『新聞記者』の監督が『ヤクザと家族』を次のテーマに選んだ理由
「『新聞記者』の初稿を読んだ時、書いてあることの本質が掴みきれないところもあり、自分の得意な分野ではなかったと感じました。でも今回の『ヤクザと家族 The Family』(以下『ヤクザと家族』)は、自分の周りに身近に存在していた方々の話だったので、アプローチはしやすかった」
19年に公開されると瞬く間に賛否を巻き起こした映画『新聞記者』。話題性もさることながら、第43回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を含む6冠に輝き、作品を巡って論争が生まれたことも記憶に新しい。
文字通りの日本映画史に残る「問題作」となった『新聞記者』だが、同作の監督を務めた藤井道人氏(34)は撮影秘話を明かしながらも、自身初のヤクザ映画であり、1月29日公開予定の最新作『ヤクザと家族』についても、その秘話を語った。
「18年に『新聞記者』を撮り終わってからすぐに、プロデューサーだった河村光庸さんから呼び出されて、『次は何を撮る?』と言われたんです。
内心『いきなり次の話かよ!』って思いました(笑)。でも、『新聞記者』は自分のホームグランドではない世界で、とても料理の難しい映画だった。だから、次は自分のやりたいことをしたいという話をしたんです。そうやって河村さんと企画のキャッチボールをしていく中で、次はこれをやろうとなったのがヤクザ映画でした。
僕自身も白石和彌監督の『孤狼の血』や北野武監督の『アウトレイジ』、三池崇監督作品が大好きで、ヤクザ映画を撮りたかった。その一方で『自分たちしか作れないヤクザ映画』で勝負しなければいけないと感じました。
じゃあそれはどんな映画だろうって考えた時に『食えなくなった』『社会から排除されたヤクザ』を主題にしよう…となり、『ヤクザと家族』の企画が始まったんです。『新聞記者』と『ヤクザと家族』は世界観も全く別物ですが、社会に生まれている分断を描く、という点は共通していると思います」

本作はヤクザを取り巻く3つの時代を背景に3章立てで構成されている。第1章では主人公・綾野剛(38)演じる不良少年・山本賢治がヤクザの世界へ足を踏み入れるきっかけとなる出来事が描かれ、第2章ではヤクザとなった賢治が極道の世界で成り上がっていく姿、そして敵対する組との抗争の末に逮捕され、刑務所暮らしを余儀なくされる場面が展開される。
最終章となる第3章では14年の刑期を終え、「浦島太郎」として出所した賢治が暴対法、さらに排除条例による締め付けによって様変わりしたヤクザの世界を目の当たりにする。
藤井氏はこの3部構成についてこう語る。
「第3章の食えなくなったヤクザだけを描くと、ただただヤクザは悲しいっていうだけの映画になってしまう。決してヤクザを称賛したくて今回の映画を作ったわけではありませんが、世間が何かを排除する仕組みというのは、今の時代、ヤクザに限らず起こりうる現象です。社会からこぼれ落ちてしまった人たちがどう生きればいいのか…というのは決して他人事ではない問題。その恐ろしさを、ヤクザの世界を描くことを通じて訴えたかった。
そのためには、その世界の栄枯盛衰を描かなければなりません。だから、3章立てにして、どういう理由でヤクザになり、どういう隆盛があって、今に至っているのかということを描ければいいなと思い、脚本作りが始まりました」

