“暗黒時代”のエースが語る「90年代の阪神が弱かった理由」 | FRIDAYデジタル

“暗黒時代”のエースが語る「90年代の阪神が弱かった理由」

懐かしのOBたちが集結! 虎党の聖地が新橋に誕生

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「野球の話は、もちろん無料です!」コロナ逆風の中、店を始めた川尻氏。背景のオブジェは98年にノーヒットノーランを達成した際のスコアボードを再現したもの
「野球の話は、もちろん無料です!」コロナ逆風の中、店を始めた川尻氏。背景のオブジェは98年にノーヒットノーランを達成した際のスコアボードを再現したもの

飲食未経験・コロナ逆風の中の開店

新型コロナウイルスの影響で、飲食業界に再び逆風が吹き始めた12月1日、新橋駅のほど近くに阪神タイガースの“暗黒時代”を知る男が居酒屋をオープンさせた。

1990年代の虎のエース・川尻哲郎氏である。

「関西には多いのですが、関東で阪神ファンが集まれるお店って意外と少ないんですよ。この店が関東の阪神ファン、野球ファンが楽しめる店になればいいなと思って始めました」(川尻氏)

現役引退後、独立リーグの監督や野球教室などを開いていた川尻氏にとって、飲食業は「全くの未経験」だという。こんな時期になぜ……。

「いまは飲食業にとても厳しい時期です。でも僕は『だからこそ逆にチャンスある!』と考えたんです」

川尻氏が在籍した1995年~2003年の9年間の阪神は、圧倒的に弱かった。Bクラスが8回、うち最下位が6回。そんな“大逆境”の中で3度の二ケタ勝利やノーヒットノーランを成し遂げた川尻氏の言葉には、妙な説得力がある。

「メジャーに行きたかった」

川尻氏といえば、その独特な投球フォームが忘れられない。サイドスローから、140キロを超える速球と多彩な変化球を投げ分け、魔球・ジャイロボールも操った。

その右腕がもっとも輝いたのが、1998年中日戦でのノーヒットノーラン、そして同年秋の日米野球だった。川尻氏はMLB選抜の強打者たちを手玉にとり、無失点に抑える大活躍をみせたのだ。虎党の積年のうっぷんを晴らす痛快なピッチングだった。

「メジャー、行ってみたかったねぇ。結局行けなかったけど(ポスティングを直訴するが球団から認められなかった)……。

当時の写真はいろいろ飾ってありますが、青いヘルメットの外国人選手と対戦している写真が出てきて、中日の選手かと思ったら、マイク・ピアザ(ドジャースなどで活躍した強打の捕手)だった(笑)。せっかくなんで飾ってありますよ、店のトイレに(笑)」

日米野球でMLB通算608本塁打のサミー・ソーサバットをへし折った川尻氏。店内にはたくさんのお宝が隠れている
日米野球でMLB通算608本塁打のサミー・ソーサバットをへし折った川尻氏。店内にはたくさんのお宝が隠れている

阪神OBが登場

川尻氏の店が虎ファンや野球ファンにとってたまらないのが、川尻氏以外にも不定期で阪神OBが店にやってきて、気軽にいろいろな話が聞けることだ。

この日は、ユーティリティプレーヤーとして活躍した星野修内野手(阪神在籍1993年~2001年、2002年より登録名「星野おさむ」)、ケガに泣いたドラフト1位・的場寛壱内野手(阪神在籍2000年~2005年)の両氏が店を訪れ、お客さんとの会話を楽しんでいた。

「ジリさん(川尻さんの愛称)は本当に優しくて、当時から『ごはん食べに行こう』とかよく声をかけてもらったんですよ。裏表のない方で、今でもお世話になっています」(的場氏)

「彼とは(阪神退団後に移籍した)近鉄、楽天でもチームメイト。投手と野手はそれほど交流はないものですが、彼は別です」(星野氏)

せっかくなので、3氏に当時の阪神の話を聞いてみよう。

この日集まった元虎戦士。川尻氏(中央)とBC・福島でGMを務める星野修氏(左)。的場寛壱氏(右)が着ているユニフォームは、暗黒時代の名救援投手・伊藤敦規氏のもの
この日集まった元虎戦士。川尻氏(中央)とBC・福島でGMを務める星野修氏(左)。的場寛壱氏(右)が着ているユニフォームは、暗黒時代の名救援投手・伊藤敦規氏のもの

なぜ阪神は弱かったのか

1990年代の阪神はなぜ弱かったのだろうか。

「んん~確かにあのころは弱かったよね。一つ勝てば優勝とまではいかないけれど、かなり盛り上がったくらいですからね」

と語る川尻氏にうなずいたのは、星野氏。現在は、BCリーグ・福島レッドホープスのGMを務める同氏はこう分析する。

「やはり、しっかりとした4番打者がいなかったですよね。軸となる4番がいないと周囲にどんな選手がいてもチームはなかなか勝てないものなんですよ」

負け続けるとベンチの空気も重苦しくなり、チームもギクシャクしないのだろうか?

