震災で家族を失った陸前高田市長が明かす「後悔と自責の念」 | FRIDAYデジタル

震災で家族を失った陸前高田市長が明かす「後悔と自責の念」

10年間、震災復興に尽力してきた戸羽太市長に単独インタビュー

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震災翌日の3月12日、津波で水没した陸前高田市の野球場(写真:共同通信)

あえて”失敗”という言葉を使う理由

今年の3月11日で東日本大震災から10年になる。そんな中、2月13日夜に福島、宮城県で最大震度6強の強い地震が起きた。あの日の思いがまさに甦ってしまう瞬間でもあった。岩手県南東部に位置する陸前高田市は3・11で8000世帯中、4000世帯が津波で流され市役所も全壊。県内でもっとも壊滅的な被害を受けた。

市長就任4週間後に被災した戸羽太市長は自身も夫人を亡くした状況の中で復興の陣頭指揮を取ってきた。陸前高田市の復興事業はひと段落つきつつある中、戸羽市長の心に期する思いは、意外な言葉だった。

「私は我々の“失敗”をみなさんにお伝えしなきゃいけないと思っています」―

46歳で陸前高田市長に就任した直後に大震災に遭った。この10年は「復興」という十字架を背負って懸命に走り続けてきた人物だ。その市長が、誰もが想定できなかった震災を「事故」ではなく「失敗」と受け止めた。どういうことなのか。

「この地域には南海トラフクラスの高い確率で『宮城県沖地震』が来ると言われていました。そして津波もくる。それも向こう30年間で99%という高い確率でした」

もちろん市長として災害時の対応もしていた。多くの専門家が作成した震災に関する「模擬実験」もきちんと把握した。それは大きな地震が来た時に陸前高田のまちにどこまで水が入ってくるのか、そして何分後に津波が来るかなど、具体的に予測されていた。

「私たちの一番の失敗はそれを鵜呑みにしたことです」―。

戸羽市長は具体的にこう続ける。

「地震が来た。津波が来た。『宮城県沖地震』だと誰もが思いますよね。でも予測では陸前高田市役所にくる津波は道路面から50㎝しか入ってこない、というものでした。これを基に私たちも市民を動かしていた。でも来た津波は、15mクラスのものでした」

失敗という言葉に続き、後悔と反省の念も強くある。

「これらの予測は気象庁を含めたプロが言っていること、研究者の皆さんによる成果なんだぞ、となれば我々は鵜呑みにしますよね。ところが自然災害はそんな甘いものではなかった。

1995年、阪神淡路大震災の時に『大変なことが起きた』と口では言いつつもどこか他人事でした。でも今度は我々が被災者になり大切な家族まで亡くした。私たちはいざ被災者になって一番思ったことは何だと思いますか?それはね、後悔だらけです。ああしておけばよかった、こうしておけばよかった。そればかりでした」

「災害大国」と言われる日本では、誰でも次の瞬間に被災者になる可能性がある。そして大きな自然災害が起こるたびにありきたりの「防災議論」が起こる。

「実際、防災なんかできません。自然災害を『防ぐ』なんてことはできない。でも備えておくことはできます。それが『減災』です。この『減災』のために何ができますか?という問いに対し、私たちはこう答えます。

『あなたが津波にあったことを想像してください』『ご家族が亡くなったことを想像してみてください』。そして『そうなってしまった時に何を後悔しますか?』と…。そうすれば今のうちにしなければいけないこと、家族で決めておかなければいけない約束事が絶対にあるはずです。それを皆さんに伝えていきたい」

震災から3日後の2011年3月14日、地震で妻が行方不明の中、被災者を支援のため陣頭指揮をとった戸羽太市長

戸羽市長は3・11で夫人を亡くした。

「あの日はたまたま業務が早く終わりそうでした。そこで家族みんなで焼肉でも行こうか?と電話をしました。『わかった、子供達もきっと喜ぶね』それが最後の言葉でした」

この6分後だった。2011年3月11日午後2時46分、陸前高田市は震度6弱だった。しかしその直後、15m級の津波が来た。

「子供たちは無事だとわかったのですが‥(妻の消息はわからなかった)夫としては最低ですよ。(妻を)探しにも行けなかったですから」

もちろん今でも「折り合いはつかないです」という。

「政治家というのは『自分が選挙に出たい』と言って出ます。家族もやって欲しいわけではないんです。彼女も『私で務まるかな?』と言っていました。その時は『横で笑ってくれてるだけでいいんだよ』と言いました。でも市長になったら家族よりも市民が優先なのは当たり前です。

でも考えれば考えるほど、夫としては『何をやっているんだ』というもうひとつの思いは当然ありました。でも生き残った市役所の職員も家族を亡くしていて、同じような話は沢山ありました。私がたまたま市長だったことでクローズアップされただけですから」

