28年前の「教師による性暴力」を告発した私が今伝えたいこと | FRIDAYデジタル

28年前の「教師による性暴力」を告発した私が今伝えたいこと

2020年12月10日に記者会見をした際の石田郁子さん 写真:共同通信
2020年12月10日に記者会見をした際の石田郁子さん 写真:共同通信

20年以上前の教師による性暴力に対する訴えを無視し、長年見逃してきた札幌市教育委員会が、1月28日、加害者である教諭を懲戒免職とする処分を発表した。

東京在住の写真家・石田郁子さんは1993年3月、中学3年生の卒業式前日、通っていた中学校の美術教諭から北海道立近代美術館の展覧会に誘われた。この日から大学時代まで、同じ教諭からキスをされたり、体を触られるなどの性暴力を受け続けることになる。

2015年のある裁判傍聴をきっかけに、長年恋愛だと思っていたことは、性犯罪被害ではないかと認識し始めた。2016年2月末、札幌市教委を訪れて東京に帰った後、フラッシュバックを経験し、PTSDを発症。2019年、札幌市と教諭に損害賠償を求め東京地裁に提訴したが、同地裁は2019年8月、石田さんの訴えを退けた。

性暴力がおこなわれた時点から20年以上が経過していたため、民法上の損害賠償請求権が認められる期間(除斥期間)が過ぎていると判断されたためだ。石田さんはPTSD発症時を、起算点と主張していた。のちに東京高裁に控訴したが、2020年12月に請求が棄却されている。

一方で高裁は、教諭からの長期にわたる性暴力は事実であると認定。これを受けて、札幌市教育委員会は今年1月から教諭への聞き取りなどの再調査を行い、今回の懲戒免職処分に至った。

実は、調査は以前も行われていた。もともと石田さんが性被害を自覚したのちの2016年、教育委員会は教諭に複数回の聞き取り調査を行なっていたが、教諭が性暴力を否定し、事実確認ができなかったとして、処分はなされていなかったのだ。石田さんにわいせつ行為を行なっている最中も、それ以降も、高裁で性暴力の存在が認定されても、この教諭は札幌市の中学校で美術を教えていたという。

高裁で認められた性暴力の概要は以下の通りだ。

・中学の卒業式前日、2人で美術展に行った後、教諭は自分の住むアパートで石田さんに告白してキスをした
・石田さんの中学校卒業後、高校入学前の時期に、中学校の美術準備室で教諭は椅子に座り、その太ももの上に石田さんを座らせてキスをしたり胸を触ったりした。また、床にダンボールを敷いて石田さんを横にならせ、その上からキスをするなどした
・石田さんが高校1年生の夏の頃、教諭の車で海に行き、石田さんを後ろから抱きしめたりキスをしたり、上半身の服を脱がせるなどした
・石田さんが高校2年生の夏、小樽市の登山の際、教諭はその山頂付近で石田さんにわいせつな行為をした

当の教諭は、訴訟の答弁書内で「多忙であり、展覧会に誘えるほどの心の余裕も時間の余裕もない」「美術準備室は人の出入りが大変多く、その中でわいせつ行為に及ぶことは不可能であった」など、わいせつ行為を否認していたが、裁判所は石田さんの訴えを事実と認めた格好だ。

被害を自覚してから提訴まで、そして現在の状況や気持ちについて、石田さん本人に聞いた。

——自覚するきっかけとなる裁判傍聴について、そのとき、どのような事件を傍聴されていたのでしょうか。

「児童福祉法違反の裁判です。被告は30歳前後くらいの男性で、被害者は16歳。ちょうど私が最初に被害にあった時期と同じくらいの年齢で、被告も当時の教諭と年齢が近かった。被告は養護施設の職員で、被害者はその施設に通う少女でした。関係性と年齢の組み合わせ、そしてわいせつ行為に及んだ被告が『恋愛だった』と言っているところが近くて……。

私もずっと恋愛だと思わされていたので、当時は『ちょっと人と違う変わった恋愛をしていた』と思い込んでいました。これまで何人かに『高校に入って周りの同級生が恋愛しているのを見て、自分と違うと思わなかった?』と聞かれたことがあります。でも、そもそも先生と恋愛することが普通のことと違うから、気付かなかった。自分が特殊な経験をしているから、当時は分からなかったんです」(石田郁子さん 以下同)

——通っていた学校の教諭から初めてキスをされ、その後行為がエスカレートして、最終的に突然別れを告げられましたが、始まりから終わりまで、どんなお気持ちで日々過ごされていたのでしょうか。

「普通ではないことをしているという思いがありました。その教員と一緒にいた間は本当に“人形”みたいになっていました。どこに行くのも教諭の車で連れて行かれて、ちょっと遠い郊外の美術館に行くのも変な感じでした。支配するというのは必ずしも、これをしろとかあれをするなという命令だけではありません。

余裕のある態度とか『あなた』という呼び方とか、学校の先生だから先生っぽい振る舞いができる。そうすると、先生の望むことをするのが正しいのかなと、なんとなく思わせられてしまうんです。

