アントニオ猪木が語る『私が今年YouTubeデビューしたワケ』 | FRIDAYデジタル

アントニオ猪木が語る『私が今年YouTubeデビューしたワケ』

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元気なうちに、発信し続けたい

いまや芸能人やスポーツ選手など、テレビなどで活躍している著名人が続々と参入しているYouTube。そんなネット動画の世界に、‘20年も大型新人がユーチューバーデビューした。プロレス界の至宝・アントニオ猪木だ。

プロレスファンにとって、YouTubeは選手の素顔を知るツールのひとつになりつつある。

猪木氏よりも1年早く始めた前田日明は、チャンネル登録者数10万人を突破。昨年12月にスタートし、プロレスファンだけでなく女子高生までにも人気がある長州力は、登録者数14万人を突破するなど、ファン拡大にひと役買っている。

そんな中で満を持して今年スタートしたのが、猪木氏の『闘魂チャンネル』。登録者数は4万人強と先の2人にはまだ及ばないが、過去に師弟関係だった前田日明に“闘魂注入ビンタ”をする動画は136万回再生されるなど、確実にファンの心を掴みつつある。

そこで、今年77歳になった猪木氏に、YouTubeデビューの裏側を聞いてみた。

77歳でスタートしたYouTubeチャンネル『最後の闘魂』。インタビューの日もトレードマークの”闘魂マフラー”を巻いていた

「YouTubeの知識は無いんだけど、ネットなどに詳しい仲間がいてくれて。正直言うと、最初はめんどくさいなって思ったよ(笑)。でも、企画会議なんかでも、オレのやりたいことなんかを一緒になって聞いてくれている。だから、自分も頭を回転させないと。ただただ面白いだけでなく、ひとつのメッセージを発信できればと思ってスタートさせました」

猪木氏といえばプロレスラーとしてだけではなく、‘89年には「スポーツ平和党」を結成し参議院議員としても活動。‘19年6月に政界引退はしたが、彼のポリシーである「世界平和」のため、紛争地帯であったイラクや緊張関係にある北朝鮮などに単身乗り込む姿は、多くの人の記憶に刻み込まれている。

そんな彼が新たに発信の場に選んだのがYouTubeという世界。誰もが映像を世界中に発信できるという環境について、“いい時代だ”と評価する。

「YouTubeは新しいことなんで、深くは考えないんですよ。でも、発信する場があるというのは、有難いなって。自分で作って、自分の思いを発信できるのは本当に有難いです。いい時代ですよ。時代はどんどん変化していて、YouTubeというものが出て来た。僕らは若い人とちがって、それらをぐーって専門的にやっているわけじゃないんだけど、ノリで“やってみようよ”って感じです。テレビだと1時間話しても、編集されちゃうしね」

猪木氏がそう話すのには理由がある。プロレス界の頂点に君臨し続けてきた存在だけに、当然、番組出演のギャラも“相応”のものになる。それは、プロレス界トップの彼がギャラを値下げしてしまうと、その影響がすべてのレスラーに及んでしまうからだ。

「ギャラのことはあまり言ったことないけどね。昔は基本があって。インタビューは幾らとか。オレは一番高いお金をとっていたんじゃないかな。ステージでインタビューすると300万円とかね。ただ、値段は一要素。ラジオはそんなにギャラ出ないけど、出演している。やはり内容だよね」

特にコロナ禍でテレビ局の収入は減少しており、高額なギャラが必要となる大御所タレントは敬遠されがち。番組スタッフが猪木氏を呼びたくても、現実的に呼べない状況なのだ。

そんな中、自分の主張を発信できるYouTubeは、猪木氏にとって大きな武器になっているようだ。実際、彼のライフワークのひとつで世界に広めようとしている「水プラズマ」でのごみ処理問題についても、たびたび動画をアップしている。

「長州の方が先にYouTubeやってたでしょ。他のレスラーもみんな頑張ってるよ。オレも元気なうちは、どんどん作っていきたいけどね」

「元気なうち」というのには理由がある。猪木氏は今年の夏、100万人に数人しかいない難病「心アミロイドーシス」を患っていることを公表。この病気は心臓の機能が低下して、全身に血液を送ることが難しくなる。重症化すると全身臓器の機能不全や呼吸困難を引き起こしたりするという。そのため、国の指定難病になっている。

