「赤ちゃん取り違え事件」当事者たちが振り返る壮絶過去 | FRIDAYデジタル

「赤ちゃん取り違え事件」当事者たちが振り返る壮絶過去

特別読み物 「自分が何者なのか」 「本当の両親を知る権利」を求め裁判も検討中 昭和33年・都立墨田産院、昭和42年・順天堂医院で発生

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かつて大々的に報じられ、世間の耳目(じもく)を集めた二つの「新生児取り違え事件」を覚えているだろうか。

自分はいったい何者なのか――。事件から50年以上、当事者たちはそう問い続けている。東京都や病院との裁判に向けて準備を進める二人の「被害者男性」の現在を追った。

右から江蔵さん、吉田さん(仮名)、吉田さんの育ての母。「出自を知る権利」を求めて闘っていくべく、江蔵さんと吉田さんは密に連絡を取り合っている
右から江蔵さん、吉田さん(仮名)、吉田さんの育ての母。「出自を知る権利」を求めて闘っていくべく、江蔵さんと吉田さんは密に連絡を取り合っている

’58年(昭和33年)4月10日、都立墨田産院で生まれた江蔵智さん(62)は、幼少期から家族の中で自分だけ異質な存在だという違和感に苦しめられてきた。

「育ての親、弟と共に浅草で育ちました。ずっと自分の居場所がないと感じていました。容姿、テレビを観て笑うところ、食べ物の好き嫌い、すべてが家族と違う。決定的なのは身長で、私は180㎝を超えていますが、母は140㎝、父も弟も160㎝前後しかない。父も私に対する違和感を抱いていたんでしょう。何かあるたびに私は殴られていましたが、弟は一度も殴られたことがなかった」

どうしても違和感がぬぐえず、14歳で家を出て働き始めた。住み込みのクリーニング店で働きながら中学を卒業すると、トラック運転手、建設業、製本会社など職を転々とした。20代半ばで結婚して1児を授かるが、2年で離婚。「家族の作り方がわからなかった」と江蔵さんは振り返る。その後、不動産会社を設立し軌道に乗せたが、子供とは長年会っていない。

取り違えを疑ったきっかけは、育ての母の入院を機に行った24年前の血液検査だった。父はO型、母はB型で、江蔵さんはA型。突然変異と思い込むことにしたが、’04年に知人の医師にDNA鑑定をしてもらい、血縁関係にないことが判明した。

それ以降、江蔵さんは本当の親を知るためあらゆる手を尽くした。同年には、都を相手に裁判を起こしている。

「裁判を起こすとき、母は『自分の子供をひと目みたい』と言いましたが、父と弟は『いまさら知ってどうするんだ』と拒否していた。でも私はどうしても本当の親を知りたかった」

判決では取り違えが認められたが、個人情報を理由に出自は明かされなかった。江蔵さんは「出自を知る権利」を求めて都との交渉を続けてきたが願いは叶わず。今回、再び訴訟に向け準備している。

「本当の親はすでに高齢で亡くなっているかもしれない。それでも、どんな人だったのかだけでも、知りたい」

“浮気の子”と疑われて

もう一人の被害者、吉田昭夫さん(仮名・54)は’67年(昭和42年)1月16日に順天堂大学医学部附属順天堂医院で生まれた。

吉田さんは取り違えにより文字通り家族が崩壊した。7歳のときの身体測定で、B型の両親から生まれるはずがないA型と診断された。父は母の浮気を疑い離婚。その後、親族や祖母の家をたらい回しにされた吉田さんは、〝浮気の子〟というレッテルを貼られて生きてきた。

「高校に合格しても、『義務教育が終わったら働きなさい』と進学を許してもらえなかった。私の結婚式も、親には『出席したくない』と言われました。なぜこんなに意地悪をするのか、ずっと理解できなかった。何度も自殺を考えたほどです」

吉田さんも15歳で家出。飲食店などで勤務しながら、定時制高校を21歳で卒業した。現在は複数の会社を経営しているが、就職先が見つからないため、起業したのだという。

取り違えが明確になったのは、’16年頃。育ての母の「血が繋がっていないかもしれない」という告白が契機となった。DNA鑑定の結果、親子の可能性は0%。順天堂医院との話し合いは複数回に及んだが、吉田さんの「本当の親を知りたい」という願いはやはり叶わなかった。

「取り違えで人生が変わってしまったのは、私と母だけではない。私には妻と3人の子供がいますが、家族に事実を伝えた時はあ然としていました。このままでは、子供たちも自分のルーツがわからない人生をずっと歩むことになる。だからこそ、江蔵さんに続いて私も訴訟を起こそうと思っています。本当の親に育てられた方に会い、どんな人生を歩んだのか聞いてみたい」

吉田さんの育ての母である妙子さん(仮名・79)は、遠い目をしてこう話す。

「生まれた時から、本当の息子じゃない、という感覚がありました。ただ、それを口に出来ない苦しさがあった。孫からすると私は赤の他人なので、ほとんど会っていません。私と息子の関係は、どこまでいってもデタラメなんです」

日本では現在、超党派議連が作られ「出自を知る権利」について議論が進められている。前出の江蔵さんが言う。

「『知らないほうが幸せ』という専門家もいますが、当事者の感覚は違う。本当の親を知りたい、純粋にそれだけなんです。向こうの家族が望まないなら、会うことは諦めます。生活を壊すつもりもない。ただ、その判断を病院や都が一方的に下す権利はあるのでしょうか。知る権利獲得のため、闘い続けるつもりです」

自分が何者なのかを知るために。二人は法廷へと立つ準備を進めている。

祖母に抱かれる吉田さん。吉田さんは「母は79歳。なんとか元気な間に、実の息子と会わせてあげたい」と切実な願いを語る
祖母に抱かれる吉田さん。吉田さんは「母は79歳。なんとか元気な間に、実の息子と会わせてあげたい」と切実な願いを語る
幼少期の江蔵さん。物心がつく頃からすでに、家族のなかで自分は異質だという違和感を抱いていたという
幼少期の江蔵さん。物心がつく頃からすでに、家族のなかで自分は異質だという違和感を抱いていたという
江蔵さんが都に開示請求した出生時の記録。江蔵さん以外の部分が黒塗りで、他の新生児の記録が見られない
江蔵さんが都に開示請求した出生時の記録。江蔵さん以外の部分が黒塗りで、他の新生児の記録が見られない

『FRIDAY』2021年2月26日号より

  • 取材・文栗岡史明(本誌記者)撮影田中俊勝

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