中野太郎「山口組元最高幹部」の悲しき最期 | FRIDAYデジタル

中野太郎「山口組元最高幹部」の悲しき最期

享年84 最盛期には2000人を率いていた「喧嘩太郎」の異名を持つ無頼派ヤクザ 「宅見勝若頭射殺事件」で絶縁処分後、脳梗塞で倒れて闘病生活を送っていた

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まだ若い頃の中野太郎氏(右下)と渡邉芳則元組長(中央)。写真は『悲憤』(講談社刊)より

平成ヤクザ史の重大事件「宅見勝若頭射殺事件」から23年あまり。首謀者と目され、’97年に山口組から破門、絶縁処分を受けた中野太郎・元山口組若頭補佐が亡くなった。享年84。’03年に脳梗塞を患い、引退した後は闘病生活を続けていた。

「中野さんは故郷の大分県で療養していましたが、肺炎で体調を崩して1月10日未明に亡くなったそうです。すでにごく少数の身内だけで葬儀も済ませていると聞いています」(山口組関係者)

中野氏は、「喧嘩太郎」「懲役太郎」と言われた伝説の武闘派。近年の山口組分裂抗争を憂慮していたというが、その決着を見届けることはできなかった。

ジャーナリストの溝口敦氏はこう語る。

「中野氏は渡邉芳則山口組五代目組長の最も忠実な腹心でした。五代目体制の中心人物がついに亡くなった。一つの時代が終わったなと思いましたね」

’07年に溝口氏は中野氏をインタビューしている。その際には、「宅見勝若頭射殺事件」についても語っていたという。

「自分が直接指示したものではないと言っていました。部下たちが自分を想ってやったんだと。結果として彼に従う幹部たちが何人も亡くなった。『あんなことになるんだったら、やらなかったらよかったな』と言ったのが印象に残っていますね。ただ、事前に渡邉元組長の了解はあったと思います。

ですが、結局、渡邉元組長は中野氏を組に戻すことはできなかった。そのため山口組は波に漂う舟のように行くもならず、帰るもならずの状態で長い間、混乱しました」

’18年に上梓した著書『悲憤』の中で、中野氏は自らの半生を振り返り、こう書いている。

「ヤクザの末路は、このように哀しいものなのだ」

山口組の巨星が静かにこの世を去った。

『FRIDAY』2021年1月29日号より

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