昭和の野球界を沸かせた「殿堂入りしていない名選手」列伝

殿堂入りしていてもおかしくない名選手、10人!

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1980年4月、2000本安打を達成して喜ぶ松原誠(横浜大洋ホエールズ)

今年も日本野球殿堂入り候補者が発表される季節となった。プレーヤー表彰では松中信彦、山本昌、小笠原道大など、数年前まで観客を沸かせていた選手が候補になっている。

野球殿堂に選出されるのは、野球人としての最高の栄誉だ。野球を目指す人にとって究極の目標といっても良いだろう。

野球殿堂はプレーヤー表彰、エキスパート表彰、特別表彰の3部門に分かれ、それぞれベテラン野球記者や野球関係者、学識経験者などによって選出される。

野球選手の場合、プレーヤー表彰の候補となって75%以上の得票があれば殿堂入りする。ここで漏れてもエキスパート表彰に回って選出されることもある。

現役時代の実績によって選出されるが、そのハードルは高い。投手の場合「200勝」が十分条件と言ってよい。今後はセーブやホールドの評価が問題になってくるだろう。しかし打者は「名球会」の入会資格である「2000本安打」は必要条件になりつつある。2000本安打に加えて、特筆すべき功績がなければ選出されなくなっている。

また原辰徳や星野仙一のように現役時代の実績に加え、監督での功績が加味されることもある。

候補には何度か殿堂入りのチャンスがあるが、野球史を見渡すと、実績的に見て殿堂入りしてもおかしくないと思われる野球人が殿堂入りせず、現時点では候補にさえエントリーされていないケースが散見される。そのうち10人を時代順にピックアップしたい。

川崎徳次(かわさきとくじ・1940ー1957年 南海ー巨人ー西鉄)投手
505試合188勝156敗2870.1回1148奪三振 防御率2.53
久留米商、撫順炭鉱から南海へ。ちぎっては投げの「早投げ」で知られた。最多勝2回、防御率1位1回。終戦直後の巨人のエースで新球団西鉄でもエースになる。打撃も得意で、1949年4月26日の大映戦では1試合3本塁打を記録している。

毒島章一(ぶすじましょういち・1954ー1971年 東映)外野手
2056試合1977安打122本塁打688打点191盗塁 打率.277
群馬、桐生高出身。東映のリードオフマンとして長く活躍。守備範囲が広い外野手としても知られ、ベストナイン3回。主将として張本勲、大杉勝男、土橋正幸などの荒武者を統率した。最多三塁打が3回。通算106三塁打は、福本豊に抜かれるまでNPB記録だった。
2000本安打まであと23本でコーチとなり引退。

中暁生(なかとしお・1955ー1972年 中日)外野手
1877試合1820安打139本塁打541打点347盗塁 打率.277
群馬、前橋高から中日へ。俊足巧打の外野手。高木守道との1、2番は名コンビと言われた。
首位打者1回、盗塁王1回。最多三塁打5回。セーフティバントを得意とした。妨害出塁21回はNPB史上最多。中利夫、中三夫、中暁生と登録選手名を何度も変えた。

小野正一(おのしょういち・1956ー1970年 毎日・大毎・東京ー大洋ー中日)投手
671試合184勝155敗2909回1116奪三振 防御率2.80
社会人野球の清峰伸銅から毎日オリオンズへ。185㎝の長身左腕。荒れ球だが剛速球で知られた。大毎時代の1960年には33勝(最多勝)、防御率1.98(1位)と歴史的快投でリーグ優勝に貢献した。中日時代に「黒い霧事件」への関与が疑われ、退団した。

石井茂雄(いしいしげお・1958ー1979年 阪急ー太平洋・クラウンー巨人)投手
705試合189勝185敗3セーブ3168回1435奪三振 防御率3.46
岡山の勝山高校から阪急へ。梶本隆夫、米田哲也、足立光宏と「投手王国」を担う右腕。先発、救援何でもござれの万能投手。10勝以上8回、20勝2回。最高勝率1回。晩年は超スローボールで強打者たちをほんろうした。

松原誠(まつばらまこと・1962ー1981年 大洋ー巨人)内野手
2190試合2095安打331本塁打1180打点82盗塁 打率.276
埼玉、飯能高から捕手として入団するが、一塁手、三塁手として活躍。大洋の不動の中軸打者。べたっと足を180度開脚する華麗な一塁守備でも知られた。しかし王貞治、長嶋茂雄と実働期間が完全に重なったために一度もベストナインに選ばれず。

白仁天(はくじんてん・1963ー1981年 東映・日拓・日本ハムー太平洋ーロッテー近鉄)外野手
1969試合1831安打209本塁打776打点212盗塁 打率.278
韓国農業銀行から日本のプロ野球へ。当初は捕手。俊足で長打もある身体能力の高い選手。太平洋時代の1975年に首位打者、ベストナイン。1982年に韓国プロ野球ができるとプレイングマネージャーとして参戦。打率.412で初代首位打者になった。

木俣達彦(きまたたつひこ・1964ー1982年 中日)捕手
2142試合1876安打285本塁打872打点20盗塁 打率.277
中京大から中日へ。巨人V9時代のセ・リーグにあって、屈指の「強打の捕手」。3割を4回マーク。ベストナイン5回。豪快な「マサカリ打法」で鳴らした。巨人V10を阻止した1974年の優勝時にはリーグ2位の打率.322を記録。星野仙一、松本幸行らの球を受けた。

成田文男(なりたふみお・1965ー1982年 東京・ロッテー日本ハム)投手
534試合175勝129敗8セーブ2781回1657奪三振 防御率3.20
東京、修徳高から東京に。1970年には小山正明、木樽正明と先発3本柱を形成して優勝に貢献。最多勝2回、最多奪三振1回。高速スライダーを駆使して野村克也、張本勲らパのなみいる強打者と対峙した。守備もうまくダイヤモンドグラブ(現・ゴールデングラブ)1回。

山崎裕之(やまざきひろゆき・1965ー1984年 東京・ロッテー西武)内野手
2251試合2081安打270本塁打985打点137盗塁 打率.265
埼玉、上尾高から入団。大型内野手として「長嶋二世」と期待される。強打の二塁手としてベストナイン5回、ダイヤモンドグラブ3回。勝負強い中距離打者だった。1979年には新生西武ライオンズに移籍、1982、83年のリーグ優勝に貢献した。

昭和の時代に活躍したこれらの選手たちは、今や忘れ去られた存在だが、エキスパート表彰部門で再度エントリーしたうえで、その功績をしっかり評価してほしいと思う。

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

  • 写真共同通信社

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