いまのエンタメ界の「基礎」を築いたヒロミの壮絶バラエティ力 | FRIDAYデジタル

いまのエンタメ界の「基礎」を築いたヒロミの壮絶バラエティ力

放送作家・高橋洋二による『ヒロミ論』の決定版!

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前回の記事で、ネプチューンの「ボキャブラ」における初期の印象的なエピソードとして、番組レギュラー審査員のヒロミから、名倉は「ネプチューンはお前がしっかりしなきゃ」とアドバイスされていたこと、そしてキャブラー(東京の若手芸人たち)に「(スタジオでは)芸人はかわいくなきゃダメ」「そんなに無愛想では関西の若手に勝てないよ」と激を飛ばしていたことに触れた。

これに対し読者の何人かから「それは初めて知った」「ヒロミさんて番組の裏でも『ボキャブラ』に貢献していたんだ」といったリアクションがあったと聞いたので、今回はBー21スペシャルのヒロミさんの80年代から現在に至るまでの、私が見聞きしたあれこれを綴りながら「ヒロミと芸能界」について考えたい。(文中敬称省略失礼)。

結論から言うと「ヒロミは今の成熟した我が国のエンタテインメントの礎作りにどうかというくらい貢献している」のである。

86年、Bー21スペシャル結成。所属はプロダクション人力舎。ギャグ作りのスキルと人気者になるための戦略に長けているヒロミが、ミスターちんとデビット伊東と組んだものだ。

ちんはかわいいしデビはとてもかっこいい。ヒロミもウィレム・デフォー似のいい男だ。ヒロミが書き演出したコントは他の誰よりもスピーディな展開で、演じるキャラクターも幅広く(米軍軍人から女子高生まで)、そしてヒロミのツッコミの破壊力が凄まじかった。私が観た下北沢の小劇場での単独ライブでは、ビーチで3人並んで喋っているコントで、デビットの小ボケに対し突然ヒロミが手にしていた2メートルくらいあるサメのビニールの浮きをぶん回して脳天を直撃して見事にツッコんでいた。

この段階ですでにヒロミは「演者」「作演出家」そして「プロデューサー」としてどれも一級品の腕を持っていたことがよくわかる。ポストとんねるずはウッチャンナンチャン、ダウンタウン、そしてBー21スペシャルという時代が幕を開ける。

ネタも面白い、タレント性も高いとなると深夜にバラエティの冠番組を持つ流れに。しかしある番組の収録中にヒロミは大怪我を負ってしまう。これがきっかけかどうかはわからないがヒロミは個人事務所ビィーカンパニーを立ち上げる。そしてマネジメントは業界大手の田辺エージェンシーが担い、これが当時のバラエティ系放送業界人の誰しもが思っていた「ヒロミさんと仕事したい」「ヒロミさんを新番組のレギュラーに」という要求に応えていくことになる。

92年、「タモリのボキャブラ天国」スタート。我々スタッフの願いが叶いヒロミもレギュラーに。視聴者から寄せられたダジャレをスタッフが映像化したボキャブラ作品を評価する審査員だ。しかしヒロミは作品の審査だけでなく、番組の出演者いじりにおいて力を発揮した。

まず番組で一番偉いタモリを「森田」と呼ぶのだ。(例「森田、それは違うだろ〜」)あと落語家の林家こぶ平(現・林家正蔵)を「はやしや」と呼んだ。これは当時(も今も)相当画期的なことで、他の番組ではビートたけしを「おじさん」と呼んでいた

あと私が痛快に感じたのは、他の審査員の、例えば「地方出身で面白い歌を歌うフォーク歌手」や「アイドル的な人気の芸人」に対し、彼らがちょっとでもゆるめのコメントを発すると「いやいや、お前は面白いこと言おうとしなくていいから」「そういうのは俺がちゃんとやるから」といった胸のすく正論の数々であった。これは私のまわりのテレビ好きお笑い好きの友人たちにもとても評判が良かった。そしてこれらの歯に衣着せぬ楽しいダメ出しは番組スタッフにも波及し、より笑える番組作りのヒントとなっていく。

