柔道・阿部一二三 24分の死闘を制して始まる「最強伝説」

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12月13日、講道館で「宿命の対決」は行われた。死闘の末、大内刈りで技ありを奪い、勝利を手にした阿部はガッツポーズ(写真:時事通信)

24分間に及んだ丸山城志郎(27)との日本代表決定戦を制した直後から、阿部一二三(ひふみ)(23)は顔をくしゃくしゃにし、嗚咽(おえつ)を漏らしていた。昨年の世界選手権での敗戦から一年、丸山に勝ち続けることだけが唯一、阿部に残された五輪への道だった。そのミッションを完遂した。

「やっと目標のスタートラインに立てた。東京五輪では、丸山選手の分まで背負って戦いたい」

阿部が初めて表舞台に立った日――それはもう鮮烈で、実にマンガ的だった。

2014年11月、講道館杯に出場した無名の高校2年生は、右組みから背負い投げや一本背負いを軸に相手を圧倒していく。名前のインパクトだけでなく、柔道もまた小林まことが描いた『柔道部物語』の主人公、三五十五そのものだった。

阿部はその年、講道館杯に続き、グランドスラム・東京も史上最年少で制した。

「憧れは野村忠宏さん。オリンピックを3回優勝しても越えたことにはならない。4回優勝したいです」

’16年のリオ五輪からの4連覇を目指したものの、’15年の講道館杯で連覇に失敗し、代表レースからは外れた。その日敗れた相手こそ、丸山だった。

リオ五輪以降、阿部は3歳下の妹・詩(うた)とともに柔道界の顔となっていく。’17年に世界選手権で初優勝し、翌年も連覇した。JOCのシンボルアスリートに選ばれ、東京五輪の組織委員会からも大きな期待を集める存在となった。

「一二三」の名は「一歩一歩、人生を歩んでほしい」という願いが込められているというが、阿部は一段飛ばし、いや二段飛ばしで世界へ羽ばたいていった。

いつだったか、筆者は阿部に柔道界の「パウンド・フォー・パウンド(ボクシング界で、体重差を抜きにして最強の選手に与えられる称号)」に興味はないのか、と訊ねたことがある。

「それいいっすね! そういう存在になりたいです」

東京五輪代表も当確と思われていた’18年、猛追するライバルが現れる。丸山だった。

’92年バルセロナ五輪の65㎏級代表だった顕志氏を父に持ち、英才教育を受けた丸山は、長く膝のケガで苦しみ表舞台から消えていた。しかし、’18年のグランドスラム・大阪から’19年の東京世界選手権まで阿部に3連勝した。

東京五輪に臨む男女の全14階級のうち、66㎏級だけ内定者が決まらなかったのは両者の実力が拮抗していたからだ。

手の内を知り尽くした両者による代表決定戦は、最後は阿部が繰り出した大内刈りによって丸山の背中が畳についた。

試合後、両者はともに涙を流し、こう声を揃えた。

「ライバルの存在が、自分を強くさせてくれました」

丸山の父・顕志氏は息子のために作った福岡県の道場で戦いを見守った。

「得意の内股を封じられて、これまで有効だった巴投げも警戒されて、決定的な技が出せなかった。完敗です」

阿部を小学生の頃から指導してきた神港学園の信川厚総監督のもとに阿部から連絡が入ったのは翌日のことだった。

「ヒヤヒヤしたぞと伝えたところ、謝ってきましてね(笑)。24分もかかっていたことを本人は感じておらず、意外だったようです。これまで妹はお兄ちゃんを気にして、五輪の話題に触れられずにいた。ようやく兄妹で東京五輪に向けたスタートが切れます」

東京五輪の男子66㎏級は女子52㎏級と同じ7月25日に行われる。兄妹同日Vに向け、阿部は最大の難関を突破した。

 

取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)

代表決定戦が公式戦8度目の対決。以前の対戦成績は、阿部(右)が3勝、丸山が4勝。互いに一歩も引かない名勝負となった(写真:AFLO)
妹・詩(左)は会場で兄の勝利を見て号泣し、「二人で優勝します」とSNSに投稿。日本柔道初の兄妹での五輪代表を果たした

『FRIDAY』2021年1月1日号より

  • 取材・文柳川悠二

    ノンフィクションライター

  • 写真時事通信、AFLO

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