花園100回記念 ラグビー日本代表・田村優が語る「僕の原点」

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高校2,3年生で花園のピッチに立った田村。花園では1勝もできなかった

“花園”の愛称で知られる全国高校ラグビーフットボール大会は、今年で100回の歴史的節目を迎える。12月27日の開幕に向け、昨年のラグビーワールドカップで日本代表をベスト8に導いた田村優に、自身の高校時代を振り返ってもらった。

エピソード満載のインタビューは、かのエディー・ジョーンズ元日本代表監督が「どんな育て方をすればあんな選手になるのか知りたい」と評した天才司令塔の原点が垣間見えた。

「退部の危機」を仲間が救ってくれた

中学まではサッカー少年。それもJリーグのクラブユースに誘いを受けるような実力者だった。しかし当時からアスリートとしてプロ志向が強かった田村優は、さらなる自分の可能性を追求すべく、高校でラグビーに転向することを決意する。

進学先に選んだのは、かつて社会人ラグビーの強豪トヨタ自動車で監督を務めた父、誠さんの高校時代の同級生である吉岡肇監督が指導する國學院栃木。愛知県の実家を離れ、吉岡監督の自宅兼寮で合宿生活を送りながら、楕円球のフットボールに没頭した。

吉岡監督から常に言われたのは、「取り組み方がすべて」ということだった。國學院栃木の平日の練習は1時間あまり。その限られた時間の中でどんな取り組み方をするかによって、成長の度合いも決まる。

「どういう選手になりたいのか。そのためにどんな姿勢で取り組まなきゃいけないか。それは自分で決められるんだ、と。その言葉は、今でも印象に残っていますね」

同期は例年の半分ほどの9人と少なかった。「ヤンチャ坊主が多かった」という仲間の中でも、マイペースな性格の田村は際立つ存在だった。記憶に残るエピソードを尋ねると、「ありすぎて覚えていない」と苦笑する。

主将として臨んだ高3の夏合宿では、こんなこともあった。

あまりにも強い勝利への思いから、ミスをしたチームメイトについ手が出てしまった。何より仲間を大事にすることの大切さを説いてきた吉岡監督は、その場面に激怒する。退部か、休部か。その日の夜は、ちょうど部の保護者会に出席するため合宿地に来ていた父と、チームとは別のホテルに泊まった。

翌日。「もしかしたら学校も辞めることにいなるかもしれない」と覚悟を決めてグラウンドを訪れると、同級生たちが駆け寄って来て「もう一度一緒にやりたい」と言ってくれた。最終的には他の選手と主将を交代し、田村は部に残ることになった。

「みんなに助けてもらいました。吉岡先生も今でこそいろいろ笑って話してくれますけど、よく学校に残して、卒業させてくれたなと思いますね。先生には迷惑をかけることばかりだったので、感謝しかありません」

そんな濃密な3年間を過ごしたからだろう。田村の母校への思いはことのほか強い。卒業後も、オフになれば決まって栃木へ“帰省”。所属チームや代表活動で多忙を極める現在も、年に1度は國學院栃木を訪れるという。

「やっぱり自分がラグビーを始めた場所ですし、僕が高校生の時もOBの人たちがたくさん来て、自分たちを指導してくれた。恩返しじゃないですけど、顔を出すことで喜んでくれる人がいればいいな、と」

昨年のワールドカップでは指令塔をつとめ、得点源となるキッカーも任された(写真:アフロ)

いいタイミングで、いい人に恵まれた

國學院栃木はこの冬、21年連続26回目の全国高校大会(花園)出場を果たした。もっとも田村が在籍していた当時、チームは県内の強豪から全国区の実力校へとステップアップしていく途上にあった。

特に3年時は上級生が少なかったこともあり、現ヤマハ発動機のフランカー、三村勇飛丸主将が率いる佐野高校との花園予選決勝は厳しい戦いを強いられた。それでも0-3で迎えた敗色濃厚の試合終盤に田村のペナルティゴールで追いつくと、ロスタイムに田村のカウンターアタックを起点とする攻撃から勝ち越しトライを挙げ、10-3で勝利する。「苦しかったあの年に、先輩から受け継いだタスキをつないでくれたことが、今の連続出場につながってるんです」と吉岡監督が振り返る劇的な一戦は、田村の中でも「特に印象に残っている試合のひとつ」だ。

