志村さん、ノムさん、渡哲也さん「あのスターにもう一度会いたい」 | FRIDAYデジタル

志村さん、ノムさん、渡哲也さん「あのスターにもう一度会いたい」

追悼特別企画

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2020年も多くの人気者たちがこの世を去った。いまでも時々思い出す、あの人のことを、秘蔵エピソードと写真で振り返る――(日付はすべて2020年)。

コメディアン 志村けん 3月29日没 享年70

’12年、月刊『CIRCUS』で、いしのようこと対談した際の一枚。志村さんの恋の噂は数知れないが、独身を貫いた
’12年、月刊『CIRCUS』で、いしのようこと対談した際の一枚。志村さんの恋の噂は数知れないが、独身を貫いた

「『ドリフターズ』の中では一番年下で、さらにオチ担当でしたから、絶対に失敗できない。その責任は相当だったと思います。楽屋では常にピリついていました」

今年3月末、新型コロナウイルスにより帰らぬ人となったコメディアン・志村けんさん。’80年から6年間、『ザ・ドリフターズ』の付き人を務めた松田ひろし氏が、当時の思い出を語る。

「メンバーの中で一番プロ意識が高かったのは、間違いなく志村さんでした。ある時、『8時だョ!全員集合』で目の上を切って出血が止まらなくなったことがあったんです。スタッフが焦って撮影を止めようとする中、志村さんは頑(かたく)なに拒否し、演技を続けました。自分のせいで放送が止まるのが許せなかったんだと思います。むしろ怪我をネタにして最後まで笑いをとる姿はさすがでした」

ストイックに芸と向き合う中で、映画の話の時だけは笑顔を見せたという。

「コメディが好きで、とくにウディ・アレンの話でよく盛り上がりました。好きすぎて『アニー・ホール』のワンシーンを、舞台で演じたこともありましたね」

最後に会ったのは’18年。志村さんの主演舞台『志村魂(しむらこん)』の控え室だった。

「楽屋に挨拶に行ったんですが、初めてですよ、『(当時は)お前も大変だったな』とねぎらいの言葉をもらって。今もどこかで楽しく誰かを笑わせているんじゃないか、そう思えてなりません」

野球解説者 野村克也 2月11日没 享年84

野球と妻をこよなく愛した野村克也さん。皮肉めいたボヤきでお馴染(なじ)みだったが、誰よりも選手想いの監督だった。

’94年1月、講演会を終えて最愛のパートナーである沙知代夫人と談笑。二人でいると、夫婦ともに良い表情になる
’94年1月、講演会を終えて最愛のパートナーである沙知代夫人と談笑。二人でいると、夫婦ともに良い表情になる

楽天監督時代の愛弟子・山﨑武司氏(52)はこう思い返す。

「野村さんの教えは、世間からは『緻密』だと思われていますが、実は単純明快でわかりやすい。しっかりとした準備をして、それでダメなら割り切って次で頑張れ。要はそういうことでした。

野村さんが楽天の監督に就任して2年目の春、私は調子が上がらず、『今年で終わりかな』と、気落ちしていたんですよ。そうしたら野村さんがひょっこり私のところに来て、『暖かくなったら打てるようになるよ』と。それからスッと焦(あせ)りが取れて、ガンガン打てるようになった。実は個々の選手をよく見ていて、さりげなく優しい言葉をかける方でしたね」

晩年は足腰が衰え、車椅子生活が続いていたが、野村さんは自宅のテレビでずっと野球観戦をしていたという。最後まで野球のことを考え続けた人生だった。

「いつも『俺は現場に戻る』と言っていて、とにかく野球に携われないことを悔しがっていた。その一方で、’17年に沙知代さんが亡くなられた後にも、『いつユニホームを着るんや?』と私を心配する電話をくれました。私にとって最高の監督であり、親父だと思っています」(山㟢氏)

