化粧品販売員から転身 桂宮治「5人抜き真打」快挙への苦闘
「準備はできているか」
落語芸術協会会長の春風亭昇太から、桂宮治(44)に電話がかかってきたのは今年1月。仕事で長野県の善光寺に来ていた時のことだ。すぐにピンときた。真打(落語家の最高位)昇進の連絡だなと。宮治が振り返る。
「『はい、準備はできていいます』とスグに答えました。せっかく期待してもらっているのに、躊躇するわけにはいきませんから。ただ心境は複雑でしたよ。『やった! 嬉しい』と喜んだ反面、『どうしよう。オレにはムリだ』とネガティブな気持ちもありました。カミさんに電話すると『良かったね。がんばってきたんだし大丈夫よ』と励まされた。逃げちゃダメだと、覚悟しました」
来年2月に、真打になることが決まった宮治。5人抜きでの抜擢は、会長の昇太以来29年ぶりの快挙だ。しかも宮治は化粧品の販売員を経て、31歳で入門したという遅咲き。異例づくめの落語家の半生を、本人が振り返るーー。
「もともとは役者志望だったんです。東京の男子校を卒業して、芝居の養成所で3年間ほど勉強しました。週3~4日通って一日2時間の指導です。でも役者としての才能はありませんでしたね。借金のクセもつき、消費者金融から200万円も借りるような生活を送っていました。
そんな時です。先輩役者の紹介で化粧品セールスのアルバイトを始めたのは。これがハマった。量販店などで50~60人を集め化粧品を紹介すると、飛ぶように売れたんです。販売員時代は、全国を飛び回っていました。業界でも1~2位の成績をあげ、年収は一般的な20代サラリーマンの倍くらいあったんじゃないかな」
だが、購買意欲がない人に化粧品を売る仕事に次第に疑問を感じるようになる。
「セールスは立派な職業だと思いますよ。ただ、これを一生の仕事にしていいのか悩むようになったんです。役者時代に知り合い、結婚を決めていたカミさんに不安を口にすると、こう言われました。『おカネはなんとかするから、やりたいことをすれば』と」
31歳で入門し年下に怒鳴られる日々

とはいえ、いまさら役者に戻るわけにもいかない。落語と出会ったのは偶然だ。たまたまネットで桂枝雀の「上燗屋(じょうかんや)」の高座を見て衝撃を受けた。10回見て10回とも大笑いした。「落語なら好きになれるかも」。宮治が感じた瞬間だった。
「直後にカミさんとの結婚式があったんですが、そこで会社を辞めるとスピーチしました。突然のことで、社長はイスから転げ落ちるほど驚いていましたよ。でも結婚式のような大舞台で宣言しないと、気の弱い私では踏ん切りがつかない。自分から逃げ道を絶ったんです」
それから宮治は寄席通いを始める。現在の師匠(3代目・桂伸治)と出会ったのは、国立演芸場(東京都千代田区)で行われた定席公演だった。伸治がヘラヘラしながら袖から出てきた瞬間、体中に電気が走った。「この人だ!」とピンときたという。07年12月のことだ。
「師匠のスケジュールを調べ、末廣亭(東京新宿区)で待ち伏せしました。楽屋の入り口がわからず手土産の羊羹の紙袋を持ってウロウロし、私服警察官に職務質問されたこともあります。
師匠をつかまえられたのは、末廣亭で待ち伏せして3日目のことです。『弟子入りしたいです』と直訴すると、近くの喫茶店に連れていかれた。師匠は私の年齢(当時31)を聞いてビックリ。落語の知識も経験もないと言うと、二度ビックリしていました。師匠は言います。『やめときなよー。噺家で成功するのは一握りだよ。一生貧乏するかもしれないよー』と」
落語の世界に入るには、師匠から親に話をするのが慣例だ。だが宮治は30歳を過ぎ結婚していたため、妻が呼ばれた。
「浅草演芸場ホール(東京都台東区)近くの喫茶店でしたね。そこでも師匠は、カミさんを『やめときなよー』と説得します。1時間ほど話したでしょうか。師匠が『それでも噺家にしたいのかい?』と聞くと、カミさんはテーブルに両手をついてキッパリ答えました。『はい、よろしくお願いします』と。迷いのない回答に、ようやく入門が許されました」
08年2月に、正式に伸治の門下生となった宮治。だが現実は甘くなかった。落語の世界は独特。着付けについての知識もなければ、人によって好みが異なり出すべきお茶も違う。年下の先輩から怒鳴られる日々。子どもも生まれた。赤ん坊をあやすために自宅のある戸越銀座(東京都品川区)を深夜、疲れた身体でベビーカーをひいて歩いたこともある。
「『今日も修業かぁ』と、ため息をつきたくなる日もありました。ただ悲壮感はありませんでしたね。貧乏でしたが、『人生をかける仕事をしているんだ』と充実していました」
重圧を解放した「カミさんの言葉」

半年もすると、先輩に可愛がられるようになる。12年3月には前座から二ツ目に昇進。その7ヵ月後の10月に転機が訪れた。
「NHK新人演芸大賞の落語部門で大賞をいただいたんです。予選を突破して本選に出られればいいやぐらいに思っていたので、驚きました。同時に『やっちゃったな』とも感じた。実力がともなっていないのは、自分でよくわかっていましたから。会社員としての経験上、調子に乗るといいことはない。とにかく慢心しないよう、気を引きしめました」
大賞の受賞で、こなせないほどの仕事が舞い込む。しかも二ツ目の宮治が真打の先輩と高座に上がるなど、プレッシャーをともなうものばかり。毎日が必死だった。
「『オレにできるわけがない』と弱気になることも、たびたびありました。そんな時に励ましてくれたのはカミさんです。『後悔するならやってみてからにすれば。大丈夫だよ。一所懸命やってきたんだから』と。一生の仕事と決めた落語です。カミさんの後押しで、絶対に逃げないと歯を食いしばって続けました。
真打への昇進が決まった時も、カミさんはこう言ってくれました。『落語の人たちって素晴らしいね。ちゃんと頑張っている姿を見て評価してくれるんだから』。本当にその通りだと感謝しています」
宮治には好きな言葉がある。「明るいところに花が咲く」。一言求められれば、色紙にはこの言葉を書いている。
「笑っていれば、必ずいいことがあると信じています。お客様には、笑ってスッキリしてもらいたい。そのために噺家がいるんです。師匠の言葉は、いつも胸に刻んでいます。『噺家の中で一番面白いとお客様に思ってもらえるように努力しろ』と。やることは一つ。せっかく足を運んでくれたんですから、お客様を心から楽しませたいです」
販売員を辞め、31歳で噺家の世界に飛び込んだ宮治。入門から13年で、最高位に登った。だが、これがゴールではない。今後は一生の生業として、落語を極めようと心に誓っている。


撮影:桐島 瞬