五輪7か月前に英国移籍 なでしこ岩渕が明かす「決断までの葛藤」 | FRIDAYデジタル

五輪7か月前に英国移籍 なでしこ岩渕が明かす「決断までの葛藤」

~本当に開催できるのか 東京五輪とコロナの狭間で揺れるエースたち~ 第1回 女子サッカー岩渕真奈

  • Facebook シェアボタン
  • Twitter シェアボタン
  • LINE シェアボタン
  • はてなブックマーク シェアボタン
2019年12月、韓国・釜山で行われた「サッカーE―1選手権」の台湾戦でゴールを決めた岩渕真奈(写真:共同通信)

東京五輪の開催延期が発表されたのは、昨年3月。あれから1年近くがたち、7月の五輪開催を待つのみ、とはいかなかった。世界中の全ての人が外出自粛などさまざまな制限に耐えたにも関わらずコロナ禍は当時より好転したとは言い難い。

国内では新年早々、1都3県で2度目の緊急事態宣言が発令。さらに13日には大阪、京都をはじめとする2府5県が追加され、当然ながら五輪への世間の声は厳しいものがある。ワクチン接種も始まっていない日本で7月の開催には、実際に暗雲が立ち込め始めている。

いまだに開催に対し賛成も反対も様々な意見が飛び交う中で、昨夏に晴れの舞台を迎えるはずだった選手たちの心情は置いてけぼりにされてはいないだろうか。本来は主役だったはずの彼らがどんな思いで2020年を過ごし、7月の開催に備えているのか。彼らの声に耳を傾けてみたい。

白紙に戻した「2020年五輪後」の移籍プラン

日本の女子サッカーリーグであるなでしこリーグの2020年シーズンが終了したこの冬、岩渕真奈はイングランドFAスーパーリーグのアストン・ヴィラへ移籍した。13日に行われた女子リーグカップ・ブリストルシティ戦でベンチ入りし、後半28分からプレー。渡英して最初の公式戦で早速、イングランドデビューも果たした。

「1月のタイミングで(正式な)オファーをいただきました。それは必要とされているからこそだと思います。試合に出たいですし、オリンピックに向けてコンディションも落としたくないです」

2020年シーズンの岩渕は、主将として安定したパフォーマンスで所属するINACを牽引していた。コロナ禍で先の見えない状況での海外再挑戦には強い意思が込められているように見える。

東京五輪でメダル獲得が期待される種目の一つが女子サッカーだ。決勝は大会最終日の1日前、メイン会場であるオリンピックスタジアムで予定されていた。華やかな盛り上がり約束された競技の一つだ。

女子サッカーは前回2016年のリオデジャネイロ五輪出場は逃しているが、その前のロンドン五輪では銀メダルを獲得、その一年前の2011年にはW杯ドイツ大会で世界王者になっている。そのドイツW杯、ロンドン五輪の栄光を知る世代と若手が融合しているのが今の女子サッカー代表通称なでしこジャパンで、その両方の大会を知るうちの1人が岩渕真奈だ。

ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンでプレーしていた岩渕が東京五輪を見据えて日本に帰国したのは2017年3月のことだった。当時の岩渕は負傷がちで手術を必要としていた。欧州でプレーする選手は代表合宿のたびに日本への移動などフィジカル的な負担が大きいこともあり、治療をしながら日本で腰を据えて立て直し、しっかりと五輪での活躍を目指すことにした。欧州でのプレーに魅力を感じながらも「私にとって東京五輪はとても大事」と確かな動機とともに帰国した。

順調に東京五輪を目指していた矢先のコロナ禍と延期決定だった。緊急事態宣言が出された昨年4月5月は所属するINAC神戸の練習もできず、なでしこリーグも4月の開幕予定が7月中旬にまでずれ込んだ。

五輪を目指すと同時に、岩渕には長期的なプランがあった。東京五輪を終えたら再び海外でプレーするというプランだった。だが、そのプランは五輪延期によって狂わされてしまう。そもそも五輪を目指しての帰国だったこともあり、20年夏の移籍を一度白紙に戻した。だが、その心情は時とともに移り変わった。

取材を行った11月にはこう話している。

「コロナの第一波の頃は(延期された)オリンピックを軸にその後の展開を考えていましたけど、もう今はオリンピックを軸にできない状態です。自分もオリンピックがあるかないか信じきれてない状況です。もちろん、そこにピークを合わせたい気持ちもあるけれど、サッカー選手として現役でいられる期間も、半分は超えていると思うので残りの選手生活も無駄にしたくないと思っていて。

