トップリーグから勧誘も早大・丸尾主将がラグビーを辞める理由
2季連続での大学日本一を目指していた早稲田大学(早大)ラグビー部の丸尾崇真主将が、第一線から離れる。世代トップクラスの才能の持ち主でもある丸尾はなぜ、競技人気の高まりつつあるいま、スパイクを脱ぐのか。完全燃焼に至る思いを明かした。
自分の中でぬぐえなかった「違和感」
決意は、変わらなかった。
1月11日、東京は国立競技場。早大の8番をつけた丸尾が、大学選手権決勝のノーサイドを迎える。28-55。天理大学に敗れる。
この試合を最後に、ラグビーから離れるつもりだった。
国内トップリーグの関係者からは「決勝戦の後に気持ちが変わることもあるだろう」と諭された。本人も「一理ある」と、チームに誘ってくれた「5~6チーム」のうち1社へは入部可否の返事を待ってもらっていた。
しかし、試合後の記者会見へ出る頃には「(競技は)第一線では、やらないつもりです」と素直に口にできた。
決意は、変わらなかった。
今後についてはこう応じた。
「…留学を、考えています」
注目される学生アスリートは、一般就職をして競技から離れるか、スカウトされたチームで現役続行するケースが多い。
特に早大の中心選手は、グラウンドへ残る傾向が強い。部の歴史をたどっても、選手権決勝に出ながら卒業後すぐにラグビーを辞めた主将は2004年度の諸岡省吾(現・電通)までさかのぼる。
丸尾もいったんは、一般的とされる進路に視線を向けた。ところが、内なる違和感を誤魔化せなかった。
就職活動ではOB訪問や企業説明会を回り希望の業種を絞ったものの、自ら選んだはずの選択肢に心が動かない。
「何となく自分に嘘をつきながら『これ(業種)がいいんじゃないか』と捉えもしました。でも、冷静になってそれが本当にやりたいことかと考えたら『違うなぁ』と思って」
周りから期待されたプレー継続への道も、しっくり来なかった。
チームの練習を見学しても、「何のためにラグビーをするのか」という大義が明確化できなかったのだ。
「自分のなかでは何のためにラグビーをするのかが大切で。『何となく』と続けたくはなかった。僕は早稲田でラグビーがやりたくて、続けてきていて、トップリーグや日本代表がそれ以上のものにならなかった」
ふたつ上の兄、隆大郎に付いて川崎ラグビースクールへ入ったのは小学生の頃。当時は早稲田実業(早実)の初等部に通っており、自ずと系属先の早大に憧れた。早大は2001年度から8季連続で大学選手権の決勝へ進み、そのうち5度、頂点に立った。
2009年以降は、帝京大学が9連覇を果たす。2011年に早実の中等部へ進んだ丸尾は、自らその舞台を踏む前から早大が負けると悔しかった。
いったいなぜ、そこまで早大が好きなのか。何度そう聞かれても、本人は確たる答えを見出せない。ただ確かなのは、大学3年でワールドカップ日本大会の熱気に触れてもさほど奮い立たなかったことだ。
「僕のなかでは、(大切なものは)ラグビーじゃなく、早稲田ラグビーだった」
かくして定まったのが、会見で語られた「留学」だった。
思えば丸尾は、4年の春の段階で「僕は早稲田、ラグビーしか知らない状況」と視野を広げたい意向を話していた。
早実の初等部、中等部、高等部、早大と、16年間、早稲田一筋だった。ずっと閉じられた空間で青春を燃やしてきたから、言葉すら通じない開かれた世界へ足を踏み入れたかったのだ。幸運にも、いち早く就業しなくてはならない立場ではなかった。
2021年9月から約2年間、欧州の大学院で学ぶことにした。渡航予定の春先には一定の自主隔離も体験しそうだが、それすら面白がれそうだ。
「いままでは早稲田、もしくはラグビーという、一見すると大きそうで小さな世界で生きてきた。自分の世界を広げる意味で、楽しみです」

「衝突」しても愛される理由
己にも他者にも嘘をつけないこの人の性分は、競技生活からもうかがえる。つくづく丸尾は、情熱でファンを作るアスリートだった。
高等部の監督を務める大谷寛は、丸尾の「やんちゃ」ぶりにかえって感銘を受けた1人である。
丸尾が高校3年だった2016年のことだ。
