MLBに挑戦 澤村拓一を待ち受ける「大きな試練」の正体 | FRIDAYデジタル

MLBに挑戦 澤村拓一を待ち受ける「大きな試練」の正体

手本にすべきは上原浩治だ!

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2020年11月、ソフトバンク戦でデスパイネを三振に打ち取り雄叫びを上げる澤村拓一(ロッテ)
2020年11月、ソフトバンク戦でデスパイネを三振に打ち取り雄叫びを上げる澤村拓一(ロッテ)

NPBの春季キャンプがすでに始まっているが、渡米中の前ロッテ、澤村拓一のボストン・レッドソックスへの入団が決まった。澤村はダルビッシュ有と親交が深く、いつかはMLBへと考えていたようだ。

澤村はいわゆる「ハンカチ世代」。2010年のドラフトでは早稲田大学の斎藤佑樹(日本ハム)、福井優也(広島、現在は楽天)、大石達也(西武、引退)が注目を集める中、相思相愛と言われた巨人が単独で1位指名。ちなみにこの年、中日は仏教大の大野雄大を1位指名しており12球団がすべて同世代の大学選手を1位で1次指名している。

快速球を武器に1年目は先発で11勝を挙げ新人王。以後も先発で投げたが、故障もあって成績が下落。2015年からは救援投手に転向し、2016年には最多セーブを獲得するなど活躍した。

しかし2017年に右肩を故障してからは、重要なポジションでの起用が少なくなった。チームでの信頼感が薄れたわけだ。その結果2020年のシーズン中にロッテに移籍したが、澤村はここで水を得た魚のように活躍し、セットアッパーとしてチームの2位躍進に貢献した。

しかし澤村はMLBへの挑戦の想いが捨てがたく、代理人を通じてMLBのオファーを待っていた。2月に渡米し、交渉を詰めていたが、ボストン・レッドソックスとのメジャー契約がまとまったのだ。昨年のロッテでの活躍がなければ、メジャー契約は厳しかったのではないか。

ボストン・レッドソックスは、日本人選手とは縁の深い球団だ。

1999年の大家友和を皮切りに、2001年の野茂英雄、2007年の松坂大輔、岡島秀樹、2009年の斎藤隆、田澤純一、2013年の上原浩治と7人の投手がマウンドを踏んでいる。

澤村は2016年の上原、田澤以来5年ぶりの日本人投手となるが、ボストンの指導者は日本人投手の特性を熟知しているといえよう。

日本人投手は制球力が良く、変化球も多彩だ。NPBで一定の成績を挙げた投手はMLBでも通用することは、すでに証明済みだ。

NPBで通算48勝52敗75セーブ64ホールド、防御率2.77の成績を挙げた澤村拓一は、十分な即戦力であり、順調にいけば開幕とともにメジャーで投げることになるだろう。

しかしレッドソックスなどMLB球団は「日本人投手の肩肘が、アメリカの投手よりも酷使されている」ことも熟知している。レッドソックス在籍選手でも、松坂大輔、田澤純一が肘の靱帯を再建する「トミー・ジョン手術」を受けている。澤村拓一は佐野日大高校時代は3番手投手であり、甲子園には出ていない。高校時代の酷使はまぬかれているが、それでも澤村の肩ひじの状態について球団は厳しい目を光らせることになろう。

MLBでは先発投手に関しては厳格な球数制限を行う。ブルペンでの練習も含めて球数はすべて管理される。少しでも違和感があれば即座に降板し、医師のチェックを受けることになる。「肩肘は消耗品」という考えが定着している。

しかし救援投手の扱いは全く対照的だ。2019年、MLBで最も多く登板したのはブルワーズのアレックス・クラウディオの83試合。70試合以上登板した投手は32人もいる。当然、すべて救援投手。NPBでは2019年に最も多く登板したのはDeNAのスペンサー・パットンの57試合、50試合以上投げたのは18人だ。試合数の違いがあるとはいえ、MLBの救援投手はNPBよりもはるかに過酷な登板を強いられる。

MLBでは救援投手の数は非常に多い。代わりの投手はたくさんいるから投げられなくなればすぐに交代となる。年俸も先発投手よりも安い。言葉は悪いが「消耗品」なのだ。

澤村拓一も「通用する」となれば、どんどん投入されるだろう。澤村のシーズン最多登板は63試合だが、MLBが162試合を行えば、63試合登板を上回る可能性は高いだろう。厳しい自己管理が求められる。

さらにMLBでは、NPBとは比べ物にならないほど情報化が進んでいる。投手の投球は球速、回転数、回転角度、軌道などが全てデータ化され、解析される。

澤村は回転数のある速球に加え、キレのあるフォーク、スライダーなどが持ち味だ。コンディションが良ければMLBの打者を抑えることは十分に可能だろうが、澤村の投球データはすぐに解析され、変化の軌道などは打者の頭脳に叩き込まれることだろう。澤村のウィニングショットは次第に通用しなくなる恐れが十分にある。

過酷な登板を続けるうちにデータ解析によって丸裸にされる救援投手。その結果として救援投手は短命で終わりがちだ。

最近の日本人投手で言えば、平野佳寿がその典型だ。オリックスで156セーブ139ホールドを記録した平野は海外FA権を行使して2018年にダイヤモンドバックスに移籍。1年目は「おばけフォーク」を駆使して75試合4勝3敗3セーブ42ホールド、防御率2.44という優秀な成績を挙げたが、2年目は62試合5勝5敗1セーブ15ホールド、防御率4.75と成績が急落、ダイヤモンドバックスをFAになり2020年はマリナーズで13試合0勝1敗4セーブ1ホールド、防御率5.84となり、FAになって今季はオリックスへの復帰が決まった。

澤村のMLBキャリアもしりすぼみになる可能性があるといえる。

手本にすべきは巨人の先輩、そしてレッドソックスでも先輩になる上原浩治だ。巨人のエースだった上原は2009年、先発投手としてオリオールズに移籍、しかし翌年から救援投手になり、8年にわたって活躍した。2013年にはレッドソックスで73試合4勝1敗21セーブ13ホールド、防御率1.09という抜群の成績を挙げ、ワールドシリーズでは胴上げ投手にもなった。ポストシーズンも含めての登板数は86試合にもなった。この時すでに38歳。

上原はなおも一線級の救援投手として2017年、42歳までMLBで投げ続けた。

上原がここまで活躍できたのはMLBで「進化」したからだ。100マイル(約161㎞/h)超の速球を投げる投手が掃いて捨てるほどいるMLBで、上原はもともと持っていた制球力に加え、緩急や変化球の微妙な変化に磨きをかけた。そして140㎞/hそこそこの速球と、軌道が異なる何種類ものスプリッターで打者をほんろうしたのだ。

全盛期の上原がマウンドに上がるとMLBの猛者たちの間に「あきらめムード」がただよったものだ。上原はウィニングショットではなく、もっと根源的な「投球術」で勝負したのだ。

32歳の澤村にとって大事なことは、MLBに移籍しても上原のように「学び、進化する」ことだろう。NPB時代とは違う投手に変身することができれば、長く活躍することが可能になるだろう。

  • 広尾 晃(ひろおこう)

    1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライターやプランナー、ライターとして活動。日米の野球記録を取り上げるブログ「野球の記録で話したい」を執筆している。著書に『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』『巨人軍の巨人 馬場正平』(ともにイーストプレス)、『球数制限 野球の未来が危ない!』(ビジネス社)など。Number Webでコラム「酒の肴に野球の記録」を執筆、東洋経済オンライン等で執筆活動を展開している。

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