一度消えた東京五輪出場の道が復活!空手・篠原浩人の紆余曲折 | FRIDAYデジタル

一度消えた東京五輪出場の道が復活!空手・篠原浩人の紆余曲折

~本当に開催できるのか 東京五輪とコロナの狭間で揺れるエースたち ~ 第4回 篠原浩人

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東京五輪が終わったら空手を離れる意向の篠原浩人(左)にとって、五輪の開催に人生がかかっている(写真:共同通信社)

空手は東京五輪で初採用された競技だ。2024年に予定されているパリ五輪の追加競技には入らなかったため、2028年以降のことは未定ではあるものの、空手界にとっては東京が極めて貴重な五輪の機会となる。

ところが空手は、昨年の五輪開催延期の影響を受け、全競技中初めて選手選考のやり直しが決定した競技だ。空手の五輪出場権は、約2年間の国際大会を転戦し、その順位によるポイントの合算で争われていた。昨年3月に開催予定だった空手のワールドツアーの一つプレミアリーグ・ラバト大会(モロッコ)が日本勢にとって五輪を争う最後のチャンスだった。

だが新型コロナウイルスの影響でこの大会が中止となり、この大会前までの五輪ランキングにより男子67キロ級は佐合尚人、女子61キロ級は染谷真有美の五輪出場が確定した。ところが5月になり、WKF(世界空手連盟)はこれを白紙とし、中止となっていた予選大会を2021年春に再度行うと発表した。プレミアリーグ・ラバト大会前、僅差でポイントを争っていた篠原浩人、森口彩美に、五輪出場の可能性が復活したのだ。

ラバト大会での順位次第では十分に逆転の可能性があった篠原は、大会中止を告げられた昨年3月6日のことをこう振り返る。

「現地ラバトのホテルでしたね。一旦ロビーに集められて話があったんです、大会が中止だって。部屋に戻ったら、なんだか自分の空手人生が走馬灯のように浮かんできたんですよね」

当時、新型コロナの影響は日増しに大きくなってきていたため大会中止は致し方ないものだと理解はできた。だが、この時点で正式に発表はないものの、佐合のポイントを下回る自分が五輪切符を手にできる可能性は低いことはわかった。現実を受け入れようとすると、東京五輪で金メダル獲得を目指して戦ってきた4年間だけでなく、空手をはじめてからこの日までの記憶が頭の中を駆け巡った。

2015年8月、空手が五輪種目に決まる前に行われた公開ヒアリングで、デモンストレーションを行った篠原(左端)と荒賀龍太郎。右端は清水希容(写真:上下ともにアフロ)

選手団は日本に帰国、3月18日には佐合と染谷の代表決定が発表された。その6日後に東京五輪の延期が発表された。

五輪への道が絶たれ落胆する篠原を、周囲は奮い立たせようとした。

「その頃、もしかしたら再選考があるかもしれないとコーチから言われていたんです。でも僕は、一度決定しているのにくつがえることなんて絶対ないだろうと思ってたんですけどね」

ラバト大会では五輪出場権を争う当事者順位の入れ替わる可能性があった。その大会が中止になったのだから、一旦は代表を決めたものの選考会のやり直しがあるのではないか、とコーチらは希望を持っていた。

「半信半疑みたいな感じでしたけど、コーチに再選考の可能性があると言われてから毎朝、WKFのサイトを見て『どうなってんねやろ』って更新をずっと待っていました。母にも『(五輪)ちょっとあかんかったわ』っていう話をしたら、『何があるかわからへんから。絶対なんかあるから諦めるな』ってずっと言われてて。僕は『うーん』と思ってましたけどね」

難しいのは、仮に本当に五輪出場権がなくなったとしても調子を落とすわけにはいかないということだ。67キロ級で2番手につける篠原はオブザーバー選手という言わば控え選手として五輪に参加することになる。いつ“代打”のチャンスがきても良いように準備だけはしなくてはいけないが、チャンスが巡ってくる可能性は低い、辛い立場だ。