初の全国大会出場を目指した秋の都大会の試合で、メンバーチェンジを試みた大谷へ丸尾が「こっちにそんな(交代選手を受け入れる)余裕はない」と応じたことがあった。
大谷も引かずに「こっちにはこっちの考えがある。試合に集中しろ」と返答する。伝達役の給水係は板挟みとなった。
その日は結局、代わった選手が活躍する。「お前と俺とでは、あいつ(出た選手)への評価は違うんだよ」と丸尾を納得させた大谷は、丸尾が高校を卒業してからも大学での立ち位置や将来について助言してゆく。
大学4年時の決断は、このような趣旨で報告されたという。
「進路を決めず、早稲田に集中することにしました」
憧れの早大でも、丸尾はチームメイトや指導者によく意見を述べた。思い通りに事が進まぬこともあったろうが、その資質は概ね肯定された。
2020年を迎えるに際し、首脳陣、同級生とも丸尾の新主将就任を強く推す。球を持って走る速さ、激しいタックルのみならず、他選手にない無形の力を買ったのだ。
「困難な時ほど、彼の早稲田への愛がチームを強く導いてくれる」
こう説いたのは、2007年度の優勝時に主将だった権丈太郎コーチである。
2019年度は11年ぶり16度目の大学日本一に輝くも、その直後、メンバーが大きく入れ替わっていた。
スクラムハーフの齋藤直人とセンターの中野将伍はサントリーへ、スタンドオフの岸岡智樹はクボタへ行く。将来の代表入りが期待される1年時からのレギュラーが、一気に卒業したのだ。
丸尾は主将になる直前、専門誌の取材にこう漏らした。
「いまから『来年は厳しい』と言っているOBもいると思うんですけど、そんなん、黙っとけと」
仮に優勝候補の筆頭に上がらなくとも、抜けた戦力を補って優勝するのが命題だった。ここで丸尾は、熱量の共有に力を入れた。
100名以上いる部員をさまざまなポジション、学年が交わる6~7名のグループに分け、意見交換を促す。副将、学生委員といった、部内の役職についた中心選手へは1対1で思いを伝える。
「俺が怪我をして、いなくなったらどうするんだ。自分が主将になったつもりで引っ張ってくれ」
副将の下川甲嗣に問うたのは、公式戦がおこなわれだした10月以降のことだ。
練習中、試合中の円陣などで、自ら最初に喋ることが多いのではと直感。それでは本当に強いチームは作れないと思い直し、直言した。
「『自分が主将だと思って…』と言われた時は『あいつに少し甘えていた』と自分を見つめ直し、心を入れ替えました。周りに気を遣っていいチームを作ろうというリーダーも多いと思いますが、あいつはいいことはいい、悪いことは悪いと言う。ゲーム形式ではない練習でも決勝を意識してできているかを問いかけ、本人が一番、それをやろうとします」
叱咤された側が頷けば、叱咤した側も仲間に感謝した。
「1学年上のメンバーがごっそりと抜けて一筋縄じゃいかないとわかっていましたから、できることは全部やりました。特にリーダーとなって欲しい人には、自分の思う『こうやって日本一になりたい』『こうならないと日本一にはならない』を伝え、それを(周りに)話してもらうようにもしました」
自らの進路選択で熟考を重ねた一方、チームの命運も握ってきた。その末に、2季連続で選手権の決勝へ臨めたのだ。
求めていた最終学年での戴冠には届かず、「悔しい。そんなありきたりな言葉では表せない」と悔やむが、実証したことがある。
目的達成へ本当の意味で手を尽くせば、多くの支持者が得られる。
――最後に、大好きな早大へのエールは。
「やっぱり、日本一になって欲しいですね。特に(一緒にいた時期が)かかっている代には。そして、いまの早稲田を見た子どもたちにいつか入りたいなと思ってもらえるようなラグビーをして、憧れられたら…。それがいいサイクルです」
今回、大きな活躍も期待されたラグビーのステージからあえて遠ざかった。豊饒な経験を胸に、自分を誰も知らない場所に飛び込む。
いずれは、新たな戦う大義を掴むはずだ。(文中敬称略)

取材・文:向風見也
スポーツライター 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある