反「プーチン宮殿」デモで露呈したロシア・圧政のほころび
プーチンの国内支配システムに綻びか〜軍事ジャーナリスト・黒井文太郎レポート
2020年8月にロシア連邦保安庁(FSB)によって毒殺されかけ、ドイツで治療を受けていたロシア人反体制活動家のアレクセイ・ナワリヌイ氏が1月17日、大胆にも母国ロシアに帰国。到着した空港で、即逮捕された。
これに対し、彼の釈放を求めるデモが1月23日、ロシア各地で開催された。デモは100都市以上で行われ、プーチン政権当局はこれを「未許可の不法集会」と断じ、弾圧した。集会に先立って当局は、ナワリヌイ派の活動家たちを事前に逮捕しており、デモ当日も警官隊を各地に展開させたが、人々はそれでも氷点下の街頭に繰り出し、ナワリヌイ支持を叫んだ。
零下50度のなか、市民が集まり抗議の声を上げている
参加者はモスクワだけで4万人以上。もちろんロシア全土でははるかに多い。シベリアのヤクーツクではなんと零下50度の極寒のなか、人々が集まり、抗議の声を上げた。当局に逮捕されたデモ参加者は3500人以上に達した。各地での同時多発的な数万人規模のデモは、治安当局が強力なロシアではきわめて異例のことだ。
ナワリヌイ氏たちはこれまで、首都モスクワなどでプーチン政権批判デモを試みてきていたが、これほど大規模なものは初めてである。プーチン政権を批判するデモとしては、2020年7月に東部のハバロフスク地方で野党系の知事が逮捕・解任されたことに抗議して大規模なものが行われたが、今回の規模はその比ではない。
山手線の内側より広い「大邸宅」の存在が発覚
今回、反プーチン・デモがこれだけ盛り上がったのは、1月19日、ナワリヌイ氏のグループが、黒海に面した保養地にあるプーチン大統領の「秘密の宮殿」を暴露(YouTubeで公開中 https://www.youtube.com/watch?v=ipAnwilMncI)した影響もある。総費用1400億円の大邸宅は、敷地が山手線の内側より広い7800ヘクタールもあり、屋内スケート場やカジノ、劇場もある。トイレ洗浄用のブラシが1個で約9万円もするとも紹介された。
壮大な宮殿だが、当然ながら資金の出所が問題だ。プーチン大統領の側近およびその親族が出したことになっているが、要は大統領という地位を利用しての不正蓄財だ。
他方、ロシア国民は2019年1月に施行された年金制度改革で年金支給年齢が引き上げられたのに加えて、深刻なコロナ禍で生活が苦しい人が多い。宮殿の動画は8600万回以上の再生回数に達しており、多くのロシア国民が目にしたものとみられる。当然ながら一般のロシア国民からの大きな反発を招いており、プーチン批判デモには、これをきっかけに参加した人も相当数いると思われる。
とはいえ、強権的なプーチン政権の統治機構は堅固なもので、これだけで政権が倒れる可能性は小さい。今回も多くの人々がすでに逮捕されているが、今後もデモ呼びかけに関与した人物などを数多く摘発していくだろう。
しかし、それでもなお、今回のデモの意味は大きい。プーチン政権の強権ぶりと腐敗ぶりがロシア国内でも広く可視化されたからだ。
プーチン政権は、反対派を弾圧するきわめて独裁色の強い体制だが、その基盤は制度的には独裁体制・権威主義体制ではなく、民主的な選挙制度にある。プーチン政権は、ナワリヌイ氏の大統領選出馬を妨害するなどもしているが、大統領も議員も国民の普通選挙で選ばれている。プーチン大統領は前述した年金制度改革などで支持率を落としてはいるが、それでもこれまで選挙で民主的に選ばれてきた。プーチン大統領を支持してきたロシア国民は多いのだ。
高い支持率を誇ったワケ
プーチン大統領の高い支持率は、いわゆる大衆扇動という意味でのポピュリズム的政治手法によるところが大きい。使われているのは、主にロシア民族主義・愛国主義である。欧米に対抗して国を守るプーチン大統領こそが真のリーダーだというキャンペーンだ。
また、さらに重要なのが情報統制である。プーチン大統領は2000年に権力を掌握した直後から、精力的に情報統制と世論誘導工作を進めてきた。そして選挙で権力をキープし、その権力で反対派を弾圧する。プーチン大統領の強権剛腕ぶりをスターリンに喩(たと)える言説もあるが、権力維持の手法としてはどちらかというとヒトラーのそれに似ている。
プーチン氏はもともとKGB情報員で、故郷で有力政治家とのコネにより出世した人物だった。中央政界での実績はそれほどなかったが、引退間際のエリツィン大統領の指名で首相、大統領代行となり、2000年5月に正式に大統領に就任した。
エリツィン政権時代のロシアは、国家秩序も経済も崩壊し、国家資産を食い物にする新興財閥やその周囲のマフィアが権勢をきわめていた。プーチン氏はエリツィン政権末期に首相として第2次チェチェン戦争を指揮したが、当時、ロシアの各都市ではチェチェン・マフィアの悪評が根強かったことに加え、ロシア連邦保安庁によってイスラム武装勢力によるテロの脅威が広く喧伝されたため、プーチン首相のチェチェン攻撃はロシア国民に概ね支持された。それは、実際にはチェチェンの一般住民の虐殺をともなう侵攻作戦だったが、ロシア国内では「チェチェンの無法者の退治」と喧伝されたのである。
報道、ネット情報を徹底的にコントロール
