再婚報道の河野景子 貴乃花に“女装”までもさせたプロデュース力 | FRIDAYデジタル

再婚報道の河野景子 貴乃花に“女装”までもさせたプロデュース力

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‘19年には別の男性とのデート姿が撮られていた河野景子
‘19年には別の男性とのデート姿が撮られていた河野景子

12月17日発売の週刊文春が報じた、元フジテレビアナウンサー河野景子の再婚。‘18年に元横綱・貴乃花と離婚してから約2年。ついに新たな伴侶を見つけたようだ。

「お相手は都内にあるエステサロンのオーナーで映画プロデューサーでもあるジャッキー・ウー氏。年齢非公表ですが60歳前後とは思えぬ精悍な肉体を維持しており、俳優としてスクリーンに出たことも。まさに、マルチな活躍をしているところが、“相撲一筋”だった前夫である貴乃花とは180度違いますね」(ワイドショー関係者)

河野は貴乃花と‘95年に横綱時代に結婚。‘03年に夫が引退し、翌年に貴乃花部屋を設立し“女将さん”になると、これまでの相撲界の常識を覆すような生活スタイルが波紋を呼んだ。

「まず、親方夫婦が相撲部屋に住みこまないというのはビックリしました。開設当時は貴乃花の父が中野区に持っていた二子山部屋を受け継ぎましたが、貴乃花と景子さんは品川区内の自宅から通っていた。当時は角界からも批判の声が多く出ましたが、頑としてこのライフスタイルは変えませんでしたね」(スポーツ紙記者)

相撲界の常識に囚われない貴乃花は、‘10年に所属する二所ノ関一門を飛び出して相撲協会理事選に立候補。“貴の乱”とも呼ばれ、協会の革命児と言われた。

「一門から飛び出し“貴乃花グループ”を設立するなど、親方も規格外の人だったけど、それを後押しする景子さんも、やっぱり慣習などにとらわれない人だった。父の代から続いていた大口のタニマチを切って、サポーター制度を導入したのも景子さんのアドバイスだと言われています。いい意味でも悪い意味でも、景子さんと貴乃花は似たもの夫婦でしたね」(角界関係者)

そんな河野のプロデュース力が発揮されたのが‘16年12月に行われた貴乃花一門の忘年会。この年1月の理事選には4期連続で勝利するも、理事長には八角親方相手に6対2で惨敗。だが、彼の知名度と相撲改革への期待から、400人もの人がホテルのパーティーに参列した。

「このころが貴乃花一門の最盛期で、6つの部屋11名の親方が名を連ねていました。この日、度肝を抜かれたのが、その親方たちの『女装カレンダー』が配られたこと。会場でも撮影風景のメイキング映像が流されて、貴乃花関は“自分が一番キレイ”とノリノリでしたね」(パーティー参加者)

しかも、カレンダーだけではなく、女装した貴乃花関が背中にプリントされたTシャツもプレゼントされたという。

女装によって一門の結束を示した貴乃花。それを提案し、一から段取りしたのが河野だった。

「景子さんがプロのカメラマンや一流のメイクさんを呼ぶなど、舞台ウラを支えていました。一門の中には女装することに抵抗ある親方もいましたが、女将さんは“有無を言わせない”感じでしたね。

一門の親方全員で女装することで、結束力を示そうと思ったのかもしれません。ですが、その目論見も貴乃花さんの相撲界からの引退で無になってしまいましたが…。今度の旦那さんはいろいろな顔をお持ちですし、景子さんもプロデューサーとして、活躍しがいがあるんじゃないですか」(元貴乃花一門の関係者)

12月17日には集まった報道陣に対し堂々と“交際宣言”を行った河野。今度は、どんな夫婦像をプロデュースしていくのだろうか――。

 

‘16年の忘年会で配られた貴乃花一門の親方たちの女装姿。女将さんだった河野景子がプロデュースした
‘16年の忘年会で配られた貴乃花一門の親方たちの女装姿。女将さんだった河野景子がプロデュースした

 

神楽坂にある100円ショップから颯爽と出てきた貴乃花。顔がわずかに赤く、ほろ酔いの状態だったと思われる(‘19年)
神楽坂にある100円ショップから颯爽と出てきた貴乃花。顔がわずかに赤く、ほろ酔いの状態だったと思われる(‘19年)
  • 取材・文荒木田 範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)

    1975年埼玉県さいたま市出身。夕刊紙、女性週刊誌を経て現職。テレビやラジオにも出演中

  • PHOTO原 一平

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