女優 竹内結子 9月27日没 享年40

’16年、ママ友との会合に出席後、ドラマ『真田丸』の撮影現場に直行。女優として、母として、いつも全力だった
’16年、ママ友との会合に出席後、ドラマ『真田丸』の撮影現場に直行。女優として、母として、いつも全力だった

誰もが驚いた、突然の訃報だった。

デビュー当時の竹内結子さんに初インタビューを行った評論家の中森明夫氏(60)はこう振り返る。

「彼女は16歳で、瞳の輝きがひと際強く、透明感がズバ抜けていました。『多くの人が名前を聞いて私の顔が浮かぶような存在になりたい』と夢を語りつつ、『名前が地味なんですよね』と笑っていたのが印象的でしたね。それから5年後、撮影現場で再会しました。竹内さんは『お久しぶりです』と言い、私が覚えていてくれたことに驚くと、『忘れませんよ。初めて取材してくれた人だから』って。どこまでも自然体で、誰に対しても明るく接してくれる。私にとっても特別な女優でした」

俳優 渡 哲也 8月10日没 享年78

石原裕次郎さん、小林旭さんと調布撮影所を訪れる渡さん(右)。角刈りとサングラスがトレードマークだった
石原裕次郎さん、小林旭さんと調布撮影所を訪れる渡さん(右)。角刈りとサングラスがトレードマークだった

「渡さんとは何度も作品でご一緒させていただきました。初めて会った時から本当に優しくて、素敵な方でした。私にとって憧れの俳優さんでした……」

渡さんと公私ともに30年以上にわたり親交のあったテレビプロデューサーの石井ふく子氏(94)はそう語る。

「印象に残っているのは’01年放送の『明るいほうへ 明るいほうへ 童謡詩人 金子みすゞ』(TBS系)で渡さんとご一緒になり、ポスターを見せた時のことです。渡さんは完成したポスターに〈渡哲也 特別出演〉と書かれているのを見て、『どうして特別出演なの? 僕はみんなと一緒にドラマを作りたいので、特別ではないよ。お願いだから取ってください』と言ったんです。そんなことを気さくに言う俳優さんは初めてでした」

ドラマ『西部警察』などで〝熱いオトコ〟を数々演じてきた渡さん。その素顔は腰が低く、スタッフや共演者に分け隔てなく優しく声をかける紳士的な人だった。

「今年7月、渡さんから贈っていただいた水ようかんのお礼に、うどんすきをお返ししたところ、『おいしくいただきました』と、ご本人から電話がかかってきました。渡さんらしいというか、気遣いをきちんとされる方でした。もっと一緒にお仕事したかった。本当に残念……それしか思い浮かぶ言葉がありません」

渡さんは俊子夫人と’70年に婚約。49年間連れ添った最愛の俊子夫人に見守られながら、息を引き取った
渡さんは俊子夫人と’70年に婚約。49年間連れ添った最愛の俊子夫人に見守られながら、息を引き取った

俳優 宍戸 錠 1月18日没 享年86

豊頬手術を行った頬がトレードマーク。日活アクション映画に不可欠な『エースのジョー』としてファンに親しまれた
豊頬手術を行った頬がトレードマーク。日活アクション映画に不可欠な『エースのジョー』としてファンに親しまれた

「親らしいことをしてもらった記憶はありません。小さい頃は父が家にいるだけで緊張感がありました」

長女でありマネージャーも務めた紫しえ氏は語る。

「ただマネージャーになって、すべては役作りのためなんだと知りました。ハードボイルドな役を演じることが多かったので、毎日の生活から、その役を徹底していた。なりきるために整形までする人です。晩年は『90歳の殺し屋の役』を演じることを夢見ていました。できるなら叶えて死なせてあげたかったですね……」