他の人が関係を知ったらこの先生はクビになるとか、そういうことは当時分かっていなかったのですが『先生と生徒が交際するのは普通のことではない、でも先生が言ってきたんだから悪いことではないんだろう』という思いがありました。理由は分からないけど『この関係は言ってはいけない』ように感じてもいました。

生徒である私に『好き』と言ってきて、その後恋愛相手に行うような行為をしてきたから、最後に向こうから突き放してくることを想像してなくて、びっくりしたというのもあります。あと、いったいこれだけ混乱させられたのは何だったんだと思いましたし、その教諭と一緒にいた時期が心地よかったわけではないんですが、その教諭がいない世界っていうのが想像がつかない状態……DVの構造に少し似ているかもしれませんが結構混乱しました」

——その後、裁判傍聴までにも違和感を抱いたことはありますか?

「会わなくなった翌年に休学し、京都に行って1年過ごしていました。その間は楽しく過ごせていたんですが、その翌年札幌に戻り、22歳の時に教育実習に行ったとき『生徒を恋愛対象として見るのはおかしいんじゃないか』と思ったんです。年の差の問題ではなくて、そもそも教師にとって生徒はそういう対象ではないんじゃないかと感じてきました。

その後、その教師から『交際中の女性と別れそうだ』と2回手紙が来たんです。『なぜ私は女性を尊敬するのに愛されないのか』という内容で、そこで初めて、札幌市の教育委員会に手紙で要望を出しました。昔あったこと、今回手紙が届いたことを伝え、『もう手紙は送ってほしくないし、教員と生徒がこういう関係になるのはおかしいから厳重に処罰してほしい』と伝えたんですが返事はなかったです。

問い合わせの電話をしたら『そんな手紙は来てない』と一度は言われましたが、改めて連絡があり、教育委員会を訪ねると、児童相談員だという高齢の女性から『若い時はいろいろあってつらいわよね、今日はたくさん喋ってすっきりしてちょうだい』と言われて……なんか違うなと。

先生と生徒が恋愛するのはおかしいと伝えると『好きだったんでしょ』『卒業してから恋愛するのは自由』と言われてしまって。『その教師に言っておきますね』とも言われましたが、結局教師には言わずに終わったようで、すごくいい加減な対応をされたと感じました。

同じ年に、中学時代の同級生に会って、あの先生と付き合っていたと伝えたら『えー本当? 気持ち悪い』と言われたんです。その反応を見て、あんな教師と付き合った自分がばかだったと思って、そこから人に一切話さなくなりましたし、思い出さないようにしました」

——前述した裁判傍聴を経た2016年、あるイベントの際に「卒業式のときに着ていたダッフルコートの襟元の感触をそのまま感じ」て当時のことを強く思い出し恐怖を感じるようになったと訴状にありましたが、いまもそのような感覚に襲われることはありますか。

「私の場合はPTSDのフラッシュバックが触覚的なものでした。いまは自分で心理セラピーをできるようにして、それを継続しています。ですが、もう解決したかなと思うことでも、すごく奥を見て行くと、実はまだこういうことが怖いのかと気づいたりする。

性被害にあった人は自分のことを汚いと思うといいますが、実は自分も奥底でそう思っていた。女性である自分が怖い、安全ではない、といった思い込みが今も出てきます。また、加害者と年齢の近い男性と(感情的に)ぶつかりやすいとか、恋愛になると人間関係が難しくなってくるとか、そういった傾向もあります」

——石田さんと同じように、教師からの性的行為に苦しむ生徒さんや、それを知った親御さんなどに伝えたいことはありますか。

「当事者の方に対しては、そもそも先生が生徒に性的なことをすること自体がおかしいと知ってほしいです。また、本当に恋愛だったらモヤモヤすることも悩むこともないはずなので、ちょっと疑ってみることが大事です。自分では分からなかったら、性暴力の相談センターに行ってみてほしい。

親御さんに対しては、もし自分の子供がそうだとしても、子供は悪くないので子供を責めることはしないでほしいです。もしそういうことが起こっていたとしても、当事者は悪くないと伝えたいです」

石田さんは被害を自覚した2015年、この教諭と面会し、過去の行為についての認識を問いただしている。訴訟では全て否認した教諭だったが、当時は、こう語っていた。

「例えば、あなたが『この人許せない』ってなったら、10年前、20年前のことでも裁判を起こして、札幌市の裁判所に申し立てをする。で、俺は免職になる。そういうことであなたの心がすっきりして、『20何年前のあの出来事は犯罪だったんだ、この人はクビになったんだ』っていうことでケリがつく、という方法もあるだろうな。俺そん時はもう、なんていうのかな、逃げようもないしね」

教諭は、石田さんと別れたのちに結婚し、二人の子供に恵まれた。日常生活では旧姓を名乗っているようだが、民事訴訟が始まってから戸籍上の苗字を変えている。

  • 取材・文高橋ユキ
  • 写真共同通信

高橋 ユキ

傍聴人、フリーライター

傍聴人。フリーライター。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『木嶋佳苗劇場』(宝島社)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。6月1日に「逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白」(小学館)が新たに出版された

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