オンバト世代が涙…!「号泣」が明かすM-1に挑戦したワケ | FRIDAYデジタル

オンバト世代が涙…!「号泣」が明かすM-1に挑戦したワケ

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惜しくも準々決勝で敗退。現在の心境、コンビの今後を聞いた

「お笑い界の国語辞典」という異名を取り、『オンバト』の出場回数は番組最多記録の32回!(撮影:川戸健治)
「お笑い界の国語辞典」という異名を取り、『オンバト』の出場回数は番組最多記録の32回!(撮影:川戸健治)

「『号泣』の今後は未定です。でも解散も活動休止もするわけではなく、『号泣』という看板はそのまま置いておきます」 

そう語るのは、2008年の解散後、12年の歳月を経て今年7月に再結成したお笑いコンビ「号泣」の島田秀平(右・ツッコミ)と赤岡典明(左・ボケ)。 

1996年に結成された「号泣」は、『爆笑オンエアバトル(NHK総合)』を中心に活躍したお笑いコンビだ。言葉を巧みに操る芸風から、「お笑い界の国語辞典」という異名を取り、同番組の出場回数32回は番組最多記録となっている。間違いなく、00年代のお笑い界をけん引したコンビのひと組だが、芸歴10年目に当たる2008年のM-1グランプリで決勝進出を逃して解散。その後、赤岡は芸能界を引退し、島田はピンで活動していた。 

思いもよらぬ再結成とM-1グランプリ挑戦というニュースには、多くのオンバト世代のファンが喜び泣いた。惜しくも準々決勝で敗退となったが、コンビでの活動継続を希望する声は多い。M-1グランプリ出場を決めた理由や現在の心境、コンビの今後についてうかがった。 

号泣再結成の一番の理由は「流れ」

再結成のきっかけは、放送作家・倉本美津留氏の『YouTube大喜利』出演のオファーだった。

島田秀平(以下 島田)「倉本さんのYouTube番組『YouTube大喜利』の出演相談が来た時に、『どうせなら相方さんも連れてきてよ』って言われたのが、すべての始まりです。番組で漫才をし終わったら、『今のM-1の出場資格は結成15年目までに延びてるから、君たちはまだ出れるんだよ、出なよ』って言われて、その場でじゃんけんして勝った僕がM-1のエントリーを申し込んだって流れです」

赤岡典明(以下 赤岡)「出演依頼がきたすぐ後で、倉本さんの番組に出る前に島田のYouTubeでドッキリ企画をやろうって話になったんで、再会に関しては『YouTube大喜利』に出るちょっと前ですね。ちょうどその辺りで、僕が主催する劇団『軍団うれるーぞ』に島田が加入することも決まりました」

島田「正直、号泣再結成っていうのは全然考えていませんでしたね。相方が、『軍団うれるーぞ』っていう面白そうなことをやってるから、僕も入れてもらおうと。そこに、倉本さんの番組からオファーがあったから、じゃあ2人で出ようって、ただそれだけだったんです。だから僕たち的には、イキナリすごい濁流に飲みこまれてしまって、本人たちの意思に関係なく『コンビ再結成』『M-1出場』がポンポン決まっていったっていう感じです」

M-1予選で感じた漫才の楽しさとお笑い界の進化

『YouTube大喜利』に出演した際のネタ合わせは20~30分。そこで昔の感覚を取り戻して番組本番に挑み、来たるM-1グランプリの2回戦にも出場した。

島田「M-1の2回戦に関しては、お互い別で仕事もありましたから、なかなか練習する時間がありませんでした。ネタも新ネタを作る話もあったのですが、結局昔のネタをすることになりました。ただ昔のネタをそのままするのではなく、お互い12年いろいろ経験してるので、同じネタでも間も変わっていいネタができました。

ただ、さすがに準々決勝前は何度か練習しました。久しぶりに2人でライブにも出ましたし。僕は一応、解散後も表舞台に出る仕事をしてきましたけど、相方は裏方の世界で生きてきましたからね。12年ぶりに立つ舞台がM-1ってどういうことだよって感じですよね。心配していたんですが、結果的には僕の方が緊張してました」

赤岡「できるもんなんですよね~」

島田「久しぶりのライブの時もM-1の予選の時もですが、自分たちより一回りも二回りも年下で、現在進行形で活躍してて、実際にテレビでも見ているコンビの中にポンっと入れられて、すごく不思議な気持ちでした。こんなおじさんコンビが参加して、向こうも変な気持ちだったと思います。変な雰囲気に飲まれてしまって、ネタ合わせしてるコンビに『なんか飲みますか?』ってジュース奢っちゃいました」

赤岡「僕は、他のコンビと話をしてみたかったんですが、コロナの関係で前後のコンビと挨拶するくらいしかできなかったんで、その辺がちょっと残念でしたね。前までは、ひとつの大部屋を控室としてみんなで使っていて、仲のいい芸人同士で最近の話やライブの話などをするのが普通だったんです。そこで、当日のライブのお客さんの様子も知れましたし」

島田「それに、他のコンビのネタを舞台袖から見れたんで、どのくらいの笑いが来たら次にいけるのかが予測できたんですが、今回はそれができなくて、完全に飲まれました。お客さんの数も少ないし、マスクしてるし、ウケてるのかどうかわからない。後で知ったんですが、これは他のライブでも同じらしいんです。コロナのせいでそういう状況になっていることを全然知らなくて、重い空気に勝手に『ウケてないんだ』って思い込んで、焦ってしまいました……」

赤岡「でも、久しぶりに漫才をしてみて楽しかったですね。オンバトやライブに出ていた頃を思い出しました。時と場合によりますが、たまには表舞台に出るのもいいかなぁと思いましたね」

思わぬ再結成とM-1出場に、一瞬漫才に心が動いたのも事実だが、号泣としての活動については未定だという。

島田「今回M-1に出て、お笑いをやってる方も見てる方も進化しているなと思いました。『来年もM-1に出るの?』ってよく聞かれますが、M-1に出るなら、やっぱり目指せ優勝ですよね。お笑い業界全体がレベルアップしている中で、12年のブランクがある僕らが本気で優勝を目指すのは、並大抵の覚悟では難しいなと」

赤岡「他を削らないと無理だと思います。でも、そもそも今の目標はM-1優勝じゃないんですよね。劇団が売れることが一番の目標で、こっちを知ってほしいし、見てもらいたい。号泣再結成は、そのためのひとつなんです。確かに準々決勝敗退が悔しくて気持ちが揺らぎましたが、ここで来年のM-1に出るとなると、本来の目的と手段がすり替わってしまうんです」

島田「それに、準々決勝を通ったコンビを見ると、どれも勝ち残って当たり前だろうと思うコンビばかりです。どのコンビも1年間、M-1優勝を目標に頑張ってきてるわけですから。悔しいけど、この結果は認めざるを得ないですね」

赤岡「ただ、劇団の『うれるーぞ』っていう大きな丸の中に、『号泣』っていう小さな丸がある感じなので、解散とか活動休止は考えていません。なので、どこかから声がかかれば出たいですね」 

島田の劇団『軍団うれるーぞ』への加入について 

ひとつのことをやり続ける美学もあるが、マルチな顔を持つこともスタンダードとなっている今。島田には、新たに俳優という顔が追加された。先月末に行われたオンライン芝居『バイトオーディション』が、俳優島田の初お披露目の場となった。 

赤岡「先月の舞台が初だったんですけど、まだまだお笑いさんが演技してるって感じでしたね(笑)」 

島田「以前、号泣で三谷幸喜さんの『HR』っていうシチュエーションコメディの前説をやらせていただいてたことがあって、その時にちょいちょい役をもらったんですけど、僕は全然でしたね(苦笑)。他にも、映画やドラマに出させてもらったこともありますが、占い師役とか島田秀平本人役なのに、なぜか監督から演技指導されました。ちなみに、今回の『うれるーぞ』の舞台ではスリランカ人の役でした(笑)」 

赤岡「一番やりやすいだろうと思ったんです。一番自由にやれる役だったんで。今はまだ状況的に次の舞台の予定は立てられませんが、ミュージックビデオを撮ろうかと思ってます。島田はダンサー役で」 

島田「これに関しては、いま初めて聞きました」

赤岡「僕だけが知ってる得意なダンスがあるんですよ。『シマダンス』っていう。それを皆さんに見てもらいたいと思ってます(笑)」

島田「演技とかダンスが一番苦手なのに、それを求めてくるっていう……。でも、解散してからはずっとピンで戦ってきたようなもので、やり甲斐はあるけど、孤独な戦いだったんですよね。なので、仲間がいて、みんなで色々意見出しあっていいものを作るっていうのは、単純に楽しいです。それに劇団の中では僕が一番下っ端で、一番できないんで、そういう状況にいるのも楽しいです」

赤岡「裕福な意見ですよ(笑)。こっちは『これでどうにかしなきゃ』って思ってやってるのに(笑)。でも、この先はミュージックビデオ以外にも色々やるかもしれないですね」

占い師仲間に言われた「島田さんは来年からすごく楽しくなるよ」

島田「仲のいい占い師さんと、お互いのことを占ったりするんですが、いろんな人から『島田さんは来年からすごく楽しくなるよ』って言われるんです。それも、まわりの流れに乗っかるだけで、楽しく美味しくしていただけるそうです。確かに、最近はほかの仕事で一緒になる先輩たちからイジられることが多くなってきているんです。まな板の上の鯉状態ですね。なので、相方が名料理長だったらいいなと思ってます」

赤岡「放っておくっていう調理法もありますけどね」

島田「こっちは生モノなんで、ちゃんと料理はしてほしいですね。食材は大事にしないと」

赤岡「でも、いい食材じゃないと、こっちもね(笑)」

島田「まじめな話でいうと、僕ら2人長野県出身なので、地元で漫才とかのイベントがあれば出たいなっていうのはありますね。そういったことも含めて、来年どうなるのかすごく楽しみです」

12年のブランクを感じさせることなく、息の合ったやりとりで健在さを見せてくれた号泣の2人。コンビとしての活動は定まっていないものの、劇団『うれるーぞ』の普及活動の一環としてなら、いつでも始動できるようだ。島田が占い師仲間に言われた言葉にも注目しつつ、彼らの来年の活躍に期待したい。

  • 取材・文安倍川モチ子

    WEBを中心にフリーライターとして活動。現在は、「withnews(ウィズニュース)」「Business Jounal(ビジネスジャーナル)」などで執筆中。また、書籍や企業PR誌の制作にも携わっている。専門分野は持たずに、歴史・お笑い・健康・美容・旅行・グルメ・介護など、興味のそそられるものを幅広く手掛ける。

  • 撮影川戸健治

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