「いやいや、選手たちの仲が悪いから弱かったわけじゃない。逆にベンチのムードは悪くなかったです。どちらかといえば仲の良いチームでした。

よく主力選手とかで派閥ができて、『○○はどっち派だ』みたいな話もありますけど、当時の阪神はそんなことは全くなかった。だから弱かったのかもしれないけど(笑)」(川尻氏)

店内のモニターでは川尻氏のノーヒットノーランの瞬間のビデオが流れている。それを見ながら星野氏が言う。

「これ見ると、ものすごいチームメイトが喜んでいるでしょ。最後のショートゴロをさばいたのは今岡(誠・現ロッテ二軍監督)。彼、ガッチガチですね(笑)。僕はベンチにいましたけど、大盛り上がりでしたよ。そういうチームだったんです」

2002年、星野仙一氏が監督に就任。翌2003年に阪神は18年ぶりのリーグ優勝をはたし、ダメ虎”時代は終焉を告げた。そのころのチームについて的場氏は言う。

「チーム内はピリッとしたムードがありましたよ。同じポジションの選手同士のライバル意識とかも強かったです。主力選手は派閥というより、それぞれ独立したスタイルを持っていましたね」

理不尽すぎるヤジ

甲子園球場の名物といえば、虎党からのヤジ。気にならなかったのだろうか。

「『ヤジっているな』というのはわかるんですけど、マウンドに立っているとヤジなんて気にしていられないですからね。登板している時は打者との勝負ですよ」(川尻氏)

「ベンチにいるとよく聞こえるんですけどね。試合に出ている時は全然気にならなかったです」(星野氏)

「僕はヤジは結構聞こえたほうですね。試合中の『ボケ!』とか『カス!』とか。練習中も大変でした。『お~い的場!』とか言われて振り向くと『集中しろ!』と怒鳴られ、振り向かないと『聞いてんのか! 無視するのか!』と怒鳴られる(笑)」

ちなみに球団から選手へファンへ対応の仕方などの指導はなかったそうである。

朝まで飲んでノーヒットノーラン

川尻氏は11年、星野氏は17年間プロ野球選手としてプレーした。厳しいプロの世界で大成するには何が必要なのだろうか。3氏が挙げたのはフィジカルの強さ、特に内臓の強さである。

まずは川尻氏。

「やはり長いシーズンで安定した成績を残すには、体力がないとダメ。どんなに上手くても体力不足だといい結果を出しても続かない。同じパフォーマンスが発揮できなくなって、埋もれていってしまうんです。

成功する選手はとにかく酒が強いとか、ものすごい大食漢とか、とにかく内臓が強い選手が多かったと思いますよ。

ちなみに僕もノーヒットノーランを達成した日は朝の7時まで飲んでました。それから登板したんですけど、ものすごく調子が良くて(笑)」

続いて的場氏。

「僕が見て驚いたのは井川慶。お酒は飲まないんですけど、とにかく食べる! 例えばステーキ屋さんで食事するとき、キロ単位でステーキを頼むと、それをペロリと食べる。食べ終わったなと思ったら『おかわりください』ですからね(笑)。あと、お酒だと金本(知憲)さんが強かったですね。ジリさんもお酒は強かったです。僕は…あまり内臓が強いほうではなかったと思います」

一方、星野氏は入団当時、「とにかく食べさせられた」という。食べさせた相手とは、球団OBの川藤幸三氏だった。

「川藤さんは当時、解説者をやられていたんですけど、寮にもよく来てくれて、新人だった僕らに『飯食ったか?』と聞いてはお好み焼き屋や焼肉屋によく連れてってくれたんです。とても美味しいんですが、川藤さんの注文が止まらない。毎回食べきれないくらいに注文して、『食べろ食べろ!』ですから…。あれはトレーニングだったのかな。これがプロの世界なんだって思いましたよ(笑)」

気づけば元虎戦士たちの話を肴に酒が進み、店内は大盛り上がりに。これぞ川尻氏が描いたお店の理想像だったことだろう。

******************

「野球の話は、もちろん無料(笑)。気軽にお越しください」

そう語る川尻氏。月に一度、阪神OBのトークイベントなどの開催も予定しているという。12月19日、20日には濱中治氏のファンミーティングを開催するなど、毎月阪神OBのトークイベントなどを開く予定。詳しくは下記HPをチェック。もちろん感染症対策も十分だ。

■虎戦士居酒屋 虎尻

住所:東京都港区新橋2-9-14三浦ビル2F

営業時間:16:00~23:00

定休日:日曜日、祝日(イベント日を除く)

URL:https://torajiri.crayonsite.com/

店はJR新橋駅日比谷口のSL広場から徒歩30秒という好アクセス。ド派手な虎柄の看板が目印だ
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店内には阪神ファン垂涎のグッズが多数展示。本物のユニフォームを着用しての写真撮影も可能だ
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看板メニューのひとつ「鳥の唐揚げの六甲おろし」。「魔球(ジャイロボール)土手煮」「海老新庄」「グリーンウェルサラダ」などファンにはたまらないメニューが満載だ
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ホールを担当するスタッフが着用するのは、スタジアムのビール売り子が来ているものとまったく同じユニフォーム。球場気分が味わえる
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この日は、福島県からやってきたという星野氏
この日は、福島県からやってきたという星野氏
「いろいろな人に支えられてオープンできたました」(川尻氏)。背景のスコアボードもスタッフたちの手作りだという
「いろいろな人に支えられてオープンできたました」(川尻氏)。背景のスコアボードもスタッフたちの手作りだという
  • 取材・文・写真福嶌弘

    1986年横浜生まれ。日本ジャーナリスト専門学校卒業。フリーライターとして活動。幼少期より競馬・野球に興味を持ち、バイク、クルマ雑誌の編集部を経て2015年より独立。『がっつり!プロ野球』(日本文芸社)、『YOKOHAMA DeNA BAYSTARS SHOULDER BAG BOOK』(宝島社)WEBサイト「BASEBALL KING」などに執筆。

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