「今のところは五輪はある、という想定」男子バレー代表主将の本音 | FRIDAYデジタル

「今のところは五輪はある、という想定」男子バレー代表主将の本音

~本当に開催できるのか 東京五輪とコロナの狭間で揺れるエースたち ~ 第2回 柳田将洋

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2019年、東京で行われた国際大会。この夏、柳田将洋(右)のこの姿は再び見られるだろうか(写真:アフロ)

東京五輪の開催延期が発表されたのは、昨年3月。あれから1年近くがたち、7月の五輪開催を待つのみ…とはいかなかった。世界中の全ての人が外出自粛などさまざまな制限に耐えたにも関わらず、コロナ禍は当時より好転したとは言い難い。

当然ながら、五輪への世間の声は厳しいものがある。ワクチン接種も始まっていない日本で、7月の開催には、実際に暗雲が立ち込め始めている。

本来は主役だったはずの彼らがどんな思いで2020年を過ごし、今は7月の開催に備えているのか。彼らの声に耳を傾けてみたい。

所属チームがなくなった時期もある

7月の東京五輪は本当に開催されるのか、それともなんらかの決断が下るのか。昨年来2度目の緊急事態宣言が発出された今もまだ、先行きは不透明だ。ただ、五輪出場の可能性のある選手たちは本番半年前の今、トレーニングを欠かすわけにはいかない。

「今のところ(五輪)はある、という想定で動いています」

そう話すのは2018年からバレーボール男子代表主将をつとめる柳田将洋だ。身長186センチとバレー選手としては小柄ながら、チームの得点源となる強烈なサーブを武器とする。

現在は所属するサントリー・サンバーズでVリーグを戦っている真っ最中。日々のリーグ戦のためにトレーニングを行い調整していくことの繰り返し自体が、五輪が開催される7月にピークを持っていく下準備となるのだという。

多くの五輪アスリート同様、柳田もコロナ禍と五輪延期によって大きく予定を狂わされた一人だ。

昨年3月、柳田はドイツブンデスリーガのユナイテッド・バレーでプレーしていた。だが、ドイツではロックダウンに入りはじめ、あらゆるスポーツの活動が禁止された。男子サッカーのリーグ戦などは、一時中断し5月に再開したがバレーボールは3月の時点で残っていた全日程打ち切りが決定。柳田は3月中旬日本に緊急帰国、当時は義務付けられていなかったが2週間ホテルで自主待機生活を送った。

だが、ホテル近くにランニングに出たところ多くの花見客が集まるエリアだったため、引き返すなど不自由な環境をしいられた。そんな自主待機中の3月24日、東京五輪開催延期が発表された。

「延期なのかな、とある程度は思っていましたけど、あらためて決定を受けてショックのような気持ちはありました」

当時、欧州では日本よりも早く感染拡大が始まっていた。ドイツでも今では当たり前になった、距離を保ってのコミュニケーションが求められ始め、移動制限、レストランやカフェの営業停止、国境の封鎖が始まった時期だ。ものの数日で急速に社会が変化せざるをえなくなるさまを、柳田はドイツで目の当たりにしている。それだけに、柳田のコロナへの危機感が強く、昨年3月の取材ではこんな風に話している。

「でも今は命の方が大事なので、絶対。僕はヨーロッパから帰ってきて、ヨーロッパの感染者数の増え方を、当事者としてはものすごいものだと感じました。日本もそうなる可能性があるだろうし、身近な人たちが苦しむ可能性があると思うと、スポーツがどうとかそういう次元のことじゃないと思った」

4月上旬はナショナルトレーニングセンター(NTC)で行われていた日本代表合宿に合流。だが7日には緊急事態宣言が発令されることを受け6日に合宿は中断され、NTCも一時閉鎖に入ったため、再び個人で調整を行わねばならなくなった。柳田は当時の難しさを、言葉を選びながら表現する。

「誰もがそうだとは思うんですけど、コロナ禍という経験したことがない状況で、自分自身でどうすればいいかを常に迫られるような状況が続いていたと思います」

その時点で柳田の所属チームはなく、Vリーグはオフ期間に入っている。新たに日本で所属チームを探すにしても欧州に戻るにしてもリーグ戦は夏以降の再開だ。五輪という本来の目標も一年間延期され、トレーニングをするにしても自分で動き出さねばならない。だが何に向けて動き出せばいいのか。難しくないという方が嘘になる。