本当にいろんなことを考えながら、以前はオリンピックのタイミングが100パーセント判断の基準だったのが、今はなんか、違う要素がちょいちょい入ってきてるのかなと思います」

昨年3月13日、アメリカで行われた国際親善大会「シービリーブスカップ」を終え帰国し、取材に応じる岩渕真奈。この時はまだ東京五輪延期は決まっていなかった(写真:共同通信)

「どうやったら五輪がうまくいくようになるんだろう…」

違う要素とはつまり、五輪後にこだわらずに自身の展開を考えるようになっているという意味だ。選手としては現役のうちにできるチャレンジはしたい。特に海外挑戦は誰にでもできるわけではないのだから、できる選手がそれを望むのは当然だ。いつでもオファーがあるわけではなく、いつまでも現役でいられるわけではないのだから、決断は早い方がいい。一方で、21年にあるかもしれない五輪に向けて、どのような動きをすることが最善なのか。もどかしい時間を過ごした。

「コロナがなくてスムーズにオリンピックがあったら、今頃自分はどこにいたんだろうなとかも思います。止まってる感覚というのはないけど、でもなんかどっかで、自分は海外に行きたい気持ちが強かったんで……難しいですね。言葉じゃ表せないです。(移籍話をいったん白紙にしたことを)後悔してるっていうわけでも全然ないんですけど、でも、まあ止まってんのかな、なんか、あーーーーってちょっと思っちゃう気持ちもあるかなって(笑)」

自身の将来について考えるのと同時に、五輪開催についても真剣に思いを巡らせた。

「想像すれば想像するほど、どうやったらオリンピックがうまくいくようになるんだろうって思ってしまって。選手村の生活なんて100パーセント人と(至近距離で)接するわけだし、ボランティアできてくれる人たちもそれぞれの生活があるなかで、現実的にはどうなるんだろうかなと想像しました。

オリンピックの期間中、自分がもしコロナになっちゃったら、メンバーに選ばれても試合には出れないんだろうなとか、いろいろ考えて。もうコロナっていうものに対してムカつくでしかない。でも、難しいですよね。亡くなってしまっている人もいるし、苦しい状況の人もいるからなんとも言えないです」

アスリートとしてだけでなく、いち社会人として、人として。考えれば考えるほど複雑な思いにかられていく。

もっとも、代表チームとしては五輪延期をポジティブな変化を感じているという。10月、なでしこジャパンは7ヶ月ぶりの活動を行った。そこで感じたのはこれまでにない「充実」だったのだそうだ。

「チームがちょっと変わったなと。やっぱりオリンピックが延期されたことで、もとの時期だったらメンバーに入ってなかったけど可能性が出てきた選手っているじゃないですか。そういう選手が入り始めて、しかもオリンピックっていう目標があるから、いい競争をしながらいいチーム作れそうな気がします。高倉(麻子)監督も『これはメンバー選考で悩みそうだ!』って言ってたし」

約10ヶ月前の代表活動はアメリカでの大会参加だった。日本、アメリカ、スペイン、イングランドの4カ国で争うリーグ戦、日本は3連敗で終わっている。

「もしコロナ禍がなくてオリンピックが行われていたら、100パーセントの自信はもててなかったかなと。アメリカ遠征で3連敗してるし、チームとしての不安は大きかったと思う。でも、7ヶ月ぶりにぽんとあつまって、いい感じになったので、頑張りたいなという気持ちが強くなりました。でも、本音は今年(2020年に)やってほしかったです(笑)」

それでも、1年後の五輪を待てず現役生活に終止符を打った選手もいることを考えれば、27歳の彼女はまだ年齢的、タイミング的に恵まれている。

岩渕は「もう一度海外で」という自分の希望を実現させた。今年も国内でプレーし五輪を待つこともできたはずだが、自身の選手としてのチャレンジをかなえつつ、成長を五輪代表にも還元できるよう、攻めの決断だ。少しは五輪延期に翻弄されはしたが、早くも自分の道を歩き出している。誰にでも真似のできることではないが、この選択をした岩渕はきっと悔いなく残りの選手生活を謳歌するのだろう。

  • 取材・文了戒美子

    1975年、埼玉県生まれ。日本女子大学文学部史学科卒。01年よりサッカーの取材を開始し、03年ワールドユース(現・U-20W杯)UAE大会取材をきっかけにライターに転身。サッカーW杯4大会、夏季オリンピック3大会を現地取材。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフ在住

Photo Gallary2

Photo Selection

あなたへのおすすめ記事を写真から

関連記事