ダンテ・カーヴァーが初めて明かす「親友・芦名星さんとの思い出」
「星ちゃんは優しい人でした。芸能人というと天狗になっている人のイメージを持つかもしれませんが、彼女はまったくそんなことはなかったです。仕事でうまくいかないことがあっても、周りに対して不満を持つのではなく、自分自身に対して“なぜうまくいかなかったのか”と問いかけるタイプでした。一緒に仕事をしていて、僕も刺激を受けたし、演技をしていて楽しかった。僕は、彼女と一緒に仕事をするのが大好きだったんです」
俳優のダンテ・カーヴァーは、声を詰まらせながらそう語った。
今年9月14日に亡くなった女優の芦名星さん(享年36)。あまりに突然の別れに、誰もがまだその死を受け入れられずにいる。
ダンテは映画『七瀬ふたたび』(`10年公開)や映画『good people』(`19年公開)で芦名と共演し、プライベートでも交流があった。12月中旬のこの日、都内で本誌のインタビューに答えたダンテは、時折涙ぐみながらその悲しみを吐露した。
一緒にオリジナル映画を作った
芦名さんとの出会いは`10年、『七瀬ふたたび』の撮影が始まった時期だったという。
「撮影の休憩中に雑談をしていて仲良くなりました。きっかけは、彼女があるアート系の映像を見せてくれたこと。その映像が素晴らしくて、『誰が作ったの?』と訊いたら、後に『good people』の監督を務めることになる渋谷靖さんでした。星ちゃんは、渋谷監督を紹介するよと言ってくれた。そこから『自分たちの仲間や友達を集めて、みんなでオリジナル映画を作りたいね』という話になり、『good people』の原案が出来上がったんです」
一緒にオリジナル映画を作るほど芦名さんと気が合ったダンテは、海外での活動を目指す彼女に英語のレッスンをすることもあった。
「『七瀬ふたたび』の撮影中にも、星ちゃんは海外のオーディションをよく受けていました。星ちゃんがセリフの練習をしたいと言ったときは、僕が英語の発音を教えていたんです。よく『いつ時間ある?』って聞かれましたよ。
お互い仕事もあったので、早朝や深夜に時間を作ってはカフェやレストランで練習し、時にはスカイプやフェイスタイムなどを使ってオンラインでもレッスンをしました。もちろん、それ以外の話もたくさんしましたよ。日本の芸能界の話や日本のライフスタイルについてとか。僕と星ちゃんには、ハリウッド映画に出たいという同じ夢があったから、仲良くなれたのかもしれません」

芦名さんの人柄に関しては、「礼儀正しく努力家だった」と語る。
「周りの人に対してリスペクトがある方でした。俳優さんにもメイクさんにも監督さんにも、誰にでも同じように接することができる。プライベートでごはんに行っても礼儀正しい。日本でも好かれていましたが、アメリカで仕事をしても彼女の性格なら絶対に人気になると思っていました。だから亡くなったと聞いたときはすごく、いや、かなりショックでした。
よく、仕事でスランプがあって、とか、海外の仕事と日本の仕事とのバランスをどう取って行けばいいのか、とかそういった悩み相談は受けていましたが、亡くなってしまうほど辛い思いをしていたなんて……まったくわかりませんでした」
芦名さんは仕事に関して完璧主義なところがあった。ダンテにとっても、彼女の仕事に対する姿勢がもっとも印象に残っているという。
「星ちゃんとの印象的な思い出はたくさんありますが、一番は『七瀬ふたたび』で彼女がワイヤーアクションにチャレンジしていたときのことです。彼女はワイヤーアクションが痛くて少し苦手だと言っていました。でも、頑張りたいからどうしたら乗り越えられるかと僕に相談してきたことがあったんです。
僕は、『何でも絶対にできると思えば頑張れるんだよ』とアドバイスしました。撮影の前には、僕が『根性はあるか』と聞いて星ちゃんが『あります!』と答えるやり取りを3回繰り返してから気合いを入れて本番に臨んでいました」
最後の会話は「またごはんに行こう」「いつでも大丈夫」
そんなダンテが最後に彼女と会ったのは、`19年12月19日、映画『good people』の舞台挨拶でのことだった。
「この映画は`12年から少しずつ撮影していたので、舞台挨拶で久しぶりに星ちゃんに会ったときは、撮影が始まったときのフレッシュな気持ちを思い出しました。彼女の楽屋に入ったら部屋が輝いて見えるほどオーラがあるんです。そのときは、2~3週間後くらいにごはんでも行こうって約束していました。
でも、お互い忙しくしている間に新型コロナウイルスが流行し、会えなくなってしまった。最後に電話で話したのは緊急事態宣言が出た後くらいでした。僕が『また落ち着いたらごはんに行こうよ』と言うと、星ちゃんも『いつでも大丈夫』と答えてくれた。そして、それが最後になりました。こんな形でお別れになるなんて…思ってもいなかった。いまでも、彼女ともっと話がしたかったと、ふと思う時があるのです」
芦名さんが何に悩み、苦しんでいたのか――。彼女がいなくなってしまった今、それは誰も知ることができない。