ザコシショウ×小峠×錦鯉が回想「俺たちのヤバい事務所の話」
どうかしてるぜ!「ソニー・ミュージックアーティスツお笑い部」 設立当初は「いつ潰れてもおかしくない部署」だったのに、なぜか売れっ子をどんどん輩出し、賞レースを席巻
ザコシ お前らウチの事務所にいた『鉛筆おじさん』って覚えてる? 鉛筆のモノマネするおっさん。
長谷川 いましたね!
小峠 「鉛筆!」って言ってず~~っと突っ立ってるだけ。それでも舞台に立てるんだから、ヤバいですよね。でも設立当初は、そんなヤツばっかりでしたね。
今最も勢いのあるお笑い事務所『ソニー・ミュージックアーティスツ NEET Project(以下:SMA)』をご存じだろうか。芸能・音楽の大手事務所にお笑い専門のマネジメント部署ができたのは’04年12月。「芸人の百貨店を作る」という目標を掲げ、設立以来入所審査を行わず、希望者を全員受け入れるという独自の方針を貫いてきた。お笑い界で一際異質な存在感を放つ『SMA』の魅力について、設立当初から在籍する3名の芸人が大いに語り合った。
ハリウッドザコシショウ(ザコシ) 最初は俺も吉本興業に入り、コンビを組んでいたんだけど、まったく売れず解散。その後ナベプロ(ワタナベエンターテインメント)に移籍してもダメで、フリーになって路頭に迷っていた。そんなときに、同じくナベプロを辞めた芸人と話していたらSMA立ち上げの話を聞いた。正直、受ければ誰でも入れるって聞いて「それは楽だ」と即決した。
小峠英二(小峠) 俺も同じですね。吉本、ナベプロと渡り歩いて、流れ着いたのがSMAでした。
長谷川雅紀(長谷川) 僕も最初は札幌の吉本に入所しましたが、上京後、新事務所設立の噂を聞いて入りました。
ザコシ 誰でも入れるもんだからヤバいヤツがとにかく多かったよな。覚えているのは『スター山下』って芸人。銀行強盗のコント中、相方がやたらビビってるなと思ってたら、作り物じゃなくて本物の包丁を使ってた。
小峠 俺の相方の西村(瑞樹)もコンビニ強盗のネタのとき、本物のナイフ使ってましたけどね。
ザコシ いつの話?
小峠 移籍してすぐの頃、『爆笑オンエアバトル』(NHK)の収録で地方に行くときに、手荷物検査で警報が鳴って。カバンから本物のナイフが出てきて、空港が騒然となりました(笑)。
ザコシ コント中はテープで巻いてたんだろ?
小峠 やんないっすよ。ガチ。あいつはリアリティーを求めてるんだから。
長谷川 でも、シショウも初期はだいぶヤバかったですけどね。
小峠 たしかに。4分間のネタ時間中、ずっと弁当食うだけのネタやったりとか。
ザコシ 凄い笑い声が聞こえてさ、ウケたと思って見たら、笑ってるの小峠だけだったもんな(笑)。
長谷川 自作のコント道具で、ほかの芸人のイボを治そうとしてるヤツもいませんでした?
ザコシ 『レッドクリスマス』な。
長谷川 ペンみたいな形状で、先端から電気が流れる機器をネタ用に自作してたんですよね。ある日、別の芸人が顔にあるイボを気にしてたら、急にそいつが「効くから」ってそこに電気を流し始めて。
小峠 死ぬよね。それ以来、その芸人は劇場行くたびに電気流されてたらしいよ。
ザコシ 入所審査だけじゃなく、ライブに出演するためのネタオーディションもないから、誰でも入れるし舞台に立てる。バイトよりも簡単。
小峠 バイトの面接は落ちますからね。ウチはまず落ちない。
ザコシ あと事務所によるルールが本当に少ない。たとえばほかの事務所は年齢による契約解除があるけど、ウチはない。
小峠 唯一ダメなのは犯罪くらい。
ザコシ 所属芸人の平均年齢は40歳超えで、だいたいがほかの事務所を渡り歩いてきた流浪人ばかり。社会経験だけは無駄にあるから、事務所もあえてルール作ったりしないんだよな。
小峠 一回20代前半のヤツがお笑いを始めたいって来たんですよね。そしたら、みんな全力で止めましたもんね。「やめとけ、いつでも入れるから!」って(笑)。
長谷川 お笑いに希望を持って入る事務所ではないですよね。どこかで失敗してSMAに来る人が大半。みんな人の痛みを知ってますよね。だから優しい。
ザコシ 若いヤツならまだしも、あのオッサンたちが人の痛みを知ってるわけねえだろ。
’12年には『キングオブコント』で小峠の『バイきんぐ』が、’16年には『R-1』でハリウッドザコシショウがそれぞれ優勝を果たした。長谷川の『錦鯉』も昨年末に行われた『M-1』で最年長ファイナリストとして話題に。当初はイロモノばかりだった事務所が、いかにして賞レースの常連となっていったのか。その秘密を聞くと、二つの理由を話してくれた。
長谷川 持ち劇場の存在と、出演ライブの多さが大きいんじゃないですかね。
小峠 千川(豊島区)に『Beach V(び ー ち ぶ)』っていう小さなライブハウスがあるんですが、自前の劇場を持っているのは吉本と松竹とウチだけなんです。
長谷川 普通、ライブハウスの使用は実績や年齢によって事務所が決めるんですが、ウチはそれがない。申請さえ出せばどんな内容でも、誰でも出られます。
ザコシ 常設の劇場があると、いろいろ試せる。一般のライブだとやっぱりある程度完成したもの、ウケそうなものを持っていく。でも劇場はいわばホームだから、いくらスベってもいい。なんでもできるっていうのはけっこうデカかった。
小峠 だから弁当を食うだけのネタとかできるんですよね。
ザコシ うるせぇ!
