阿部VS丸山 柔道「世紀の一戦」を裁いた審判の本当の心境

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン

異例づくめのなかで

2020年12月13日の日曜日に、「東京五輪内定選手決定戦」である66キロ級の阿部一二三対丸山城志郎の「ワンマッチ」が講道館で開催された。唯一代表が決まっていなかった66キロ級だけの1試合が行われるのは日本柔道史上初めてのこと。観客席のある講道館7階の試合会場は新型コロナの影響で無観客となり、テレビ東京が午後4時から生中継を行う、まさに異例づくめだった。

試合が開始されたのは4時44分のこと。ピンと張りつめた空気の中、畳に上がったのは阿部・丸山両選手と試合を裁く主審の天野安喜子(あきこ)さんだった。

マスク姿で彼女の表情を窺うことがことは難しいが、鋭い視線が両選手に注がれていた。

試合時間は4分間。気迫を漲らせた両選手が自分の型にしようと組手争いが続く。試合開始直後から阿部が果敢に攻め続けると2分30秒過ぎに丸山が「指導」を受けた。決着がつかずに時間無制限のGS(ゴールデンスコア)に突入。テレ東の放送がGSさなかの16分30秒過ぎにまさかの「時間切れ」放送終了してしまう大ハプニングも起きるほどの長期戦は、20分過ぎに阿部が「技あり」で勝利を手にすることになった。何十年と語り継がれる大勝負であったことは間違いないだろう。

選手視点からこの勝負が振り返られることはあるだろうが、ここで重要な証言を残しておきたい。「世紀のワンマッチ」を裁いた審判・天野さんの証言だ。なぜ彼女がこの試合の審判に選ばれたのか。そこには、両選手にも負けないほどのドラマがあったのだ――。

写真・AFLO

白羽の矢が立ったワケ

1970年、自宅に柔道場がある江戸川区(東京)の家に生まれた彼女は、小学生時代から父親の指導で柔道に打ち込み、柔道一筋の生活を送ってきた。ちなみに3姉妹ともに柔道有段者で、父親は七段である。

研鑽を積んだ天野さんは、福岡国際女子柔道選手権大会で銅メダルを獲得するなど48キロ級の有名選手だったが、選手を離れてからは審判の道に進むことになる。審判としても実績を積み上げると、世界各地で行われる柔道の試合の審判を務め、日本女性としては初の五輪決勝の主審となった。

一般にはあまり知られていないことだが、柔道の審判にもランクがあり、国内では最高ランクのS級からカテゴリーに分かれている。彼女は属しているのは、トップのS級。また、国際柔道連盟にも審判の技量を判定する男女区分けのない「審判ランキング」というのもあるが、彼女はこのランキングでも日本人審判トップとなる8位の座にある(ちなみに、天野さんは19年に父親と同じ七段となっている)。

そんな彼女が、この歴史的な一戦の主審を務めるのは、ある意味当然であった。

「あの試合の主審に打診があったのは10月下旬のことでした。大役であることは重々分かっていましたが、こんな試合の審判を務められるという喜びのほうが大きかったですね。

過去、数多くの試合で審判をするなかで、畳に上がるまでに平常心を保つための精神的コントロールはしていますが、気迫に満ちた対戦を間近で感じられるというのは幸せ…というか、喜びを感じられる瞬間なんです」

振り返るべきポイントがあまりに多い試合だが、やはり気になるのは、丸山に2回の指導が出され、阿部にも2回の指導が出されたときのこと。柔道では3回指導を受けると、その選手は失格になる。そのときの天野さんの心境はどのようだったのだろうか?

「頭で良し悪しを考えて指導を出しているわけではなくて、反射的に指導というのは出る。だから、私が判定を下すときに、迷いというのはないんです。3回目の指導を出す可能性もあったと思いますが、結果的にそれがなかったのは、本当に良かったなと」

笑うと白い歯を見せて優しそうな表情を浮かべるが、「迷うことはない」と断言する芯の強さも同時に窺える。

迷いはなかった

「阿部・丸山両選手とも攻めの柔道ですから、逃げる柔道にはならないと予想していました。まさに『すごい勝負』、のひと言。3回目の指導を出すような雰囲気がなかったのは結果的には良かったと思っています。実は試合の申し合わせで両者同時に3回指導を出すことも想定してあったんです。そうなると両者反則負けになり、10分間休憩を挟んで再試合を行う。その展開も、頭のなかにはありました」

時間無制限のGSに突入後、阿部の指の負傷や流血で試合が大きく二度ストップした。これによって、どちらかの選手に有利不利が生まれたのだろうか。

「阿部選手の爪がぱっくりと割れていたんです。柔道着に血がついていたし鼻血も出ていたので、試合を止める必要がありました。それは当然の判断でしたが、治療の最中にも、両選手とも次の技を頭で考えていたでしょう。阿部選手の処置のあいだ休んでいる丸山選手が有利、ということもないと思っています」

選手だけではない。審判の天野さんもあの長時間の試合をともに戦っていたのだ。日本中が熱狂した「世紀の試合」の主審を務めた感想を改めて聞いてみた。

「私自身は試合前から中それほど緊張しているという意識はなかったんですが、神経が本当に参ってしまったのか、翌朝に起き上がることができなくて(笑)。でも両選手の気持ちと比較したら、そんなのたいしたことはないんですけどね。試合日程が決まってから対戦の日までに、彼らがどれだけ神経をすり減らしてきたのか…それを思うと本当にすごいと思います」

意外な本業

実は、天野さんの本業は審判ではない。打ち上げ花火の元祖ともいえる「鍵屋」で花火師として働いているのだ。3姉妹の真ん中として育った彼女は、14代目の父から指名されて、女性として初めて2000年に15代目を受け継いだ。

花火といえば「鍵屋~」「玉屋~」の掛け声が有名だが、現在鍵屋は彼女が15代目で、玉屋は江戸時代の6代目鍵屋の番頭がのれん分けして立ち上げた。しかし江戸時代に失火してしまい江戸払いとなったので、現在は玉屋は存続していない。

「物心ついたときから花火は身近なものでした。小学2年生のときには将来15代目を引き継ぐことを言われて、それからは当主となるための心構えを徹底的に仕込まれました」

柔道選手を引退後、天野さんは日本大学芸術学部の大学院へ入学し、大空に開く花火の演出などを研究して『打揚花火の「印象」~実験的研究による考察』という論文を執筆。09年には芸術学の博士号も取得している。

現在は自ら火薬の調合などはせずに、花火大会のプロデュースを担っている。例年開催されている江戸川区花火大会はすべて鍵屋がその任を担い、また各地の花火大会を取り仕切っている。

「私はもう50歳ですが、20歳になる一人娘が16代目を襲名すると思いますから、いまはそれが楽しみです」

柔道と花火。二つの伝統を背負った天野さんの素敵な笑顔がこぼれた。

  • 取材・文吉田隆撮影小松寛之

Photo Gallary4

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事