「ボキャブラシリーズ」はその後、東京の若手芸人がボキャブラネタで切磋琢磨する番組となり、爆笑問題、ネプチューン、くりぃむしちゅ〜を始めとした、現在のバラエティーの中核をなす芸人たちを輩出することになる。番組MCとなったヒロミは直接的間接的に彼らにテレビ芸人のノウハウを手ほどきした。

その中でも超変化球のパイレーツについて触れてみたい。

彼女たちはグラビアアイドルであって芸人ではない。マネージャー氏が「今乗りに乗っている『ボキャブラ』に出ることができれば、この子たちも知名度が上がって本業のグラビアでも活躍できるかもしれない」と考え、知り合いの当番組のディレクターにその旨を伝えたと。ディレクターは仲のいい番組構成者と知恵を絞りネタの終わりに胸を寄せ「〜だっちゅーの」という語尾を与えた。ネタが面白いかどうかはどうでもよく、その様子が馬鹿馬鹿しい、そしてかわいいということで人気は急上昇、流行語大賞にも輝いた。ここまでのことは彼女たちも今のテレビで喋っている。

で、私はこの構成者がとんねるずのコント作りを手伝ってる人だと知っていた。つまりは「〜だっちゅーの」は木梨憲武がいかにもコントで使いそうなフレーズのひとつなのだ。おねえコントの。ヒロミは「いいね『だっちゅーの』」ととても気に入り、まわりもヒロミさんがそんなにほめるんだったらこれはありなのか、と安心してパイレーツを面白がる。パイレーツの成功はヒロミと木梨憲武の仲の良さにも後押しされていたと思うがどうか。

「我が国のエンタテインメントの…」と大きく出た割にお笑いのジャンルしか話に出てきてないよと思った人に、98年スタートの「8時だJ」を忘れていませんかと言いたい。

当時まだジャニーズJr.だった滝沢秀明、二宮和也、櫻井翔ら、現在彼ら無しではあらゆる番組、ドラマ、映画、ライブは成立しませんよという人材を含む60名の14、5歳の「J」たちが出て、彼らのバラエティ対応能力を鍛えに鍛えたのがMCのヒロミなのだ。

ドッジボールに興じる時ヒロミが「俺に当てるなよ!当てるなよ!」と言えば、当てる」が正解、といった基礎から、刑事コントのノウハウなどを手取り足取り教え、「J」たちも頑張ってこたえた。ヒロミは時に厳しく「ニコニコしてりゃ世の中渡っていけると思ったら大間違いだぞ」という声もかけた。前述のキャブラーへの檄と真逆の内容なのが興味深い。

そしてヒロミは04年あたりから14年まで芸能界から距離を置く。これがなにゆえのものか私にはわからないが、復帰してからの快進撃がまたすごい。

目をかけた「J」たちは嵐になり関ジャニ∞になり社長になった。日本の顔になった彼らとは涼しく距離を置き、自分は自分で新しい領域で人を生かす仕事を軽々と進めている。

「東大王」では、本来ただの頭のいい大学生であるだけの東大生たちに一流の「いじり」でキャラクターを植え付け、ゴールデンタイムの顔つきを与えている。一方新進のお笑い芸人に関しては「女芸人No.1決定戦 THE W」の審査員を毎回務める。第4回大会では、全部で9回の審査機会ですべての対戦で勝者に票を入れていた唯一の審査員となり、お笑い好きから賞賛された。

かくして80年代のやんちゃ芸人は、「ヒロミさんに任せればすべてうまくいく」とみんなが頼る、軽やかなスタンスの名白楽となったのだ。

そんな評価、やかましいわ」とご本人は思われるかも知れないが。

  • 高橋洋二

    放送作家 、ライター。1961年千葉県習志野市生まれ。『吉田照美のてるてるワイド』『マッチとデート』『タモリ倶楽部』『ボキャブラ天国(シリーズ)』『サンデージャポン』『火曜JUNK爆笑問題カーボーイ』などの構成を担当。主な著書に『10点さしあげる』(大栄出版)『オールバックの放送作家』(国書刊行会)。また「キネマ旬報社 映画本大賞2019」第一位の『映画監督 神代辰巳』(国書刊行会)にも小文を寄せている。

  • 写真つのだよしお/アフロ

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