『7つの習慣』翻訳者がほうほうのていで逃げ出した業界の闇

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2000年に刊行されたベストセラー『7つの習慣 最優先事項』(キングベアー出版)の翻訳をつとめた宮崎伸治氏による新刊『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 こうして私は職業的な「死」を迎えた』(三五館シンシャ)が大きな話題を呼んでいる。12月20日現在、発行部数は1万6000。発売1ヵ月弱で重版が決まった。

『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記 こうして私は職業的な「死」を迎えた』(三五館シンシャ)

宮崎氏はかつて出版翻訳家として精力的に翻訳の仕事に取り組み、60冊ほどの著訳書に携わってきた。同時に作家としても活動していたが、いまから8年前、出版業界から足を洗っていた。本書には宮崎氏が翻訳家としてデビューしてから活躍の場を広げていきながらも、出版社都合の刊行延期や刊行見合わせにより疲弊し、最終的に業界から去った顛末が、軽快にそして赤裸々に綴られている。

「急いで訳してほしい」と頼まれたことから超特急で翻訳作業を行なった書籍がなかなか発売されず、出版社から音沙汰もない。問い合わせると「出版中止を視野に入れている」という驚くような言葉。さらには印税カット……そんな出来事は宮崎氏がいわゆる“売れっ子”になってからも続いた。

こうした現状を、今現在出版業界に身を置く作家や翻訳家は公にしづらい。出版社から“面倒臭い相手”と見なされ仕事がこなくなることを心配するからだ。本書は一度“足を洗った”者にしか書けない内容でもある。業界を去って8年、現在は警備員として生計を立てている宮崎氏がいま、この本を出すに至った理由、そして出版業界を生き抜くために重要なことを聞いた。

「実は本書は、本として出版するつもりで書き始めていたわけではありませんでした。なぜなら2つの理由により、本として出版できるとは思っていなかったからです。

ひとつは、今、紙の書籍が出しづらくなっているという出版業界の事情があります。そのうえ私は、本書に記したような出来事により出版社不信が強くなっていることから、次も裏切られるのではないかという不安が消えず、商業出版を行なっている出版社に売り込む気力もなくなっていました。

もうひとつは、本書ではあちこちの出版社との出来事を綴っていますし、本人訴訟まで行った人間ですので、そんな『怖い人』が書いた『怖い』ものを出したいという出版社は見つからないだろうと思っていたんです。

出版しようと思っていなかったのになぜ書いたか。その理由は2つあります。ひとつは書いたというよりも書かざるを得なかった、勝手に書いてしまったということです。

人間、あまりにも悲しいことや辛いことがあったとき、それを何らかの形で発散したくなるものだと思います。お酒を飲む人もいれば、カラオケに行く人もいるでしょう。フラストレーションの発散の方法にはいろいろあると思いますが、私にとっては、書くことが一番の“精神の浄化”につながります。

もうひとつは、これを書き溜めていって、もし例えば商業出版できなくても自費出版することができるのであれば、読んでくださった人の中にはもしかしたら『転ばぬ先の杖だ』と思ってくれる人がいるかもしれない、という期待が少しはあって書いていました。

私はたまに民事裁判を傍聴するのですが、ある裁判で翻訳家が7年がかりで訳した1650ページにもわたる訳書を出版中止にされたこと、この出来事で『死すら考えることがある』と陳述書に綴っているのを見たときは、出版業界を改善するために何かできないかという思いが強くなったという事情もありました」

——出版とは関係なくご自身で書かれていたんですね。どういった経緯で出版に至ったのでしょうか。

「悲しく辛い体験のみを綴ってそのまま何年も放置していたのですが、今年6月に新聞広告で三五館シンシャさんの書籍広告を拝見しました。そこで『交通誘導員ヨレヨレ日記』(柏耕一著)をはじめとする『実話日記シリーズ』をやっておられることを知り、眠っている原稿をダメ元で託してみようという気になりました。

電話してお話ししたところ『サンプル原稿を送ってください』ということで、本書の三分の一ぐらいの分量だった、辛い体験のみを書き綴っていたものを送ったら『書き足してもらったら出します』という話になって。その後、出版社の意向で、出版翻訳家としての成功体験も含め、喜怒哀楽を全て含めた作品にしてみてはいかがか、というお話があり、現在の作品になりました」

——たしかに、悲しいお話だけでなく、宮崎さんご自身が仕事を獲得するためにどのように努力したかということや、苦労したお仕事が実を結んだ時の喜びも書かれており、学ぶところがとても多いです。出版業界においてフリーランスが独り立ちするために、宮崎さんが特に大事だと思われることは何でしょうか。

「文筆家や翻訳家には年齢制限がありません。ですから早く文筆家・翻訳家になろうとするよりも、あせらずに経済的な基盤を作りながら文筆家・翻訳家としての実力を蓄え、経済的な基盤が盤石になってからフリーランスになったほうが職業生命はむしろ長くなると思います。

経済的な基盤がないままフリーランスになってしまうと、お金を稼ぐために自分に合っていない仕事や、超特急の仕事など、次から次へと仕事をこなさなければならなくなります。しかしそのようなことをしていると、たとえ次々と作品を出せたとしても結局、ファンもつかないですし、ファンを裏切ることになります。早死ににつながりかねません。私がそのよい例です」