制作に当たり、藤井氏は積極的に元ヤクザや関係者への取材も行ったという。
「取材を進めれば進めるほど、ヤクザの世界の理想と現実との差に驚きました。と同時に取り締まりを行っているのは警察ですが、実際にヤクザを排除しようとしているのは、いわゆる世間なんだとも感じました。
たとえば元ヤクザの子供は、幼稚園に入れない。それがダメとなっているのは、父兄さんたちが嫌がるから。つまり、世間が彼らを排除している一面がある。そういう同調圧力という形でヤクザに限らず特殊な方々を排除する流れが今の社会にはあると思うんです。
今は社会で生きる人たちのフィールドがどんどん狭くなり、コミュニケーションも減って、特殊なものに対して不寛容な世の中になっているように感じます。昔はすごく怖いおじさんとかが、近所にいましたよね。急に頭を叩かれる…みたいな。僕はそういう人たちがすごい愛おしいです。そんな人たちの今を描きたいと思いました」
よりリアルなヤクザの世界を描く為、藤井氏は監修・所作指導を元ヤクザで作家の沖田臥竜氏に依頼。細かなアドバイスを受け、ディテールにもこだわったという。キャスティングでは主演に綾野剛、そして組長役にはヤクザ役は43年ぶりという舘ひろし(70)が演じることが決まり、業界を驚かせた。
「脚本のプロットを作っている段階から『綾野さんにオファーしてみよう』と思っていました。30代後半ぐらいの役者さんで、一代記を演じられる人。もちろん彼と同年代で素晴らしい役者はたくさんいらっしゃるんですけど、『この役を綾野さんがやったらどうなるんだろう』と思ったのが最初のきっかけです。
綾野さんが快諾してくれたおかげで、彼に合わせて脚本を書くことが出来ました。舘さんに関しては私のわがままで『親父の役は舘さんが良い』と言わせて頂きました。これももちろんダメ元でした。そうしたら、舘さんが本を読んだうえで快諾してくださった。その時は本当に嬉しかったですね」
タイトルに「父も母もいないけど、私には《家族》がいました」と書かれるなど『家族』という言葉が重い意味を持つ本作だが、ラストシーンではその『家族』という言葉の本当の意味を観客に提示する。
「実はラストシーンは初稿で書いた時とは変わっているんです。もともとの構想は、賢治が最後にはヤクザに戻るというものでした。それはバットエンドであり、文学的ということで悩んでもいたんです。その時にはもう綾野さんと関係性が出来ていて『ラスト、どう思います?』って聞いたんです。
綾野さんも『本はすごく良いよ』と言って下さったんですが、『今回の映画では、俺たちの世代から次の世代にどうバトンを渡せるかみたいなことをもう少し入れたいな』と言われて『めっちゃ良いこと言いますね』ってなって、それをヒントに最後を書き換えました。
脚本を書き直していく中で、これは暴力の連鎖を嘆く映画じゃなくて、暴力や復讐の連鎖を止めようとした一人の男の話なんだろうなって感じていました。青臭いけれど、暴力の連鎖を止めようとした一人の男の生き様、一代記というものにこの作品がなればいいなと思いました」

作品後半では暴対法や排除条例に苦しむヤクザをよそに、磯村勇斗(28)演じる半グレが堂々とシノギを行う。まさに時代の変化を象徴するシーンだが、一方で藤井氏はそんな状況に対して複雑な心境を抱いているという。

「ヤクザの世界はどこにも社会に受け入れられなかった人たちの駆け込み寺のような要素もあったと思います。取材をしていても、ヤクザの人たちは決して自分たちを良いようには言わないんです。皆さん『ヤクザなんてやるもんじゃないです』という。そんな話を聞いていると『この人たちは、複雑な過去があったがゆえに、ここにしかたどり着けなかったんじゃないのか』と感じるようになりました。
いま、世間が『彼らは存在すべきではない』とヤクザを徹底的に排除しています。ではその人たちがどこかに行けるような社会の仕組みをどう作るんだろう…ということが気になっています。その隙間を縫うように、半グレというジャンルが生まれ、かつての調和のようなものがなくなり、ルールを失った色んな人たちが犯罪を行うようになっている。
これが正しい社会の形なのか。それとも別の未来の形があるのか。そのたどり着く先を、僕自身も見届けたいと思っています」
藤井監督が世に放つ新たな「問題作」。是非そのメッセージを感じ取って欲しい。
『ヤクザと家族 The Family』は1 月 29 日(金)より全国で公開。
配給 スターサンズ/KADOKAWA
取材・文:三本真