ラグビー経験1年 花園で戦った19歳の元テニス部員の壮絶人生 | FRIDAYデジタル

ラグビー経験1年 花園で戦った19歳の元テニス部員の壮絶人生

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昨年末、尾道高校戦に途中出場した徳島県立城東高校SH齋藤壮馬(撮影:松本かおり)
昨年末、尾道高校戦に途中出場した徳島県立城東高校SH齋藤壮馬(撮影:松本かおり)

テニス部から転部して約1年という選手が、この冬の全国高校ラグビー大会に出場した。徳島県立城東高校(城東)の齋藤壮馬は2020年12月30日、第100回を迎えたこの大会の2回戦で後半13分から出場。対する尾道の強烈なプレッシャーに肩を脱臼しかけたが、最後まで走った。

いったいなぜ、身体接触のない競技から身体をぶつけ合う競技に転じ、没頭しているのか。晴れ舞台に立つまでの紆余曲折を追った。

「映画になる」人生

高校野球の聖地が阪神甲子園球場なら、高校ラグビーの聖地は東大阪市花園ラグビー場だ。

「そう言われるような大きな大会を経験させてもらえたことは、自分の人生のプラスになる。高校生活のなかでも、かなり充実した5日間になったと思います」

この12月、城東の一員として今度の全国高校ラグビー大会を経験した齋藤は、花園常連校の主軸選手とは異なる角度からこの経験を語った。

全てを終えて思い返すのは、3つある会場のうち試合をおこなった「第1グラウンド」の風景と音だ。

今回は無観客開催だったため、バックスタンドにデザインされた「HANAZONO」の文字がかえってよくわかった。

さらに歓声が湧かなかった分、プレー中の味方の声がよく聞こえた。

「皆がどのような声かけをしているかが聞こえてきた分、自分が(試合に)入ったらどうアジャストすればいいかを考えながら観られました」

とにかく、特異な状況を楽しめた。

何より、齋藤の高校ラグビー生活もまた特異なものだったと言えそう。OBでコーチの稲垣宗員は、この人の歩みを「映画になりますよ」と述べた。齊藤本人は言う。

「多分、違うチームなら続けられんかったかな。ずっとそう思っていて。城東のラグビー部だからこそ1年間、頑張ってこられた」

1年目は出席日数が足らず、留年した。そもそも教室へ行きづらくな始めたのは小学生の頃からで、家で勉強も部活の準備はきちんとしても、どうしても玄関を出られない。病院やカウンセリングに通っても、理由がわからなかった。

救いだったのは、城東では繊細な心が色眼鏡で見られなかったことだ。担任だった瀧明日香先生に授業の遅れを補ってもらえて、翌年度の進級が叶った。楕円球と出会ったのは、ちょうどその頃だった。

入学時の同級生だったラグビー部の友達に、どうしてもと助っ人を頼まれたのだ。むげには断れない。当時、在籍していたテニス部と兼部し、春の全国選抜大会に出た。

その頃の城東は花園での全国大会に2大会ぶり12度目の出場を果たしたばかりだったが、3年生が抜けて選手が14人になった。試合をするには1人、足りなかった。

1、2年生が冬から春にかけて挑む新人戦、その頂上決戦にあたる選抜へ単独チームで出るには、部外の生徒を呼ばなければならない。齋藤の他にもサッカー部とテニス部から1人ずつ、スカウトしていた。

遠征先の埼玉で、齋藤は新しく同学年となった2年生に気さくに声をかけられた。他の部員と同じように、たくさんご飯を食べるよう諭されもした。よそ者ではなく、同じジャージィを着る仲間として平等に扱われた。

齋藤にとっては、その距離感が、よかった。

3試合ある選抜の予選プールでは、日本代表のリーチ マイケルを輩出した札幌山の手、冬の全国大会も経験している慶應から2勝を挙げる。未経験者を全国レベルの大会に出して結果を残した城東は、関係者の話題になった。

運動神経がよいため15人目のレギュラーとなった齋藤は、2戦目で当たった強豪の東福岡には何度も防御を破られたものの、その日の夜のうちに部が管理するタブレットで映像をチェック。雰囲気がよかったから、自分からそうしたくなった。

2学年にわたる「同級生」たちに助言をもらい、慶應との最終戦では、タックルが、できた。

「一度決めたことは、最後までやり通したいです」

大会後の正式転向はこの言葉で断るが、戻った先のテニス部では他の生徒と熱量の差を感じた。総体を経て、12月限りで退部。年明けの2020年1月にふたたびラグビー部のサポート要員となり、新人戦を終えるとそのまま正式に入った。ここでなら、「高いところを目指す」という理想の部活動生活を送れそうだった。

というのも、齋藤がサポート要員として加わる直前、チームは花園の第99回大会で知名度を上げたばかりだった。献身的な防御が名手の心を打ったのだろう。2回戦で県外選手主体の日本航空石川に0―39と敗れたものの、日本代表の松島幸太朗と流大にツイッターで讃えられたのだ。

<負けちゃったけど、徳島県の城東高校も好き>(松島)