「僕は東京五輪で、67キロ級でぶっちぎりで金メダルを取る、っていう目標でやってきたんですよね。それがオブザーバー選手になると今度は、チャンスが来た時に自分がダメだったらチームに迷惑がかかる立場になります。だから、常に準備はしておかなくてはいけない。とはいえ、僕が出場選手やったら、五輪本番はたとえ怪我をしていたとしても、骨が折れてても、絶対出ると思うんですよ。そう考えたら、オブザーバーっていうポジションってどうしたらいいんやろって思ってしまって」

家の近所にある道場に通い体は動かすが、気持ちは入らない。ふわふわとした時間だけが過ぎた。

「夜とかもね、別に普通に眠れてはいたんですけどね……、シーンとした時になんか思うじゃないですか」

ふとしたときに、どうしてもやりきれない思いが襲ってきた。癒してくれたのは家族の存在だった。

「家族がいるのでね。子どもは無邪気にしてくれてるんで気持ちの切り替え、気分転換には助けられました。でも、これがひとりやったらもうやばかったですね」

男子67キロ級を争う篠原(左)と佐合尚人(写真:共同)

WKFから選考のやり直しが発表されたのは2ヶ月後、5月21日のことだった。この日からは一転、切り替えて21年春の選考会を目指すことになった。

「そのタイミングでやっと切り替えられました。発表がなかったらもうどうなってたか。気持ちも乗らなかったし」

五輪出場権獲得のチャンスが復活した以上、やるべきことは練習に集中することだけになった。

ところが、今度はコロナ禍なりの苦労が待っていた。普段は母校近畿大学を練習拠点にしていたが、在校生以外入校さえさせてもらえない期間が続いた。その後、一旦は時間制限つきで練習場を使えるようになったが、夏が過ぎ冬になり再び感染者が増えてくると再び大学が使えなくなった。それでも、出身の浪速高校や近所の道場で練習を積んだ。環境の変化こそあったが、一旦は可能性が消滅したことを考えれば大した問題ではなかった。

「僕はなくなったチャンスをもう一回もらっただけなので、やるしかないという感じです。でも、逆やったら(佐合の立場だったら)あのまま決定してくれたらと思ってたと思う。ちゃんと代表が決まれば日本代表として頑張ってほしいという気持ちはお互いあると思うんですけど、それが決まるまでは僕はちょっと何も言わんほうがいいかなと思って」 

五輪行きを争う佐合とは連絡をとりあってはいない。

今、目指すのはやり直しになった選考会そのものだ。今年4月9日から始まるプレミアリーグ・ラバト大会が出場権争いの最終舞台になる。決戦まで約1ヶ月強、最終調整に入ろうとしているところだ。

「1ヶ月前から4キロの減量に入りますが、今現在は空手の技術練習に集中しています。減量期は疲れやすく集中力も落ちがちなので、それまでにテーマとなる技術を高めていくんです。メンタル面は過去にもいろいろやりましたが、今はもう自分の組手で目の前の相手に集中する。それだけだと感じています」

現在31歳の篠原は、東京を競技人生の一区切りと考えている。指導者志向も今のところはなく、「べつの仕事をしてバリバリと稼ぐ人生を送りたい」そうだ。空手にとって現状最初で最後の五輪は、篠原にとっても最初で最後の五輪だ。だからこそそのチャンスを逃すことはできない。

「今は、オリンピックがあると信じて準備する。それしかないです」

まずは出場権獲得へ。全身全霊を込めて、決戦に臨む。

  • 取材・文了戒美子

    1975年、埼玉県生まれ。日本女子大学文学部史学科卒。01年よりサッカーの取材を開始し、03年ワールドユース(現・U-20W杯)UAE大会取材をきっかけにライターに転身。サッカーW杯4大会、夏季オリンピック3大会を現地取材。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフ在住。2019年に「内田篤人 悲痛と希望の3144日」(講談社)を出版

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