野村克也を失った息子・克則の告白「今でも泣いて目が覚める」 | FRIDAYデジタル

野村克也を失った息子・克則の告白「今でも泣いて目が覚める」

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2009年4月、監督通算1500勝を達成し、田中将大投手(右)からウイニングボールを受け取る楽天・野村克也監督。生きていたら「楽天のために恩返ししなさい」と語ったのだろうか(写真:共同通信)

野球界に偉大な功績を残した野村克也氏が虚血性心不全で急死してから2月11日で1年になる。息子の楽天・野村克則育成捕手コーチは沖縄キャンプ前の24日、親族だけで1周忌を済ませた。

1周忌を前に、世間でも広く名が知られた父・克也さん、約3年前に亡くなった母・沙知代さんへの思いを明かした。

父のお骨は1年間、実家に置いていた

「正直まだ亡くなった、という意識がないんです。父も母も寝ているときにたまに夢に出てきて、目が覚めると『ああ、夢か』と気づくんですが、必ず涙を流しているんです。う~ん、なんでしょう、やっぱり親なので、思い入れがあるんでしょうね」

昨年1月末、キャンプに向かう直前に「行ってくるよ」とあいさつすると、「頑張れ」と言われて父と握手したのが、父子のやりとりの最後となった。ヤクルト、楽天などで指導した選手やコーチなど関係者たちと最期のお別れをした後、近親者だけで葬儀を済ませたが、納骨はしなかった。

「ずっと(克也さんが生前住んでいた)実家に置いておきました。新型コロナウイルスの感染拡大の影響でみんなが集まって納骨することができなかったのもあるんですが、父も家が好きだったので、しばらく置いてあげてもいいのかなと考えた部分もあります。実家の仏壇には、母もいますから。僕は昨年、仙台が拠点だったので、東京に戻ってきたときなどに実家を訪ねて、手を合わせる感じでした」

楽天は、昨シーズンはじまる前にロッテから涌井秀章や鈴木大地を獲得するなど大型補強。7シーズンぶりの優勝が期待されていたが、4位に終わった。克則コーチは三木肇監督を支える作戦コーチをつとめたが、力になれなかった悔しさが残る。

「去年の楽天は逆転負けが多くて、一つ勝つ難しさ、そのための適材適所の選手起用の難しさを改めて感じました。野球にはセオリーがあるけど、セオリー通りやれば必ず勝てるわけではないし、いわば応用問題の連続です。正解もないし、打たれたとき、負けたときなどはその原因を追究し続けなければいけない。特に選手起用については『野村克也監督ならどうしてるかな』と考えたりすることもありました」

野村克也監督は就任当初、弱小だった球団を選手兼任時代を含めて監督としてリーグ優勝5回、日本一3回に導いた。父の手腕の凄さを改めて感じた。

思えば、克則コーチは明大時代の1995年にヤクルトに指名されたが、父は「お前はプロでは通用しない」とプロ入りを反対していた。それでも「小さな頃からの夢だから」と押し切り、ヤクルトを皮切りに阪神、楽天と11年間、現役生活を続け、うち5年間は同じチームで「監督と選手」という間柄で一緒に戦った。

「大学まではそれほど気にならなかったんですが、同じ世界でやるようになってからは複雑でしたよ。覚悟はしていましたけど『親子だから』という見方は、どうにも変えられない事実です。

今、SNSで誹謗中傷で苦しんでいる方がたくさんいるようですけど、当時、SNSみたいなものがあったら、僕もどうなっていたかわからない。いろいろありましたから」

「気にするな」という一言以外は静かに見守った父とは対照的に、母は目立つ行動が増え始めた。克則コーチがプロ1年目の1996年に衆院選に立候補(落選)。

プロ4年目の1999年には、女優の浅香光代さん(故人)が母を非難したことを端に「ミッチーサッチー騒動」に発展した。阪神に在籍中の2001年には母は脱税の疑いで逮捕され、当時、野村克則捕手はスタンドから「脱税者の息子」とヤジられた。

「親子であるがゆえに、誹謗中傷とかいろいろ書かれて、人間不信に陥りました。母にも『芸能活動とか目立つこと、やめてくれ』と言ってけんかしたこともあります。そうしたら『あなたの悩んでることなんて、世界中の人の悩みに比べたら、毛の先ほどのもの。世界の視点に立って自分を見てみろ』って(笑)。人にはおそらくわからない、複雑な思いと向き合うことができている分、精神的に強くなりましたよ」

都内の寺院で、父・克也氏の1周忌法要を終えた楽天・野村克則育成捕手コーチ(写真:産経新聞社)