そしてプーチン氏は大統領に就任するとすかさず、情報機関や軍の仲間と協力して、新興財閥の追放に乗り出す。最初に標的となったのがメディア王と呼ばれたウラジーミル・グシンスキー氏で、2000年6月に逮捕された。プーチン政権はそれにより3大テレビ・ネットワークをはじめ、有力メディアを支配。以後、国内報道をコントロールした。プーチン政権に批判的なメディア職員・経営者は解雇され、独立系メディアの記者はときに暗殺され、ときに不審死を遂げた。
その後もプーチン政権は新興財閥のほとんどを逮捕・追放したが、それはロシア国民から拍手された。エリツィン時代の最大の財閥だったボリス・ベレゾフスキー氏は2000年11月に国外脱出し、後にイギリスに亡命したが、2013年に不審死を遂げた。
こうした新興財閥追放は、実際には利権がプーチン側近に移されただけというケースも多かったが、そうしたことは国内ではほとんど報道されなかった。
インターネットの言論空間にも、プーチン政権は介入した。エリツィン時代のネット界は、ほぼ西側世界と変わらない自由な雰囲気だったが、プーチン時代に急速にロシア民族主義や愛国主義の論調が増えた。ロシア連邦保安庁による誘導工作である。
現在も、たとえばロシア最大のSNSである「VK」(フコンタクテ)などは、愛国主義を声高に宣伝するメイン・エンジンのような役割を果たしている。当然ながら、ネット業界への統制を強めるプーチン政権が背後にいるものと見ていいだろう。
ちなみに、プーチン翼賛の道具である愛国主義についても、プーチン政権は浸透のための施策を着々と進めてきている。たとえば2016年2月、プーチン大統領は教育とメディアによって広められる“愛国心”を国の唯一の指針と宣言。教育科学省(現・教育省)に愛国教育の拡大を命令するとともに、連邦青少年問題局(ロスモロデジ)に「ロシア国民愛国教育計画」を策定させた。
2017年3月には、教育省の正式な施策として、SNSを使って少年を愛国教育する「愛国教育計画」プログラムが発足している。
また、軍内での愛国主義教育も進めている。2018年7月には、ロシア軍内に新たに「軍事政治局」が設置され、軍内での愛国主義の徹底が指示された。
ついに、ロシア国民の「洗脳」が解けるか
このように、プーチン政権はポピュリズム的政策で国民を“洗脳”するとともに、情報統制で国民世論を誘導している。2019年3月には、ネット上のフェイクニュース流布および、ロシア国家への不敬を犯罪とする法律まで成立させた。
それにより、プーチン政権に都合の悪い情報は、当局が「これはフェイクだ」と断定することで恣意的に排除できるようになった。また、プーチン大統領への批判や非難も、国家への不敬と見なして取り締まれることになった。完全なる統制の完成である。
こうした手法で大統領への忠誠を養成し、国の全権を握って実質的な“総統”として振る舞ってきたのがプーチン氏だ。ところが今回、大統領が権力を利用して私腹を肥やしていたことや、国民を正当な理由なく弾圧していることが、ついにロシア国内で露呈したのだ。
これは普通選挙を基盤とするシステムの上で権力を維持してきたプーチン大統領にとっては、きわめて深刻なダメージといっていい。ポピュリズム的手法のセオリーとしては、おそらく「デモは外国勢力の不正な裏工作だ」と外部に敵を作る主張を打ち出して焦点のすり替えを試みるだろうが、それで国民の大多数を納得させることはできまい。
仮に今回の政府批判の流れを治安警察による弾圧で乗り切ったとしても、ポピュリズム的人気を今後も高いレベルで維持することは、徐々に困難になっていくだろう。
プーチン大統領は2020年7月、憲法を改正して、自身が2036年まで大統領職に留まることを可能にした。実質的な終身大統領といえる。
また、同年12月には、大統領経験者に終身的な不起訴特権を与える法律も成立させた。しかし、不起訴が約束されたといっても、不正蓄財などが明らかになれば、自身も側近も非難の対象になることは避けられない。
プーチン大統領も当然、今後の保身を考えるはずだ。もはやポピュリズム的手法が効かないとなれば、どこまでも自身の強権支配を望むなら、今後、民主制度自体に手を付ける可能性も否定はできない。それはすなわち、さらなる恐怖政治ということだ――。
<黒井文太郎:1963年生まれ。軍事ジャーナリスト。モスクワ、ニューヨーク、カイロを拠点に紛争地を多数取材。ゴルバチョフ~エリツィン時代、モスクワに居住し長期取材した。軍事、インテリジェンス関連の著書多数。最新刊『超地政学で読み解く! 激動の世界情勢 タブーの地図帳』(宝島社)>
- 取材・文:黒井文太郎
- 撮影:黒井文太郎
- 写真:ロイター/AFP/アフロ
軍事ジャーナリスト
1963年、福島県生まれ。横浜市立大学卒業後講談社に入社し、FRIDAYの仕事に携わる。退社後はニューヨーク、モスクワ、カイロに居住し、紛争地域を中心に約30カ国を取材。帰国後は月刊『軍事研究』特約記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長などを経て現職に就いた。 著書に『アルカイダの全貌』『イスラムのテロリスト』『世界のテロと組織犯罪』『インテリジェンスの極意』『北朝鮮に備える軍事学』『日本の情報機関』『日本の防衛7つの論点』『工作・謀略の国際政治 - 世界の情報機関とインテリジェンス戦』、他多数。