ケーキは不要不急…?愛される「近江屋洋菓子店」コロナ禍の挑戦
「うちのケーキは、美味しいですよ。青果市場に行って、いちばん美味しい果物を仕入れるんです。毎朝、その日の旬を探してますから」
東京の、知る人ぞ知るレジェンドケーキ屋さん「近江屋(おうみや)洋菓子店」。5代目、吉田由史明さんはそう胸を張る。
緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出が制限され、閉店に追い込まれる店も多い。そんななか、毎日元気にTwitterで発信をしている近江屋洋菓子店は明治17(1884)年創業の老舗。毎日、旬の果物を仕入れ、店の上階の工場(こうば)で焼き上げる。
リーズナブルな「ふだんのケーキ」を作りたい
神田・淡路町。近江屋洋菓子店は、歴史を感じさせる静かなたたずまいだ。
ショーケースにはショートケーキ、アップルパイ、サバランなど定番商品をはじめ、15種類ほどのケーキと、バームクーヘン、クッキー、チョコレートが並ぶ。カットケーキの中心価格帯は400~500円。デパ地下の有名店に比べると、だいぶ手頃だ。定番のいちごショートと一緒に、いちごが「これでもか!」とてんこもりになったいちごタルトが並んでいた。
「今はいちごがおいしい季節なので、いっぱいのせました。毎朝6時に大田の市場に行きます。お寿司屋さんが魚市場で魚を選ぶのと同じですね。でも…ケーキ屋で仕入れに行ってるのはうちだけかも。昔、青果市場は神田・万世橋にあって、近くだったので…そのころからの習慣です」(吉田さん)
果物のケーキのほかに、チョコレートやチーズのケーキもある。
「高価な素材をたっぷり使います。バター、砂糖、小麦粉。いろいろ試して毎日のように試作してます。卵が変わると、スポンジの色がぜんぜん違ってくるんです。素材の状態、その日の温度や気候によっても変わりますから、毎日勝負です」
そんな製造のようすも、Twitterにあげている。フォロワーは3万5千人。「毎日、まず近江屋のツイートをみて幸せな気持ちになる」というファンも多い。
「ケーキやチョコレートはすべて、2階の工場で作ってます。基本的に手作り。でもね、すべて手作りがいいというわけじゃないんです。機械でできることは機械に任せる。そのぶん、大事な作業を人力でできますから」
「すべて手作り」にこだわりすぎるとクリスマス前などは深夜の作業になり、職人さんたちは家に帰ることができなくなるという店もある。
「働く環境がよくないと、美味しいものは作れません」
吉田さんは、きっぱり言う。忙しい時期でも「夜7時、遅くても8時には終業」。ここで働く人たちは、しっかり休んでいる。だから、職人さんのなかには先々代から50年以上勤めている人もいる。
明治時代に、アメリカで「ケーキのようなもの」を
136年前、近江屋は炭屋として創業した。が、夏は炭が売れないので、夏の間だけパン屋を始めた。明治時代にパン! それはそれは新しかった。
さらに2代目は明治28年にアメリカへ。ケーキ作りを学び、帰国後、ケーキの製造、販売も始める。東京中の新しいもの好きの注目を集めた。
そして、4代目が目指したのが、「リーズナブルだけどチープでない」洋菓子。ちょっとおなかが空いたときに、お団子を買って食べるように、冷蔵庫から手掴みで、洋菓子を楽しんでほしいという思いからだ。
「自己満足的な完成度に陥らず、表面的な華美さに走らず、老舗の暖簾におごらず、真摯に、素直においしい洋菓子を、だれもが気軽に買える値段で提供する」
というのが、今も続くこの店のモットーだ。長年のファンがいるのもうなずける。
笑顔に直接触れられる仕事ができる幸せ
しかしこのコロナ禍、近江屋洋菓子店に影響はないのだろうか。
「オフィス街の店なので、会社が、営業の手土産に焼き菓子を買ってくださることも多かったのですが、それがなくなった。お使い物の需要はほとんどなくなったし、喫茶の営業も休んでいます。影響は小さくありません。
でもその一方で、おうち時間が増えたことで、家族で楽しむためにケーキを買ってくださるお客様が増えています。とてもうれしい」
「古い店ですが、その時代に合わせた商品を作っていかなければ、あっという間に消えることになってしまいます。味を守ることだけが大事だとは考えていません。美味しいものを作っていくだけです」
おお、潔い。
「ただ、うちのアップルパイ、ずっと作り続けているこれは、本当においしいと思います」
柔らかく煮込まれたリンゴに、何層にも立ち上がったパイ生地。
「このパイ生地作りは、絶対に機械化できない作業です」
一見地味なアップルパイ。どこにでもあるお菓子…と思ったら大間違いだった。笑顔になる幸せの味だ。
「ケーキを買うって、記念日やお祝いごとのような特別な、うれしい気持ちのとき。その一方で、ふだんのちょっと気持ちが凹んだようなときにも、ケーキを食べて気持ちを晴らそうと思って買いに来てくれる。だからケーキの向こうには笑顔があると思うんです。そんな笑顔に直接触れることができる仕事ができて、ものすごく幸せです」
と、5代目。ケーキは不要不急かもしれない。けれどもたしかに、人を慰めてくれるときがある。若き後継者のもとで、幸せの味は引き継がれていく。
- 取材・文:中川いづみ
ライター
東京都生まれ。フリーライターとして講談社、小学館、PHP研究所などの雑誌や書籍を手がける。携わった書籍は『近藤典子の片づく』寸法図鑑』(講談社)、『片付けが生んだ奇跡』(小学館)、『車いすのダンサー』(PHP研究所)など。