「これがやっかいな病気でね。はっきり原因が分からないんですよ。遺伝子なのかそうじゃないのか。その治療薬を出せる医師が、日本で5人しかいないんです。昨年秋に解禁になった『ビンダケル』っていう薬でね。現役時代にさんざんやってきたのに、病気でも“ビンタ”に“蹴る”のかってね(笑)。

この薬は治すんじゃなくって、進行を止めるというもの。医者もまだこの病気をよくわかっていないんで、逆に言えば俺たちがデータになってるんでしょう。ただ、病を公表したことで、いろんな方から反響がありましてね。『有難うございます』っていう手紙はたくさん来ましたね。同じ難病で苦しまれている方も多いんですね。難病指定になっていますからね」

新型コロナウイルスの蔓延で人々と触れ合えなくなって

「ダー!」の決めポーズを披露してくれた猪木氏。その笑顔は輝いていた

猪木氏を襲うのは病だけではない。‘19年には最愛の妻・田鶴子さんを亡くしている。その悲しみも癒えないままだ。

「死との向き合い方が変わりましたね。生きるってなんだろうってテーマを考えたりして。正直言うと、死というものについてプラスに考えるのは難しいけど、誰もが迎えなくちゃいけない。じゃあ、どう向き合うのかっていう。その向き合い方もあると思うんだよね。

オレはモテたわけじゃないけど、女性に振り向いたことがなかったからね。それが、彼女の病院にずっといて、いろんな感情が湧いてきた。愛情というか、物事には井戸の深さがあるなって…。

彼女はオレには何も言ってないのよ。病名は知っていたんだけど、絶対に“治らない”っていうことは聞いてなかったの。でも、スタッフには話していたから、最期には首ねっこつかまれて病院に連れていかれてね。振り向かされたってことですよ。それが良かったなって…」

そこに追い打ちをかけるようにやってきたのが、新型コロナウイルスの蔓延だ。「元気ですかー!!」と大声で人々と触れ合い、気合を入れてきた猪木氏にとって、この事態は人生で最も想定外の出来事のようだ。

「有難いことに、本当にいろんな人に出会えてきた。でも、新型コロナで一番困るのは、会うことが元気の源だったんだけど、“会っちゃいけない”“大きい声を出しちゃいけない”って。人生で言ってきたことと真逆になっちゃった。これじゃ、世界中が病気になっちゃうよね。

いろんな人から『猪木さんは100歳まで頑張ってください』って言われるんだけど、そういうのはもうイヤなんだよ。100歳まで生きて何ができるんだよ…。今はいろんな人に世話になりながら、みんなが気を遣ってくれて。人の手を借りずに自分で何もかもやっていきたいと思っているんですが、そういうワケにいかないもんね」

そう静かに語る猪木氏。「みんなが勝手にイメージを作っているから。有難い反面、迷惑だなって(笑)」と語る優しい笑顔は、リングの内外で常に闘って男とは思えないほど温かい。

「弱音をはいてもしょうがないけど、強気ばかりも違うからね。こういう商売ですから“いい面しか見せない”と周りが気を遣ってくれて。でも、実際には弱さを持っていて、それと向き合って戦って。自分の弱さっていうものをね、この1年ちょっと見つめながら生きてきたね。

現役時代はどんなに調子が悪くても、テーマ曲が流れれば切り替えられました。コロナも切り替えられればいいだけど。もうちょっと整理ができれば、向き合うというか。それが暗いんじゃなくて、明るい向き合い方を見つけたいですけどね」

スーパースター・アントニオ猪木ではなく、“猪木寛至”という男の素顔を垣間見た気がした。‘21年はそんな彼の素顔がYouTubeで見られるかもしれない――。

’19年6月に政界を引退した猪木氏。今後は新たなリング・YouTubeでの戦いからも目が離せない
  • 取材・文荒木田 範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)

    埼玉県さいたま市出身。夕刊紙、女性週刊誌を経て現職。テレビやラジオにも出演中

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