坂本スミ子さん 灰皿まで飛んだ「夫と有名演歌歌手」との不倫報道 | FRIDAYデジタル

坂本スミ子さん 灰皿まで飛んだ「夫と有名演歌歌手」との不倫報道

芸能リポーター・石川敏男の芸能界「あの出来事のウラ側は……」

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主演映画『楢山節考』は第36回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝き、授賞式で笑顔を見せる坂本スミ子さん
主演映画『楢山節考』は第36回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールに輝き、授賞式で笑顔を見せる坂本スミ子さん

《芸能リポーター・石川敏男の芸能界「あの出来事のウラ側は……」》

ラテン歌手で女優だった坂本スミ子さんが、脳梗塞のために熊本の病院で亡くなった。84歳だった。

黒柳徹子さんや故・坂本九さんらが出演していて、‘60年代の超大人気番組だったNHK歌謡バラエティ生放送『夢で逢いましょう』の主題歌を担当したこともあった。

女優としても今村昌平監督の映画『楢山節考』に主演。40歳の坂本さんが息子に背負われ“姥捨山”に捨てられる老婆を演じるため、前歯四本を抜いて熱演した。結果、第36回カンヌ国際映画賞で最高のパルムドール賞も受賞した。

私生活では人気司会者と結婚するも離婚と波乱の人生。オレの中で、もっとも衝撃だったのは、再婚した医師の不倫問題だった。

お相手は『紅白歌合戦』に連続出演していた超有名演歌歌手。個人的にはオレも特別に親しかった演歌歌手だ。その二人の不倫の事実も知らなかったし、当時週刊誌記者をしていたオレが記事を担当したわけじゃなかった。

だが、オレがいた週刊誌編集部の別の記者が、その不倫をスクープ。発売された日、坂本さんのマネージャーが編集部を訪ねてきた。

発売日だったために、編集部には数人の編集者や記者しかいなかった。知り合いだったオレを訪ねてきたのだ。

「編集長に会わせてください」

という依頼。編集長も了解して会うことになった。

しばらくして、部屋中にガチャーンという大きな音。編集長の席を見ると、マネージャーが編集長に飛び掛かっていた。慌てて、中に入ることになる。

さすがにオレには手を挙げなかったが、マネージャーの顔は興奮して大きく変わっていた。ガチャーンは、マネージャーがガラスの灰皿を編集長に投げつけた音だった。

幸い灰皿は当たらず、編集長には怪我はなかった。話し合いの結果、警察が入ることもなくその場は収まることになったが、“コンプライアンス”などという言葉もなかった時代。訴訟問題にもならなかった。

坂本さんを守りたかったマネージャーの熱意が、暴力という行為に走らせたのだろう。スクープを見つけ取材し書く記者。隠そうとするマネージャーとの戦いだ。

その騒動の20年後、坂本さんのご主人だった今は亡き医師と大学で大親友だったという栃木で開業医をしていた先生と出会った。彼いわく、

「僕は坂本さんと離婚して、演歌歌手の方と結婚すると思っていましたよ。会うといつも演歌歌手の自慢をしていた。羨ましいと感じていた」

という話を聞いた。男の身勝手かもしれないが、一口に不倫と言うけど“愛”もあったのだろうな。アンジャッシュの渡部健さんとは違う。

不倫報道後、坂本夫妻は元の鞘に収まった。坂本さんはご主人の故郷である熊本で、彼の両親が経営していた幼稚園の園長をしながら芸能界の仕事も続けていた。

オレにも週刊誌記者時代に取材対象者とのトラブルもあった。とりあえず、一つだけ紹介。

宝塚出身で、宗教問題で大きく取り上げられたこともある女優の熱愛問題を京都の撮影所で、ご本人に直撃したことがあった。相手が誰だったかは覚えていないが、側にいたマネージャーがいきなり殴りかかってきた。そして、大喧嘩。

撮影を済ませたセットから出て来たところだったが、いきなりの「熱愛質問」に、マネージャーが切れたんだろうな。その後、マネージャーとは和解している。

今では比べ物にならないほど、芸能関係者も記者も熱い時代だった。遠い昭和の思い出話だけどね…合掌。

  • 取材・文石川敏男(芸能レポーター)

    ‘46年生まれ、東京都出身。松竹宣伝部→女性誌記者→芸能レポーターという異色の経歴の持ち主。『ザ・ワイド』『情報ライブ ミヤネ屋』(ともに日本テレビ系)などで活躍後、現在は『めんたいワイド』(福岡放送)、『す・またん』(読売テレビ)、ラジオは福井放送、ラジオ関西、レインボータウンFMにレギュラー出演中

  • PHOTOAFP/アフロ

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