追悼・浅香光代さん 若き日の逢瀬を自慢されたモテモテ人生ぶり | FRIDAYデジタル

追悼・浅香光代さん 若き日の逢瀬を自慢されたモテモテ人生ぶり

芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”㉟

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女剣劇を復活させた浅香光代さん。晩年は舞台以外でも話題になった(享年92)

《芸能リポーター・石川敏男の芸能界”あの出来事のウラ側は……”㉟》

女剣劇の浅香光代さんが亡くなったのは、12月13日の午前1時45分だった。

ほんとに長い付き合いをさせていただいたし、リポーターの先輩・梨元勝さん、須藤甚一郎さん、元日本テレビの松永二三男アナウンサーとオレたちは、よくかわいがられたね。東京・浅草にある浅香さんの自宅で、何度も三社祭を見学した。

稽古場のある自宅での飲み会。三社祭の神輿が浅香さんの自宅前に止まると、担ぎ手に酒をふるまったりもした。

みんな日本舞踊・浅香流の弟子で、一番熱心だったのが梨元さん。須藤さん、松永さん、オレの3人は、浅香さんの口上の時に、羽織・袴で舞台上から頭を下げているだけ。それでも立派な弟子だった。

世間の皆さんが知っている「サッチー・ミッチー騒動」では、毎日のようにインタビューしたことも大きな想い出だ。その浅香さんも野村沙知代さんも今は亡き人に。

そこに加わってきたのがデヴィ夫人だ。ニューヨークの自宅から電話をいただいて

「浅香さんの電話番号をなくしてしまって、教えて」

という内容。その晩、デヴィ夫人は浅香さんと5時間話したそうで、翌日には

「東京に行くからインタビューに答えるわよ」

と、嬉々としてデヴィ夫人から電話が入ってきた。もちろん視聴率が取れる騒動だけにすぐにインタビューはさせていただいた。

浅香さんが、野村さんを舞台に誘ったことから持ち上がった「礼儀を知らない」(浅香談)と浅香さんが怒った騒動は、ついに部外者のデヴィ夫人が加わって3人のバトルになってしまった。

その浅香さんは10月末に体調を壊し入院。すい臓がんが見つかりステージ4。関係者は余命3か月と言う宣告を受けた。

オレは浅香さんの自宅側の割烹料理店「辻むら」によくお邪魔していて、帰りに浅香さんのご自宅の前を通りすぎることはあったが、寄ることはなかった。1階に事務所があって、そこの電気が消えていたからだ。

後悔先に立たず。あの時に寄っていればよかったな…。

で、その浅香さんには二人のお子さんがいる。今から20年ぐらい前になるのかな。

「私子供がいるのよ。ふたり。男の子。よく会っているわよ。有名な政治家の子なの」

と、笑って話してくれた。それから5年後、その話がスポーツ紙に載ることになった。「なんで今頃」と思ったけど、生きているうちに明らかに会いたいという母心だったのだろうか。相手の政治家の名前も聞いていた。

そして、超大物歌舞伎役者との逢瀬も話してくれたことがあった。「女遊びは芸の肥やし」と言うけど、超有名人との逢瀬も女役者には「芸の肥やし」だったのだろう。

「歌舞伎が跳ねると、お忍びで浅草にやってきてくれたの。あの海老様よ。みんなに“花の海老様”とあがめられた人よ。空前の大ブームになった美男子。すごく魅力的な人だった。今の海老蔵さんといい勝負ね。もし、あのころ今のような芸能マスコミがあった大騒ぎされたわよ」

と、自慢していた11代目市川團十郎さん(現・海老蔵の祖父)との密会。そんな凄い人が“浅香さんの恋人?”とオレは疑問に思ったが、よくよく考えてみたら、20歳代中ごろの浅香さんは、誰もが認める美人だったからな。当然“海老さま”がお忍び出来ていても不思議じゃない。

野村沙知代さんも神奈川・横須賀で見かけられたころは超美人で、デヴィ夫人もインドネシアのスカルノ大統領に見初められ“東洋の真珠”と呼ばれたほどの美人。あの三人が世間を騒がせたバトルが約60年近く前にさかのぼって繰り広げられていたら、美人度を競っていたかもね…合掌。

  • 取材・文石川敏男(芸能レポーター)

    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、ラジオは福井放送、ラジオ関西、レインボータウンFMにレギュラー出演中

  • 写真Natsuki Sakai/アフロ

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