長谷川 実際、劇場に行けばいつでもお客さんの反応があって、芸人仲間からアドバイスがもらえて、ありがたかった。
小峠 あと、とにかくライブが多い。俺は事務所の定期ライブ以外にも2ヵ月に1回、新ネタ6本を披露するライブをやってた。もともとはボケだったんだけど、新ネタライブでいろいろ試す中で、ツッコミのほうがハマるってわかった。
長谷川 事務所の人にネタを批評してもらう『ネタ見せ』の回数も多い。ほかの事務所だと月に1~2回だけですが、うちは最大で6回。だからネタを見せて、アドバイスをもらって、修正して……というサイクルを短いスパンでたくさんできる。それも理由だと思います。
ザコシ でも意味不明なライブも多くて。小峠が喧嘩(けんか)した芸人同士を仲直りさせるライブを開いたこともあったよな。
小峠 ありましたね。40歳超えたオッサンたちが、ステージ上でお互いに悪いところと改善法を言い合うだけ。
ザコシ しかも、ちゃんと仲直りできてる。それも意味不明だわ。
長谷川 思い出深いライブっていえば、’05年からシショウと『バイきんぐ』がやっていた『やんべえ』が懐かしいですね。今では炎上するような過激なネタを体当たりでやっていて。思い出に残っているのは『ドリンキング・ニモ』。ライブハウスの入り口にマスコットとして熱帯魚のクマノミを置いていたのですが、開始早々、シショウがそれを丸吞みするっていうネタがあって(笑)。
ザコシ 罰ゲームな。ライブではコントやトーク、ミニコーナーみたいなものをいろいろやってて、その内の一つに『いきなり罰ゲーム』ってコーナーがあった。それで飲んだ。
長谷川 芸人の間で「やべえヤツらがいる」って噂になって、出たいってヤツらがSMAに集まってきた。僕らもそうですし、『だーりんず』の二人とか、『アルコ&ピース』の酒井(健太)とか、『にゃんこスター』のスーパー3助とか。
ザコシ 最初の頃は型にハマッたコントや漫才をやるメンバーが『正規軍』って呼ばれていて、事務所からも評価されてた。でもそんなかしこまったものに収まりたくない! ってヤツらが集まった。
小峠 お笑い反社っすね。
長谷川 どんな軍団ですか(笑)。
ザコシ でも楽しかっただろ? 俺は一回、芸人辞めてんのよ。SMA入る前は漫画家目指してて。いろんな出版社に持ち込み行って、ボロクソ言われた。『こんなつまらない漫画は初めてだよ。もっとお笑いのDVDとか見たほうがいいよ』とか。お笑い芸人なんだけどって(笑)。
長谷川 たしかに俺も何度も引退を考えましたもん。そのたびにシショウやほかの仲間に助けられてきました。
ザコシ 一度辞めたときに、俺にはやっぱりお笑いしかないんだなって気づいた。ウチにいるヤツらは、そんな挫折経験、みんなしてんだろ。失うものなんて何もないんだから、自分が本当にやりたいことを曲げずにやるべきだって、俺は思う。その上でウケたときは最高だよ。その瞬間が好きで、今も続けてんだよ。
お笑い界のアウトロー集団の快進撃は、まだ始まったばかりだ。





『FRIDAY』2021年2月5日号より
撮影:結束武郎(ライブ写真以外)