「金メダルは通過点」車いすラグビー池崎大輔がいま描く未来図 | FRIDAYデジタル

「金メダルは通過点」車いすラグビー池崎大輔がいま描く未来図

~本当に開催できるのか 東京五輪とコロナの狭間で揺れるエースたち ~ 第3回 池崎大輔

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車いす同士が激しくぶつかり合うスポーツ。危険と隣り合わせのタックルが池崎に体内に眠っていた闘争心をさらに目覚めさせた(撮影:共同通信)
車いす同士が激しくぶつかり合うスポーツ。危険と隣り合わせのタックルが池崎に体内に眠っていた闘争心をさらに目覚めさせた(撮影:共同通信)

金メダル獲得の有力候補だが…

東京オリンピック・パラリンピックで金メダルを目指すパラ競技の一つが、車いすラグビーだ。車いす同士のタックルが許されており時に激しくぶつかり、転倒もする、迫力に圧倒される競技だ。

日本はロンドンパラリンピック4位、リオパラリンピックでは銅メダルと着実に成長を遂げてきた。両大会で活躍し、2018年19年にはアメリカでプレー全米選手権2連覇と2年連続のMVPを獲得した池崎大輔は、東京では「金でなくては意味がない」と公言する。

世界中が新型コロナの影響を受け、東京パラリンピックの延期発表されたのは昨年3月。池崎も、東京にかけてきた分だけ衝撃を受けた。

「やっぱりそこに照準を合わせていた中での延期だったので、正直すごい不安はありましたよね。楽しみにしていた、自分たちを表現できる場が、ちょっと伸びてしまった。すごく苦しかったというか、辛かった」

やや長めの髪に整えられたあごひげが印象的な、強面だが親しみやすそうな“あんちゃん”といった雰囲気の池崎と“不安”というワードがなんだかそぐわない。いったい、池崎のいう“不安”とは何に対する感情なのか。

「オリンピック・パラリンピックの延期なんてあるのかという不安と、延期して本当にできるのかという不安がちょっとあたまによぎってしまったんですよ。たくさんの人にパラスポーツの魅力を届ける一番の舞台なのに、それがなくなってしまうかもって」

延期を言葉通りに信じていいのかそれとも……、という不安だった。だが、延期は公式発表なのだから、1年後にパラリンピックはある、と前向きに捉えることにした。池崎個人としても、再調整の期間ができたと考えることにした。

「当時、チームとしては8月の本番に合わせていたけれど、個人としてはもうちょっとメンタルもフィジカルも上げたかったので、時間ができることはプラスかなという風に考え、モチベーションを保ちました」

モチベーションを自分で作り、鼓舞し奮い立たせた。それでも、昨年3月から今まで、思いは揺れ続けている。

「気持ちは常に変化しています。今、いろんな情報を耳にするので、それが自分たちにブレーキをかけたり、モチベーションを下げたりすることもある。情報は耳に入れすぎないようにしつつ、でもあたまに入れておかないといけない。その上で目指すところは頂点という信念を持ってやっていかなきゃいけない。

でもそれってすごく難しいことで、みんながみんな強いわけでもないし、自分自身も人間なので気持ちの上がり下がりもある。そういうときに団体競技はお互い励ましたり刺激しあいながら同じ道を歩んでいけるので、助かっている部分はあります」

2018年の世界選手権で優勝後、成田空港でファンに迎えられた池崎大輔選手(右端)ら車いすラグビー日本代表。このムーブメントを再び東京大会で起こしたい(撮影:共同通信)
2018年の世界選手権で優勝後、成田空港でファンに迎えられた池崎大輔選手(右端)ら車いすラグビー日本代表。このムーブメントを再び東京大会で起こしたい(撮影:共同通信)

コロナ禍でもやれることはある

池崎は進行性の末梢神経障がい「シャルコー・マリー・トゥース病」という難病を6歳ごろに発症した。主に手足の機能が不自由になる病気で、ゆっくりとではあるが進行していく。高校2年で車いすバスケットボールを始めたが、握力が落ちていくことがネックとなり、モチベーションは徐々に失われた。

30歳で出会った車いすラグビーは握力を補うことができるグローブをはめ、バレーボールをもとにした専用球を使用する。バスケにはない激しいタックルにも心地よさを覚えた。障がいの度合いをポイント化し、コートに立つ選手の合計ポイントを一定にするため、障がいが重くても出場機会が生まれる。池崎はあっというまにこの競技にのめり込んだ。

