桐蔭学園ラグビー部の花園優勝メンバーが挑む「早慶大現役合格」 | FRIDAYデジタル

桐蔭学園ラグビー部の花園優勝メンバーが挑む「早慶大現役合格」

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大会最重量の130㎏の巨漢の田中はボールに積極的に絡み、桐蔭学園の2連覇に貢献。入学当初は練習についていくのが大変だったが、地道な練習が最後に花開いた(撮影:井田新輔)

冬の全国高校ラグビー大会で2連覇を達成した桐蔭学園に、異色の大型選手がいた。田中諒太は、長い下積み期間を経て今季からレギュラー入り。身長186センチ、体重130キロと参加した全チーム中最重量の選手として力強く戦い、ナンバーエイトの佐藤健次主将、ロックの青木恵斗ら大会前から注目された実力者と並んで大会優秀選手にもなった。何よりその期間中、難関校突破のための受験勉強にも時間を割いていた。大会後の声を聞いた。

2021年1月9日、観客のいない東大阪市花園ラグビー場でひとつのゴールに達した。

縁の下を支える右プロップのレギュラーとして全国大会2連覇を果たし、年代別代表のスタッフらに「第100回全国高校ラグビーフットボール大会 優秀選手」と認められた。

もうひとつのゴールは、まだ先にあった。佐藤主将や青木が選手としての実力が買われてそれぞれ早大と帝京大に進むのに対し、田中は一般入試での難関校突破を志す。

「いままでラグビーをやってきて医師、保護者と色んな人に助けられたので、人の助けになる仕事をしたいと考えていて。細かい職業は、これから大学で探していきたいです」

神奈川の自宅から大阪へ遠征する際も試験形式の問題集、復習のための教材、単語帳などをバッグに詰めていて、現地では練習、ミーティング、故障部位のケアを終えた23時頃から「短期集中」で机に向かった。

「ラグビーが終わってからは勉強だけの日々に。まぁ、頑張っています」

こう話したのは1月下旬。大会終了から約3週間後のことだ。もともと偏差値の高い大学の理系学部を目指していたが、16、17日の「大学入学共通テスト第1日程」の結果を踏まえて商学部や社会学部などの文系学部、一部の学校が設ける体育系学部へも手を広げることにした。

狙うは早大、慶大、筑波大といった、強いラグビー部を持った名門大学である。大学では体育会でボールを追いながら、将来の競技継続以外の道も模索したいという。

桐蔭学園は、2019年のワールドカップ日本大会で大活躍した松島幸太朗の母校。卒業生には数々の名選手に加え、名門の一般入試へ挑んだ努力家もいる。

松島の1学年上にあたる白石勘太郎は、東京大学の理科一類に現役合格した。東福岡に負けた第89回大会決勝の日の早朝は、確か、「古文をやっていた」とのことだ。NECで現役続行中の吉廣広征も、第85回大会で準優勝した直後に筑波大の体育専門学群に受かっている。

社会が激変した2020年度にそのチャレンジをしてきたのが、この田中だった。

高校選びの際も偏差値70超の慶應義塾を受けようとしていたのだから、かねて試験に挑む自信があるのだろう。高校に入って間もない頃から、ぼんやりと「大学は一般で」と考えていた。

「将来を考えた時、ラグビーを大学でやるのか、やらないのかを決めることができなくて。もしスポーツ推薦で入学したら、そこでラグビーをすることが決まっていて、学部も自分で選ぶわけでもなかったりする。僕は自分で学部を選んで、ラグビーもやると決めつけないというか、(入学後の)選択肢を広げられるようにしたかった。だから、ずっと一般入試を視野に入れていました」

優勝が決まり、記念撮影におさまる桐蔭学園ラグビー部員(写真:共同通信)

その決意をさらに固めたのは、2年から3年になる折だ。

当時は一般入試に加え、慶大のAO入試のような評定平均と競技実績が考慮される推薦入試の利用も検討していた。

ところが開催予定だった全国選抜大会の中止を受け、「それまで公式戦にあまり出ていなかった。AOでは不利になる」と決断。日本の多くの高校3年生と同じく、受験戦争と対峙する。

意識したのはメリハリだ。部活が忙しいため「多くの勉強時間は取れない」と、日々の授業に集中した。

小田急線、相鉄線を乗り継ぐ片道約90分の通学時間は、暗記の作業に費やす。「あいまいな記憶」を脳に残さぬよう、眠くなればあえてページを閉じた。菅平高原での夏合宿へもテキストを持参し、「軽い勉強」を重ねた。

「自主学習が少なくても大丈夫なように(普段から)最低限のできることをやるようにして、部活との両立を図っていました」

まさに文武両道を体現する田中は、最近の卒業生にとっては多くの試練を乗り越えた選手として知られている。

同じ学校の友達のいる横浜ラグビースクールへ入ったのは小学4年になる直前。中学時代は「横浜スクール選抜」に入るなど結果を残すも、高校の門をくぐるや「桐蔭学園ラグビー部の一員になり切れていない」と悶々する。

松島の3年時に初めて高校日本一になった強豪では、練習へついてゆくのも大変だった。他の選手が瞬発力強化のために短距離走を繰り返すさなか、田中は減量のための有酸素系運動を課されたものだ。1日でも早く、皆と同じメニューがしたかった。

殻を破ったのは1年の秋以降だ。

ヘルニアを患い戦列を離れるや、カムバックまでの練習計画を自ら立てる。怪我人はあまりスタッフの手を借りずに自力で起き上がるのが、桐蔭学園の文化だった。

目標タイムを定めた100メートル走の往復、20分走、体幹トレーニング、下半身の筋力強化…。腰の痛みが和らぐまで、田中は自作のメニューで身体を作った。

すると復帰後、当時の主力選手との実戦練習でも爪痕を残せるようになった。2年時は足首の怪我で全国大会出場を逃したが、離脱前までに1軍入りを叶えた。

主体的に頑張って果実を得たアスリートとしての経験は、受験で合格へひた走る過程でもきっと活きてくるのではないか。

「最初はできないことが多くても、練習で少しずつ自分のできることが増える実感を得て、努力をしてきたおかげで、試合に出られるようになったと思います」

3年間を振り返る言葉の「練習」「試合に出られる」をそれぞれ「日々の学習」「志望校に受かる」に書き換えられるよう、いまは時間と戦っている。

  • 取材・文向風見也

    スポーツライター 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとして活躍。主にラグビーについての取材を行なっている。著書に『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー 闘う狼たちの記録』(双葉社)がある

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