「えこひいきして何が悪い」

克則コーチの現役晩年、野村監督も戦いの場で「父」の顔をのぞかせたことがあった。当時、克則捕手の右肩は手術しなければならないほど悪化していたが、藤井彰人(現・阪神一軍バッテリーコーチ)との併用を続け、ファンからも球団にクレームが届くようになっていた。そんな野村監督に対し、ある試合後、楽天の球団幹部が起用法の再考を求めた。すると野村監督は「自分の息子なんだ。えこひいきして何が悪い」と返答し、球団フロントはその想定外のコメントに顔を見合わせるしかなかった。克則コーチは続ける。

「その話は僕は知らなかったんですが、僕自身はプロとして勝負しているつもりでも『えこひいきされている』という人がいたことは知っていたし、あまり気にすると何もできなくなるのでね…。ただ、野村監督は人情味のある監督でしたから、僕だけではなく、その時、その時で思い入れのある選手はいたと思いますよ」

その年に戦力外となった克則コーチは父が率いた楽天の育成コーチに就任。2008年に一軍バッテリーコーチに昇格すると、山田勝彦バッテリーコーチ(現・阪神二軍バッテリーコーチ)とともに当時入団2年目の嶋基宏(現・ヤクルト)に「ノムラID野球」を注入。

毎試合前後に必ず映像を見せて、特に打たれた場面の1球の根拠についてお互いに意見交換を繰り返し、配球術を磨いた。嶋は考えすぎてパニックになり、試合中に投手にサインを出せなくなったこともあったというが、克則コーチは嶋と一緒に根気のいる作業を続け、一流捕手になる礎を築いた。楽天だけでなく、巨人、ヤクルトでもコーチを続け、今年でコーチ業で15年目を迎える。

「あの細かさ、人を見る分析力がある野村監督の下でコーチができたことは、すごい財産です。本当に父には感謝してますし、今も野球界でこうやって残れているのも、ずっと教えていただいたものがあってこそだと思います」

野球については厳しい父も、息子の“不祥事”に対しては鬼になり切れなかった。ヤクルトのコーチ時代の2018年、FRIDAY本誌にテレビ局員との不倫関係疑惑を報じられた。克則コーチは妻に平謝り、父も妻に「すまなかった」と頭を下げたという。ただ、父は「奥さんにきちんと謝れ」「これからは気をつけろ」と話した以外には、頭ごなしには怒らなかったという。

父も女性から携帯電話がかかってきたことが妻の沙知代さんにバレると、その場でへし折られ、真っ二つに割れた携帯は7~8台にのぼる。そんな過去がある親父としては、息子にキツくは叱れなかったのかもしれない。克則コーチはこう続ける。

「家族の中でいろいろあってここまで来ました。父の息子でよかったと思いますし、いろいろあった母とも最後の10年ぐらいは穏やかな日を過ごせた。あの2人が両親で本当に良かったと思います。ただ僕が楽天のコーチに復帰した2019年以降、東京の家を空ける時間が多くて、父は僕の妻に『克則は今、何やってるんだ』と尋ねることが多かったみたいで…。その話を聞くと、もう少し一緒にいる時間をとれればよかったのかな、と考えることもあるんです」

そんな心残りはあっても、指導者としての戦いは今季も続く。生前、「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上なり」という言葉を好んで使った野村監督を思えば、嶋のような捕手を新たに育てたい。人は簡単に育たないが、「花」が一つでも多く開くよう、種をまき、水をやる作業を続けながら、若い捕手と一緒に成長したい、と考えている。

ヤクルトの宮崎・西都キャンプで指導(写真:産経新聞社)
阪神時代、バント練習をするカツノリ捕手と野村監督(写真:産経新聞社)
現役生活最終年となった2006年、引退試合後に握手(写真提供:楽天野球団)
2009年10月、CSで本塁打を放った山崎武司と思わず抱き合う野村監督と手を挙げて喜ぶ克則コーチ(写真:産経新聞社)
監督最終年となった2009年9月、敬老の日のイベントで、始球式を行い笑顔で並ぶ楽天・野村克也監督と沙知代さん(写真:共同通信)
2014年、ヤクルト戦の始球式を務め、石井一久・楽天元監督の石井一久氏と記念撮影。生きていたら先輩監督としてどんなアドバイスを送るのだろうか(写真:共同通信)
昨年1月21日、金田正一さんのお別れの会に参列。克則氏が押す車椅子に乗ってソフトバンク・王貞治球団会長(左から2人目)にあいさつした(写真:共同通信)
写真提供:楽天野球団

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