされた学生が翌年に再挑戦して入部できた例は過去に何度もあった。手押し車や逆立ちなどの自重トレーニング、長短を織り交ぜた走り込みが立て続けに課され、心身が試される。

坪郷もこの恒例行事に悲鳴を上げた1人で、私鉄やJRを乗り継ぎグラウンド近くの上井草駅に近づくたびに「ここを通り過ぎれば楽になる」と懊悩した。兄に「お前が決めたことだから頑張れ」と言われ、何とか踏みとどまっていた。

驚くべきは、そんな極限状態にありながら「新人練」の直後は民間の会員制ジムへ直行していたことだ。兄の知人のトレーナーのもと、さらに汗を流した。周りは「他の部員はへとへとで早く帰宅したがるのに」と目を丸くした。

2017年度は一部選手の「新人練」参加が免除される方針で、元早稲田実業高主将の丸尾は先輩方との練習に加わっていた。1学年上の坪郷が「早く皆に追いつきたい気持ちが強くて。自分のペースで筋トレができるので楽しくできました」と自分を追い込んでいるのに触れるほど、丸尾は坪郷と一緒に試合に出るのが楽しみになった。

その願望は結局、帝京大との大一番で叶えられた。丸尾は、叩き上げとエリートが共存する自軍の特徴を再認識するのだった。

「本当の意味で真剣に努力をした人には、チャンスが転がってきます。それをものにするかは、その選手次第。坪郷は運よくものにしたチャンスを、帝京大戦に関しては掴んだのかなと」

坪郷が自身のポジションを兄が務めたセンターではなくフォワードのフランカーにしたのは、入学時に指導された銘苅信吾コーチに「ラグビーを学ぶならフランカー」と助言されたからだ。

ボールを持って相手とぶつかり、ボールを持った相手にぶつかり、ボールを持った味方を助けるのがフランカー。トライシーンやキックで出現するウイング、フルバックと比べてやや目立ちにくいものの、多くの攻防に加わるフランカーの出来はしばしば勝敗を左右する。いわばチームの命綱だ。

早大では、そのフランカーの主力候補が充実している。

11月23日の秩父宮での慶大戦では、2年生で相良南海夫監督の次男でもある相良昌彦、京都成章高卒ルーキーの村田陣悟を起用した。

下川が再三の好突破を披露し、故障から復帰したての相良が存在感を示した。この日は22-11と勝利もベンチ外の坪郷にとって、競争相手は手強い。

続く12月6日には、秩父宮で5勝1敗の明大と対抗戦優勝を争う。

元野球部員は、その前にもうひとつの勝負に挑む。

「周りが全国で活躍した選手であることは、ここまでくると関係ない。僕自身が自分の持ち味をアピールできるかです」

あの日、空に向かって約束したように、最後の最後まで悔いなき日々を過ごしたい。

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

  • 撮影松本かおり、井田新輔

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