『妻が口をきいてくれません』に見る夫婦生活の生き地獄

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平凡だけど平和に暮らしていると思っていたのに、妻と会話をしなくなって5年経つ……。外見上は仲が良さそうに見える夫婦が秘かに抱えている“闇”を、夫と妻双方の視点からじっくりとあぶり出したコミックエッセイ『妻が口をきいてくれません』は、WEBサイト「よみタイ」で累計3000万PV超で話題となった作品。

 

『妻が口をきいてくれません』(野原広子著 集英社刊)

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2020年12月に書籍化されると、「離婚よりも、生き地獄」というショッキングな文字が書かれた帯を見て「書店で見つけてドキッとした」という男性の声もあがるなど、大きな反響があった。

なぜ、会話がなくとも夫婦でいられるのか。本作の著者・野原広子氏にエッセイを描いたきっかけと、作品を通じて感じた夫婦観について、たっぷりと話を聞いた。

夫を無視する妻の心理を紐解くために描き始めたエッセイ

野原氏が『妻が口をきいてくれません』を描いたきっかけとなったのは、「妻が何年も口をきいてくれない」という知人の告白だった。性格は穏やかで仕事もしっかりとこなし、浮気や暴力などの問題もなさそうな人で、仲良し夫婦だと思っていたのになぜという驚きと同時に浮かんだのが、原因はなにかという謎。その謎を漫画を描きながら解けたらと考え、インターネットで「妻が口をきいてくれない」と検索して、二度びっくりしたという。

「知人がレアケースなのかと思っていたら、『妻との会話がない』という男性の深い嘆きが多数打ち明けられていたので、意外と身近な問題だったのかと気付かされました。でも一番興味を引かれたのが、妻側の『口はききたくないけれど、夫のことは好き』という書き込みです。

『言ってもわからないから、無視をする』という心理はなんとなくわかるのですが、それでも『好き』という気持ちが理解できなくて。その複雑な心境を知りたいと思って、スタートしたんです」(野原広子氏 以下同)

漫画は、夫の中村誠が妻・美咲の手作り弁当を食べながら「オレはケンカした覚えがないのに、なぜかあいつは怒っている。もう3日もだよ?」とぼやくところから始まる。早く“いつもの”状態に戻そうと、悪いことをした覚えはないけれど謝ったり、挨拶やお礼をきちんと言ったり、子どもと遊んだりして妻の機嫌を取る誠だが、事態は好転しないまま5年もの月日が経つ。

SNSでは、この5年間という期間が長いのか短いのかという感想が大いに盛り上がったが、「5年間」という期間に決めた理由は、意外にもシンプルだ。

「中村夫妻の間には2人の子どもがいますが、その子たちの子ども時代が終わりかけくらいの時期に、夫婦がなんらかの結末に至るという流れにしたくて、5年間にしました。

でも、2013年に放送された『探偵!ナイトスクープ』(視聴者からの依頼を探偵となったタレントが調査するバラエティ番組)で、23年間会話のない夫婦が登場していたので、5年間なんてまだまだかもしれませんね」

夫と妻の視点を分けることで鮮明になった感情のすれ違い

誠は5年我慢した末に、とうとう妻に離婚を切り出す。アレコレ手を尽くしたが、妻の態度が変わらない以上仕方がない。むしろ5年も無視を続ける妻がひどいのではないか。

漫画を読むと、最初は誠の肩を持ってしまうのだが、続いて展開する妻・美咲の視点からの物語で「これは口をきかなくなって当然かも」と思い直すことになるところが、この作品の構成の妙だ。

「当初は、夫側と妻側を同時に描こうと思っていたのですが、そうすると夫婦バトルになってしまいます。夫の世話はするけれども口をきかない妻、という夫婦の“空気感”は、感情のぶつけ合いではなく諦めの境地みたいなものなので、気持ちが落ち着いているほうがいい。

そこで私がこの問題に出会った順番通り、夫視点で物語を始めました。そして離婚を切り出した誠に、美咲が『私はまだ好きなのに?』と口にしたところで、妻側の言い分を描くことにしたんです」

美咲自身も、自分の口から出た「私はまだ好きなのに?」という言葉に驚愕する。そもそも口をきかなくなった理由はなんだったのか。遠い記憶をたぐり寄せるように始まる妻視点の日常は、子育て中に女性が感じる“夫に対する小さなイライラ”がつぶさに、そして圧倒的な説得力を持って描かれている。