タレント 岸部四郎 8月28日没 享年71

ワイドショーの人気司会者でもあったが、借金によって自己破産し、その後、脳内出血を患うなど波乱万丈だった
ワイドショーの人気司会者でもあったが、借金によって自己破産し、その後、脳内出血を患うなど波乱万丈だった

グループサウンズ『ザ・タイガース』のメンバーとして、ともにステージに立っていた森本太郎(74)はこう明かす。

「’14年に僕のバンドのライブに四郎がゲスト出演してくれたんです。一緒に練習した時は声が出ていなかった。ところが、本番では凄く声が良くて、驚いたことをよく覚えています。お客さんの前だと変わるんですよ。四郎はトークも上手かったので、もう一度、芸能界で頑張ってほしかった。彼の面白い話をもう聞けないのが、本当に残念ですよ」

俳優 志賀廣太郎 4月20日没 享年71

ドラマ『アンフェア』、『三匹のおっさん』、『とと姉ちゃん』、『陸王』などに出演。私服はチェック柄しか着なかった
ドラマ『アンフェア』、『三匹のおっさん』、『とと姉ちゃん』、『陸王』などに出演。私服はチェック柄しか着なかった

平凡な中年男性を演じたら、ピカイチの名脇役だった。所属事務所『レトル』代表・足立誠氏はこう偲(しの)ぶ。

「40歳くらいの時から、仲間は『爺さん』ってからかっていたけれど、本人はそれを楽しんでいましたね。志賀は俳優として世間から認知されたことについて、『見つけてくれてありがとう』とよく言っていました。これからさらに『爺さん』になって、良い味が出ると思っていたので、もったいないという想いでいっぱいです」

もっと志賀さんの芝居を観たかった。

元バスケットボール選手 コービー・ブライアント 1月26日没 享年41

搭乗したヘリコプターの墜落事故で13歳次女とともに死去。NBAのスーパースターの訃報に全米が哀しみにくれた
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ギタリスト エディ・ヴァン・ヘイレン 10月6日没 享年65

米国のロックバンド「ヴァン・ヘイレン」のメンバー。超絶テクニックで、世界最高のギタリストと呼ばれた
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俳優 ショーン・コネリー 10月31日没 享年90

バハマの自宅で死去。『007』の初代ジェームズ・ボンド役で世界的なスターに。60本以上の映画に出演した
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野球解説者 関根潤三 4月9日没 享年93

ヤクルトスワローズで何人もの名選手を育て、『プロ野球ニュース』の解説でも知られた。元祖・二刀流でもある
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元サッカー選手 ディエゴ・マラドーナ 11月25日没 享年60

’90年に家族連れで来日した際、本誌が撮影。「サッカー界の問題児」は死去後も遺族が医療過誤を訴えるなど騒がしい
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元野球選手 マット・キーオ 5月1日没 享年64

’80年代後半の阪神タイガースの助っ人エース。暗黒時代に二桁勝利を3度も挙げた、頼もしい「巨人キラー」だった
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作家 C・W・ニコル 4月3日没 享年79

中高年には『ニッポンハム』や『ホーキンス』のCMでお馴染み。日本の豊かな森を守るために幅広く活動を行った
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作家 五島 勉 6月16日没 享年90

週刊誌のアンカーマンなどを経て、’73年に刊行した著書『ノストラダムスの大予言』が社会現象となり、大ヒットした
週刊誌のアンカーマンなどを経て、’73年に刊行した著書『ノストラダムスの大予言』が社会現象となり、大ヒットした

作曲家 筒美京平 10月7日没 享年80

ジュディ・オングの『魅せられて』など作曲した39作品がオリコン1位となり、シングルの総売り上げは約7560万枚
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『FRIDAY』2021年1月1日号より

  • 撮影上本正春(野村)、有高唯之(志村、芦名)、竹本テツ子(竹内)、中村将一(岸部)、永田忠彦(志賀)、中井川俊洋(マラドーナ)写真AFLO、Getty Images、共同通信社、講談社写真資料室

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