現在43才の池崎は、ほぼ握力ゼロの状態だという。この1年間の延期は障がいの進行という側面から見ると、どのような期間なのだろうか。

「僕の場合は、手先足先の筋力が落ちていく難病なんですけど、ほとんど握力もないし脚なんかも骨と皮しかないんですよ。筋力はもう落ちるところがないのかなと思いながらも、仮に落ちたらどう落ちた部分を補うかというトレーニングをすればいいと思ってます」

多くのパラアスリートにとっては自分自身と向き合い、障がいを受け入れる作業が大きなウエイトを占めそうだ。

「障がいを言い訳にしたり、そこに不安を感じるということは正直、今はないです。今ある自分と来年の自分でもし変化があったとしても、今は今の自分で戦う。来年は来年の自分で戦う、と考えています。ケビン(・オアー日本代表監督)も合宿で、『言い訳はしないでやっていこう。あれがこうだからできないって言ってたらアスリートとして何もできない』と言ってたんです。

だからコロナ禍でもマスクをして、密を避けつつトレーニングはしなくてはいけない。コロナ禍のせいでパフォーマンスが落ちましたとは言いたくないので、常にどこでどうやれるか考えながらやってます」

障がいの話をしながら、握力がなくてもT字カミソリは扱えることと、ヒゲや眉毛を整えることは可能なのだと笑いながら教えてくれた。

とはいえ、実際問題、練習場所が基本的にはない。パラスポーツ専用に作られた日本財団パラアリーナは一時閉館、新型コロナのための病床確保のために使われることとなった。また、一般的な体育館など施設利用にも制限がかかった。代表チーム練習は月に一度、1週間、ナショナルトレーニングセンターで行うことができているが、残る期間は各自でトレーニングを積むしかない。

池崎はラグ車(ラグビー用の車いす)に乗りロードワークを行い、加圧トレーニングを取り入れジムワークを行った。加圧トレーニングとは、両脇と太ももの付け根に圧をかけ血流を制限して行い低負荷、短時間で筋肥大、筋力増強効果を得られるトレーニング方法だ。

「僕手首とか肘とか、すごく筋肉がないからもろいんですよ。でも肩周りとか筋肉があるから、普通にやるとウエイトを持てるんだけど手首が負けちゃったりするんです。でも加圧トレーニングなら、低負荷でも数倍の効果が得られるので、今の自分の体に見合ってるトレーニングだなと思ってやってます」

障がいにあったトレーニングの取捨選択も、パラスポーツならではの作業だ。

東京パラリンピック、車いすラグビーの初日は8月25日に予定されている。ここから約半年間は、最後の追い込みに入る。

「前半の3ヶ月くらいは加圧トレーニングで追い込んで、あとの3ヶ月は走り込みや、ボールを使ったハンドリングを増やすようなプランを立てています。団体競技なので、仲間を知らなきゃいけないし、自分自身も知らなきゃいけない。人の成長や変化に合わせる、細かい調整も難しいんです」

「金でなくては意味がない」と言い続けるのは、その先に描く未来図があるからだ。

「東京で金メダルは通過点に過ぎなくて、金を取ったからこそ変えられること、言えることがあると思う。次世代につなげていきたいし、障がいを持っている子どもたちに、進学、就職だけでなくスポーツっていう選択肢もあるよと教えられるような環境を作りたいんです」

自身は生涯現役を誓う。

「すごい選手が出てきて代表を外されたらしょうがないけど、できるうちはやりたいなと思ってます。僕は車いすラグビーに出会って人生がかわったので、やっぱりこの競技にも恩返しをしたいんです」
 
池崎らパラアスリートにとっては、パラリンピックは単なる4年に一度のスポーツの祭典ではなく、自分たちの世界を自らの手で変えることができる数少ない機会でもある。開催を強く願う理由はそこにある。それを否定することは誰にもできない。

  • 取材・文了戒美子

    1975年、埼玉県生まれ。日本女子大学文学部史学科卒。01年よりサッカーの取材を開始し、03年ワールドユース(現・U-20W杯)UAE大会取材をきっかけにライターに転身。サッカーW杯4大会、夏季オリンピック3大会を現地取材。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフ在住。2019年に「内田篤人 悲痛と希望の3144日」(講談社)を出版

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