「自分たちの代で(連続出場を)ストップしたくなかったので、絶対に勝たなければ、という気持ちでした。結果として母校が現在のように強くなっていく過程の一部になれて、本当によかったと思います」

1年時の花園はリザーブ入りするも出場はなく、2、3年時はいずれも初戦敗退。勝利を挙げることはできなかったが、苦楽をともにした仲間と、高校ラグビーの聖地でプレーできたことは、生涯に残るかけがえのない財産だ。ちなみに田村の同期は、リーチ マイケル(現東芝)や山中亮平(現神戸製鋼)らのちに何人もの選手が日本代表で盟友となる“黄金世代”。3年時の花園は山中亮平を擁する東海大仰星と、有田隆平(現神戸製鋼)主将率いる東福岡の2強が突出しており、その両校を「同じ学年の選手じゃないような感覚で見ていた」と明かす。

「そんなチームの選手と大学で試合をするのも想像できなかったですし、まして日本代表で一緒にプレーするなんて、その頃はまったくイメージできませんでした。当時は完全に違うレベルの人たちだと思っていたので、ほとんど観客目線で見ていましたね(笑)」

日本代表の中で当時の話が出ることはないそうだが、自身と同様に高校を卒業してから飛躍を遂げたリーチとは、お互いの成長過程について話をすることがあるという。大学、社会人とステージが上がるにつれて力を伸ばすことができた理由をこう明かす。

「ラグビーを始めたのが高校からだったので、逆に吸収率は高かったのかな、と。あとは、高校生の時にラグビーの基礎基本をしっかり固められたことが、今につながっているというのはすごく感じます」

高校時代の自分を「今考えれば未熟でしかないけど、向上心はすごくあった」と回想する。吉岡監督、古庄史和コーチ(当時/現白鷗大監督)のもとでラグビーのセオリーやゲームの流れを学び、納得いくまで考え抜いて、一つひとつ自分のものにしていった。その時に言われたのと同じようなことを日本代表の名参謀であるトニー・ブラウンコーチの口から聞いた時、あらためて自分が指導者に恵まれたことを実感したという。

「他の高校に行っていたらここまで来られなかったと思うし、指導者が違っていてもそうだったと思います。同級生を含めて、いい人に出会えた。本当にいいタイミングでいい高校に入って、いい指導者、いい仲間に恵まれた。それしかありません」

今年からラグビー人生で初めてのキャプテンとして公式戦を迎える田村。充実した準備ができているようだ(提供:キヤノンイーグルス)

今回の花園は、100回の大きな節目にして、コロナ禍の中で様々な困難を乗り越えて開催される特別な意味を持つ大会となる。

「できるだけで感謝という大会。みんながケガなく、3年間がんばってきたことを悔いなく出し切る大会になってほしいですね」

年が明けた1月中旬には、待ちに待ったトップリーグ2021も開幕。今季よりキヤノンイーグルスのキャプテンに就任した田村は、シーズンへの意気込みをこう口にする。

「(沢木)敬介さんが監督になって、今はチームが変わろうとしている途中です。これまではできる人ができない人に合わせろと言われていたけど、今は逆で、できる人に合わせる。自分の持っているものを存分に出せるので、やりやすいですね。キャプテンになったからといって、特に変わることはありません。僕以外のリーダーたちが、僕のできないことを全部やってくれるので、僕は自分のスタンダードでチームに要求し続けるだけ」

目標は。

「しっかり準備して、悔いなくやって、それで勝てないなら、相手が強かったということ。みんなで悔いなく準備するだけです」

そう言い切る表情に、それだけの準備ができているという充実は浮かんだ。100回の熱狂が幕を閉じた直後に始まる、興奮の日々。こちらも楽しみだ。

  • 取材・文直江光信

    1975年熊本市生まれ。県立熊本高校を経て、早稲田大学商学部卒業。熊本高でラグビーを始め、3年時には花園に出場した。現在、ラグビーマガジンを中心にフリーランスの記者として活動している。著書に『早稲田ラグビー 進化への闘争』(講談社)

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