町の中心部には津波が来ない予測だっただけに、誰もが慌てふためいた。高台へ車で逃げる際に歩行者をなぎ倒すなど、それは地獄絵図そのものだった。

津波に耐えた唯一、残った『奇跡の一本松』。この木の存在が、復興をめざす市民の精神的な支えのひとつだったに違いない

蒔いた種の『花』を咲かせたい

特に街の中心部が壊滅的な被害にあい、全国から多くの支援物資が来た。しかしどうしてもなくて、絶対に用意したかったものがあった。それは棺桶だった。

「何人が犠牲になられたか、わからない日が続きました。ご遺体があっても収容する場所がない。だから、木の棒を立てて白いハンカチをつけていました。ご遺体は少しでも綺麗な状態でご遺族と対面してもらいたいという思いで、警察官の方々が洗ってくださった。でも棺桶がなかったんです。

私の部下も2人の子供を亡くしました。小学生と保育園児でした。結局、彼は子供2人を抱きかかえて火葬場に行きました。棺桶がないので板の上にご遺体をのせてダンボールで囲った状態で火葬した…。そんな話が常に聞こえてきて、こんなことがあっていいのかと…」

この時、電話が鳴った。携帯電話はつながらないため、自らアンテナを設営する衛星電話が頼りだった。声の主は国土交通省東北地方整備局・徳山日出男局長(当時)からだった。戸羽市長は「今、道路の話なんかする時ではない」と断った。しかし徳山局長は「私を国交相の人間と思わないでほしい。どんなこともNOとは言いません」と言ってきたため、戸羽市長は「絶対にNOとは言わないでください」と言って「棺桶」を依頼。即決で準備するという約束が交わされた。

「まさか国交省が棺桶を支援してくれるとは思わなかった。うれしかったです。全てを自分で背負わずに人を頼っていいんだ、と。そう思わせてくれた瞬間でした。被災地と国や県と意識のギャップは確かにあって、特に国は法律がタテになってできないと言われたことが多く、『被災地に来てみてもらえばわかるでしょ!』と言いたくなる日々でした。『法律より人の命が大切だ』と感じさせられることが多かったんです」

陸前高田市は高齢者率が高かった。「80歳の方に10年待ってくれとはとても言えない」と8年後の復興を目標にしてきた。そのプロセスで瓦礫に囲まれた生活では味わえなかった四季を感じられるふるさとを取り戻すため、津波が到達した地点に桜の花やひまわりを植える運動をした。しかし被災した土地を復興するにはそれぞれの地権者から同意が不可欠で、印鑑をもらうために長崎県の五島列島まで行った職員もいた。地権者は全国で2000人を超えていた。

昨年12月10日、高田松原津波復興祈念公園に到着し、献花台に向かう菅首相と戸羽太市長(右から2人目)

2019年9月には、岩手県が主体となって陸前高田市内に建てられた「東日本大震災津波伝承館」が開館した。

「(10年前の震災直後)その時の映像がそのまま流れています。ぐちゃぐちゃになった消防車や無茶苦茶に曲がってしまった大きな橋なども置いてあったりして、あまりにもリアルすぎて市民の皆さんは行かれない方が多いんです。でも、初めて来られた方の中には涙を流す人もたくさんいます。真剣に考えなきゃいけないと言ってくれています」。

これまで全国から28万人やってきた。今年はコロナ禍の中、東京などへの修学旅行ができなくなった東北地方の学校252校が訪れた。

あの日から10年が経つ。第2次復興・創生期間を迎え、国からの支援はハードからソフトへ移っていく。

「これまでたくさんの種をまいてきた。これからの努力で花を咲かせられるか、まちづくりは、まだそんな段階です。でも一番大切なことは『どうやったら自分で自分の命を守っていかれるか』。それだけは皆さんに絶対に伝えたい。そう思っています」

東北地方が再び大きな揺れに襲われた2月13日は戸羽市長が市長に就任し、ちょうど10年目となる節目の日だった。余震の可能性が残っている今、10年間、震災復興に身を捧げてきた自治体首長の言葉は、重く響く。

2019年9月、岩手県陸前高田市にできた「東日本大震災津波伝承館」が開館。「私たちの反省から得た教訓をお伝えすることが、今まで支えて下さった方への恩返しになる」(戸羽市長)
「東日本大震災津波伝承館」には、がれきの中から見つかった当時の消防車などが展示されている
東日本大震災津波伝承館を訪れた修学旅行生。津波の映像は東日本大震災当日のものをそのまま流している
東日本大震災津波伝承館を訪れた人の中には思わず涙ぐむ人も
昨年10月31日、世界中でハロウィンのお祭りが行われる日に、陸前高田の空に1万発の花火が打ち上げられた。コロナウイルスが猛威を振るう中、「悪疫退散」「無病息災」「五穀豊穣」という世界平和への願いが込められた。花火の下に見えるのが『奇跡の一本松』だ
  • 写真共同通信

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