6月サントリーサンバーズに入団が決まるまでの約2ヶ月、実家に戻り、個人でトレーニングを行う期間は続いた。ダンベルを購入するなどしてフィジカルを鍛えることは可能だったが、バレーをすることはできない。だがこの時期、試合も合宿もなくコートに立てないのはほかの選手たちも同じこと。このボールに触れない期間も、柳田は案外落ち着いていたと振り返る。

「不安な状況はあったんですけど、長い目で見てましたね。長い目で見て、コロナが落ち着かなければ、(自分以外の他の選手も)競技するところまで行き着けないと思っていました。なので、プレーできないこと、ボールから離れることへのストレスは、ある程度はありましたけど、さほど強いプレッシャーではなかったかなと」

個人の力で変えられる状況ではなく、受け止めるしかなかった。

2019年12月、ドイツのユナイテッド・バレーでプレーした柳田将洋(写真:共同通信)

「五輪が『ある』『ない』を考えることに労力を使いたくない」

そもそも、柳田は東京五輪に向けて4年を一区切りとした計画を立てていた。サントリーの社員で選手だった2016年、プロとなり競技に集中できる環境を作りたいと考え、打診を始める。

2017年にプロ宣言し、同時にドイツ1部のビゾンス・ビュールへ移籍。初の海外挑戦で、まずは欧州に慣れるために小規模クラブで出場機会を得ることを優先した。2018-‘19にはポーランドのクプルム・ルビンへ。ドイツよりもリーグのレベルが上がる中でハイレベルな試合を経験した。2019-‘20シーズンは再びドイツへ。2季前に所属したビュールよりも上位争いができ欧州戦も戦うユナイテッド・バレーに加入した。五輪を一つの目標としたサイクルの中で経験を積み、実力をつけじっくり仕上げた3シーズンだった。

「2017年にプロになった時には、東京でのオリンピック開催がすでに決まっていたので2020年までのプランはバシッと出せたんです。だからこの先となると、次はオリンピック後のシーズンをどうするとかではなくて、多分次の4年間をどうするか、ということを考えることになるんだと思います」

今年の夏以降のことを具体的に考える必要はあるのだが、考えるのは今ではないという。

「オリンピックがあるかないかはかなり大きな分岐点、分かれ目だと思うんですけど、それによってプランがどう変わるかはわからないです。僕はここまでもいろいろイメージしてやってきたんですけど、オリンピックのあるなしで先のことをふた通りイメージするのは難しいというか。

もちろん今のところオリンピックはある、と想定して動いています。もしなかったら……、というストレスを感じないようにしています。もしなかったとしてもその時にあとのことは考えていくしかないのかなと思います」

時間をかけ丁寧に五輪に向けて積み重ねてきたのだから、昨年延期が決定したことも、今の不透明な状況は多少なりとも受け止め難いのではないかと想像するのだが、口調は淡々としている。考え込んでしまう日など、ないのだろうか。

「うーん、そこまでこうナイーブじゃないんです。何かが起きたら『しかたない』で済ませる派なので(笑)。いや、わりと考えるタイプではあるんですけど、去年延期が決まった時もそうですけど、まあ延期よりコロナの感染者とか感染リスクとかを考えて、しかたないなと思うところもあったので落ち込んでもなかったし、ショックがでかいわけでもなかったんです。

(今、五輪開催が不透明で)どうなるかを考えても仕方ないなというところに今は落ち着いているので、仮定の話で”五輪がある”、“五輪がない”を考えることに労力を使いたくない。

まあ今はVリーグの真っ最中で、リーグ戦の結果とかコンディションを大事にしています。オリンピックよりもといったらアレですけど、オリンピックにつなげるためにも余計に今のシーズンを大事にしたいという感じはありますね。今をおろそかにして仮にオリンピックがあったときに、動けないというのが一番だめだと思うので」

昨年12月にはサントリーのチーム内で選手、スタッフ計7人の新型コロナ感染者が出た。それでも、淡々と事実を受け止め前を向く。ここまでも時間をかけて一歩ずつ積み重ねてきたからこそ、これから先も一歩ずつ。柳田は五輪があってもなくても、着実に前進していくことだろう。

  • 取材・文了戒美子

    1975年、埼玉県生まれ。日本女子大学文学部史学科卒。01年よりサッカーの取材を開始し、03年ワールドユース(現・U-20W杯)UAE大会取材をきっかけにライターに転身。サッカーW杯4大会、夏季オリンピック3大会を現地取材。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフ在住。2019年に「内田篤人 悲痛と希望の3144日」(講談社)を出版

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