<あれは盛り上がったねー! 熱さが伝わってくる>(流)

引き続き学校へ来られない時もあったが、自室で「生きとるか」とLINEを受け取れた。新主将の篠田昂征は「土日は(練習に)来てくれるので」と意に介さない。1年生の頃に同じクラスだった齊藤の事情を「何となく」は知っていた。

2歳以上下の1、2年生は、最年長の先輩に程よく茶々を入れる。

「壮馬さんは来年も残ってくれるんですか?」

「来年はハタチなんだから、ビール飲みながら練習してください」

齋藤はやがて、ラグビー部を「リラックスができる、第2の実家」と捉えるようになる。さらにありがたく感じたのは、練習へ行けないのを問題視しない仲間が練習でのプレーについては厳しく指摘してくれたことだ。

決勝で連覇を決めた瞬間の桐蔭学園。新型コロナウイルスの感染拡大が止まらないため、無観客で行われた100回大会。それでも気持ちの熱さを感じさせる試合が多かった(写真:共同通信)
決勝で連覇を決めた瞬間の桐蔭学園。新型コロナウイルスの感染拡大が止まらないため、無観客で行われた100回大会。それでも気持ちの熱さを感じさせる試合が多かった(写真:共同通信)

肩が外れかけても最後まで走った

正式に入部して以来、タッチライン際で走るウイングからパスで試合を動かすスクラムハーフにポジションチェンジを変えていた。もともとパスが好きで、第99回大会時の正スクラムハーフだった遠藤岳歩に憧れたからだ。

約2か月の自粛期間が明けた6月以降、スクラムハーフのいろはを仲間の指摘で学べた。攻撃がうまく連なり、「いまのテンポはよかったよ」と言われた時にやりがいを感じた。

仲間たちと交感を重ね、そのたびに思う。

「多分、違うチームなら続けられんかったかな…」

まじめな性格の持ち主だから、オンとオフの切り替えが曖昧なチームでは神経質になってしまうかもしれない。かといって競技歴は浅いから、本気で強化を図る強豪校ではついていけない可能性がある。

限られた人数で全国大会での躍進を目指す城東のラグビー部は、齋藤が楕円球を追うのに最適な空間だったのだ。

一時、開催の危ぶまれた第100回大会は、従来と形を変えて実施された。

リザーブ登録の齊藤がフィールドに立ったのは12月30日。それまで一度も突破していない2回戦で、過去4強1度、8強1度の尾道にぶつかる。

後半開始早々、伊達監督から「10分過ぎから、入るよ」と声をかけられた。

「どんな風に試合へ入っていけばいいか。わかるよね?」

わかっていた。

「年上として、何とか落ち着かせられるように」

後半13分に投入された。黒子役のフォワードが接点でボールを確保できそうにない時は、自分もその密集に頭を入れた。少々のパスミスには一喜一憂せず、じっくり球を持ち出したり、その場で滞留したりして、味方の呼吸に合う最良のテンポを心掛けて攻めた。

円陣を組めば声を掛け合う。

「最後までやり切ろう」

19分、チームは初トライを生む。

グラウンド中盤でじっくり球を保持し、敵陣へ蹴り込むや得意の組織防御を機能させる。相手の反則からゴール前まで進み、ラインアウトからロックの橋本青空が飛び込んだ。

この得点で「まだいける」と奮起する齋藤へタンカが出されたのは、試合終了2分前のことだ。相手の強烈なタックルで、左肩が脱臼しかけたのだ。自陣ゴール前の左タッチライン際で、うずくまった。

その場は何とか「肩は入った。いける」と運ばれるのを制したが、顔つきはややこわばっていた。直後の自陣ゴール前のスクラムからボールを出すのに苦しむ。プレッシャーにのまれ、間もなく攻守逆転を許す。失点する。

ノーサイド。5―64。

前半から怪我人が出ていた城東は、ここで大会を終えた。

「競技としてラグビーをすることはもう終わりました。でも、城東はOBのコミュニティーを大事にしていて、色んな卒業生が練習に来てくれる。今度は自分がその支える立場に回った。進学先が他県なので頻繁には行けんのですけど、合間を見つけてサポートしたいです」

尾道戦で肩を痛めたことについて聞かれれば、「こういう経験ができたのも身体を張るスポーツならでは」。痛い思い出からも、ネットの向こうに相手のいるテニスと異なるラグビーの特徴を見出した。

卒業後は鹿児島の専門学校で畜産を学ぶ。もともと動物が好きだったので動物園の飼育係にも興味があったが、自分に合う働き方ができそうなファーム経営により興味が湧いた。

大学へ進む生徒の多いなかで専門学校へ進むことについては、こうだ。

「ちょっとずれたところへも気にせず挑戦できる気持ちになれたんは、ラグビーをしたから」

様々な身体的特徴を持った人たちが勇敢に身体をぶつけるラグビーと出会えたおかげで、グラウンドを離れてからも大胆に「挑戦」できるのだと笑った。

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

  • 撮影松本かおり

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