下の子の世話で手一杯なのに、上の子の世話が中途半端にしかできない夫。冷凍食品を出すと、一瞬黙る夫。掃除できなかった場所を見つけて、「なにしてたの?」という夫。そのくせ、自分が洗面台を水浸しにしたことに気付かない夫。なかなか寝つかない子どもをあやす横で、いびきをかいて寝る夫。「私もそう思う!」と共感する人も多いのでは。

「それこそ『我が家を覗いた?』と男性からの感想いただくのですが、書くために調べたものもありますが、今まで私が生きてきた中で体験したことや、人から聞いたことを参考にして描きました。やっぱり記憶に残っている出来事というのは、それだけ心に刺さったことだと思うんです。

『妻が口を聞いてくれません』以外にも夫婦モノの漫画を描いていますが、妻側の話をきくと、みなさんたくさんお話ししてくれるんですよ。それだけ不満を溜めている。夫側からすると無意識にというか、悪気なくやっていることに対して、妻がそんな風に感じていたなんて驚くだろうなと思いました」

豊富なネタに恵まれたものの、やはり苦労したのは「会話をしないけれども夫が好き」という、妻の複雑な気持ちの描き方だった。

「話を聞いたりネットで調べたりして感じたのは、夫を無視する女性はロマンチックな人なんだろうなということ。作中にも、美咲が『結婚するまではやさしくて大事にしてくれて、かわいいと何度も言ってくれたのに』と思い返すシーンが登場しますが、小さいころから“女の子”としてかわいがられ、大切にされてきたからこそ、結婚して子どもを生んでも、いつまでも夫に“かわいい女性として扱われたい”願望があるんだなと思ったんです。

そしてその願望を自ら伝えることをせず、夫に察して欲しいと望んでいる。それが、単行本化にあたって描き下ろした結末に繋がりましたね」

WEB連載の最終話は、酔った誠が家に帰ったら誰もいないという状況に置かれたところで終了となる。いったい2人は離婚するのか、しないのか……衝撃の結末をぜひ単行本で味わって欲しい。

かわいい絵柄で描かれた“地獄”のインパクト

本書は、直木賞作家の佐藤賢一氏が「夫婦のバイブルです」と「よみタイ」に感想を寄せたように、男性にも多く読まれているという。デフォルメキャラクターのように簡易でかわいい野原氏の絵柄が、過度な重苦しさを感じずに、良い意味で淡々とした気持ちでストーリーを追う手助けになっている。だからこそ余計に、「地獄」というキーワードが真に迫る。

「実際に話を聞くと、夫からも妻からも『地獄』という言葉が出て来ました。平和そうな家庭でも実際に殺人事件が起きるように、些細なことから大事件に発展する“原因”は、日常の至るところに潜んでいるんだろうと考えると、怖いですよね。

作中でも、出掛ける夫の背中に向けて、美咲が『雷に打たれて死ね』と呟くシーンがありますが、あれは取材した女性からリアルに出た言葉なんです。自分で手を下したくないけれど、遠くで死んでくれって。笑い話のようですが、本人にしてみれば本気で心の底から思うことがあるのかと思うと、ゾッとしますよね」

一方、女性からは「自分が言えないことを、登場人物が代わりに叫んでくれるのでスッキリしました」という感想があって「うれしかった」という。

多くの読者が美咲に共感したポイントは、夫にイラッとしたときの美咲の些細な表情の変化が、きちんと描かれている点だろう。無遠慮な夫の一言に、眉間に皺が寄ったり思わず動作を止めてしまったりする瞬間。心身共に余裕がなく、遂に涙があふれてこぼれるまでのテンポ。ドラマチックな感情表現ではなく、何気ない動作だからこその“リアル感”だ。

「漫画が、自分の中にあるモヤモヤに気付くきっかけにになってくれたらいいかなと思いますね。傷つけたほうは忘れても、傷つけられたほうは忘れません。

単行本の帯にありますが、『薄れはしても、忘れはしない』というのは、本当にリアルな感情だと思います。一見許したように見えても、全てはチャラにならない。それを単行本の結末で描き加えていますので、たくさんの方に読んでいただけるとうれしいです」

現状に不満がある人もない人も、読めば必ず思い当たる節が1つは見つかるはず。それぞれの夫婦の在り方を考え直すきっかけとして、おすすめだ。

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『妻が口をきいてくれません』第1話

  • 取材・文中村美奈子

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