「恩師」が語る三浦春馬さんの少年時代とプライベートな素顔 | FRIDAYデジタル

「恩師」が語る三浦春馬さんの少年時代とプライベートな素顔

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昨年の夏、茨城県鉾田市の海岸にて。休憩中の三浦春馬(卯都木睦氏提供)。

「春馬からは、俳優として何が何でも食っていくという気概を感じていました。彼は俳優一筋でしたし、僕はヒーローやサーファーとしての活動をしている。形は違いますが、『俺達は二人とも潰しがきかない仕事なんだから、それを考えてしっかりやらないとな』と励まし合っていた。春馬は、『頑張るしかないですよね!』と、前向きでした」

7月18日に亡くなった三浦春馬さん(享年30)について、彼が趣味としていたサーフィンの師匠であり、茨城県を中心に活動するオリジナルヒーロー『時空戦士イバライガー』の運営に携わっている卯都木睦(うつぎ・あつし)氏はそう語った。

卯都木氏は三浦の地元・茨城県在住で、三浦が14歳の頃から親交があった。突然の訃報から5ヵ月が経った12月中旬、卯都木氏は本誌の取材に答え、三浦の知られざる素顔を語った。

三浦が14歳のとき、卯都木氏は初めて彼にサーフィンの指導を行った。そのときの記憶について卯都木氏はこう語る。

「素直で礼儀正しい子供でした。その辺にいる“普通のお子ちゃま”みたいな印象です。当初、彼は特別サーフィンに興味があったわけではありません。映画の役作りのために、サーフィン経験者が見てもおかしくない程度のスキルを身に付けたいといった感じでしたね」

舞台挨拶の前にもサーフィン

初めは役作りのためにサーフィンを始めた三浦だったが、卯都木氏の指導を受けるうち、徐々にサーフィンにのめり込んでいく。

「映画の撮影が終わった後、春馬が『自分のライフスタイルに合わせて続けてみたい』と相談してきたので、指導を続けることになったんです。当初は単純に波に乗ることが楽しかったようですが、そのうちサーフィンの奥深さを知ったのだと思います。サーフィンは座禅に近く、“無”の状態になれる。春馬もそういったところに魅力を感じていたんでしょう。

僕は春馬に対して、自分の子供と同じように接してきました。サーフィンについても、『人生とサーフィンは一緒だから、目の前にある波に乗れば良いというわけじゃない。目の前じゃなく、お前の後ろから来ている波のほうがもっと良い場合もある。冷静に色々な状況を見ろ』と指導していたんです。こういう話をすると、春馬は『反省します』って真面目に聞いていましたね。

会うたびに、『次はこんな作品が決まった』と話していて、俳優としてトントン拍子に階段を上っている印象を受けましたが、僕の中では春馬は中学生のときと何も変わらない、一人の教え子であり自分の子供のような存在でした」

人気俳優としての地位を確立した後も、三浦は変わらず、茨城の卯都木氏のもとに通い続けた。

「今年はコロナであまり来ていませんでしたが、それまではロケが茨城であったり、スケジュールが空いていたりするときは週に2回くらいのペースで来ていました。ある日、一緒に海に出ていたら『今日は早めに上がらなきゃいけないんだ』と言うから、なんでだと聞いたら、『都内で映画の舞台挨拶があるから』と。忙しい仕事の合間を縫って来ていたんです。すると翌日また春馬から、『卯都木さん、明日何してんの?』と電話が来て、サーフィンをすることになりました。

昨年の元日も、一緒に海に行ったんですよ。年末に電話が来て、『元日、ヒマ?』って言うので。春馬が『初詣に行こうよ』と言うので、それも一緒に行きました。するとまた翌日に電話が来て、『明日は何してんの?』と。それで結局、3日にまた海に行きましたね」

「悔しがり屋で努力家」

三浦の性格については、「悔しがり屋で努力家」だと語る。

「サーフィンで失敗すると、どうしてこういう失敗をしたのかと研究し、休憩時間にも一生懸命練習していました。仕事についても、ハリウッド作品に出たいと言って、英語を勉強していましたね。先のことを考えて殺陣を習ってると話していたり、とにかく来る仕事に対して前向きで研究熱心でした。時代劇『眠狂四郎』に出ていた田村正和の演技が印象に残っていたみたいで、あんな役をいつかやってみたいと話していたこともありました」

卯都木氏が最後に三浦と連絡を取り合ったのは、今年の3月だった。30歳で命を絶った三浦。将来やりたいこともまだたくさんあった。

「なるべく早く結婚したいな、30歳までに結婚したい、という話をしていました。子供がワイワイ騒いでいるような賑やかな家庭を築きたいと」

だが、そんな彼の夢が叶うことはなかった。そして、三浦の死は、ファンや世間の人々にも大きなショックを与えた。彼の死以降、卯都木氏のところにはいまだに毎日200本くらいの電話が入る。三浦の死に強い衝撃を受けた人達からだ。

「自分は春馬の親代わりでしたから、親の責任としてそういう人たちを元のレールに戻さなければ、と思っています。出られる限り電話に出て相談に乗る毎日ですが、それが春馬への一番の供養になると考えています」

溢れる才能と努力で人気俳優への道を一気に駆け上がった三浦。彼は、誰からも愛される役者だった。

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