——やはり、成果物を良いものにするための環境を整えることが最も重要でしょうか。

「それが一番いいと思いますね。中には例外的に、『お金のために』とか、困窮していることをモチベーションにして頑張る方もいるでしょうし、それでうまくいく方もいるかもしれません。しかしほとんどの方はおそらく、そういうモチベーションでやってると、なんだか怪しい仕事依頼に乗ってしまったり、好条件に乗ってしまって、悲しい目に遭いがちです。

また、超特急の仕事を何回もやるとやっぱり、文章は荒れたまま出すことになるので、私の若い頃の作品は心残りがあるものも多いですよ。

編集者は、翻訳家や作家にお仕事を引き受けてもらいたいから、印税もちょっと高めに言ったりすることがあります。『これは最低でも初版で1万部ぐらいは刷りますよ』などと良いことを言って引き受けさせておいて、反故にしたり……」

——口約束で好条件を出されて、あとから実際はそうではなかったことが分かったり、話が変わったりするのは、仕事を始める前に出版契約書を締結する会社が少ないという“業界の慣習”みたいなものも影響しているのではないかと思います。事前にどのような仕事の内容かをしっかり確認できないままに仕事を受けなければならないのは辛いですね。

「最初から出版契約書を出してくださったのは、本書の三五館シンシャさんを含めて2社だけです。あとはすべて本が出版された後になってからです。仕事の話が来た時に求めても『うちはそんなことを言う作家はいません』とか『信頼関係でやっていきましょうや』とか『印税はエイト(8パーセントの意)、それがわかっていればいいでしょう』とか言って、はぐらかされるのがオチでした。

ただし、覚書を出してくれた会社はありました。書き手の方から求めにくい場合でも、最低限、メールででもいいので、条件を書いて送ってもらうことは必要です。メールでも覚書がわりになりますので、あとで証拠として役立ちます。これすらしていなければ、書き手にも落ち度があったと言われても仕方がありません」

——様々な出来事を経てある出版社と訴訟になり、和解となったのち、新たに仕事を受けることが不安になったとご著書にありました。この時期も、おそらく仕事の依頼はあったと思うのですが、どのようなやり取りがあったのでしょうか。

「私は、翻訳書を一冊丸々訳して、三校ゲラチェックまで終えて、表紙もできたと聞いて、その後に出版の話がなくなったことが3回あります。三校ゲラチェックまでやって、出版中止の相談をされたということも含めるともう6回か7回ぐらいあります。

これはあくまで比喩ですし、私は男性ですが、妊娠して出産間近の子供を中絶せよと言われるような気持ちです。一冊の本を仕上げるには相当なエネルギーがかかります。それをゲラチェックまで進んで、そこから中止されたらやっぱり……。

1回2回ぐらいならまだいいんですよ。でも何度もやられて、最後は裁判までいったら、もう……。

一方で、うまい断り方をしなければ、出版社との縁が切れてしまいかねません。ですがそれまでに受けた傷が深いので、私の場合は、話し合いに行って『出版されることは間違いないんですね?』と根掘り葉掘り聞くようになったんです。で、そうすると向こうの方から『じゃあいいです』って言われてしまうんです。私は断りたかったのではなく、本当に出るのかをしっかりと確認したいだけでした。

このような経緯で、結果的に断る形になったものは7〜8冊あります。根掘り葉掘り確認したものがどういう本だったかといえばまず、売れたものにあやかろうと『明らかに二番煎じを狙った訳書』。出来上がった頃、その売れた本が売れなくなっていたら、という心配があります。次に、私に翻訳を依頼したいという依頼が単に『超特急で仕上げてくれるから』というもの。仕上げてから『思ったのと違う』と言われたことがあったので、何度も確認しました。

『あまりにも分厚い書籍』も、訳し終えたところで『長いのでカットさせてもらうよ』なんて言われる心配がありました。それから『他に依存してるもの』。リンカーン生誕200年を記念して、リンカーンの映画が上映されるから、その影響で売れるんじゃないかってリンカーンの伝記の翻訳依頼があったんです。でもリンカーンの映画が、もし万が一、何かの事情で封切りが遅れたり、上映中止になったりしたら、本当に書籍を出してくれるんだろうかと不安になりますよね

今年は東京オリンピックが延期になりましたし、これに依存した書籍もあったろうと思いますから、やはり当然こういう心配はします。

なので条件を確認していくと、その過程で、だんだんと疎遠になっていくわけです。ここの出版社とも縁が切れちゃった、ここも切れちゃったっていうことやってると、『ああ、ちょっともうだめだな』という」

——ただ、出版社とのやり取りに疲弊して一度は業界を去った宮崎さんがふたたび本を出されたのは、誠実な出版社や誠実な編集者さんとの出会いがあったからなのかなと想像しました。

「今回の担当編集であり、三五館シンシャの代表でもある中野長武さんは、こちらが契約について根堀り葉掘り聞くまでもなく、自ら全部教えてくださいました。むしろ契約書を先に出したいっておっしゃってくださったんです。

私も本当に非常に多くの編集者と付き合ってきましたが、中野さんほど本作りを愛してらっしゃる方っていないと思います。たとえば若い編集者だったら私に対して提言できない場合もあったと思います。ですが、中野さんは私が年上だからとか関係なく『ここはやっぱりこうしましょう』とか『ここはこれじゃやっぱりまずい』とか、言ってくださる。でも私もそれは嬉しいことなんですよ。それだけこの本を良い本にしようと思うから言ってくださってるのが伝わるんですね。

私もこの本に関しては、私の経験がこれから先、翻訳家や文筆家になろうという人のためになればいいなっていう気持ちで書いています」

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  • 取材・文高橋ユキ

    傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

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