水商売で稼ぎネット難民20年…50代女性が見つけた「一筋の光」 | FRIDAYデジタル

水商売で稼ぎネット難民20年…50代女性が見つけた「一筋の光」

コロナ相談村に訪れた女性の告白

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取材に応じたメグさん(撮影:松元千枝)

新型コロナウイルス感染拡大により、多くの事業所が営業自粛や閉鎖に追い込まれ、生活に困窮する人が増えているため、昨年末から年始にかけて東京都内各所では相談会が実施された。

うち新宿区大久保公園の「年越し支援・コロナ被害相談村」に訪れた人の中で、女性は2割を占めた。20年もネットカフェでの生活を強いられていた女性の話を聞いた。

結婚を前提にした恋人がいた

「関西にいる時は鬱状態になっていたので、ちょっと生活に新しい空気を入れたいという気持ちから上京しました。その時、友人から3万円を借りましたが、夜行バスとパチンコ、タバコ銭と2晩ほどのネットカフェ宿泊費でほぼ消えました……」

メグさん(仮名)は関西ではデリヘル嬢をやっていた。1、2か月稼いだら関西に戻るつもりで、歌舞伎町の路上に立った。

ところが7年ぶりの東京は新規参入の若者が増えたために、一回の料金が3分の1に激減。50代になる自分には、さらに厳しかった。

関西に帰るどころではなくなり、ネットカフェ料金を稼ぐために雨でも台風の日でも路上に立った。具合が悪い時や熱がある時は、仕事を通して知り合った人たちに懇願して金を借りた。幸い、人には恵まれていた。相手は貸したお金の返金を期待しない人たち。助かった。

そんな中、新型コロナウイルスが蔓延し始めた。運良く、2020年6月にはお客のひとりがマンションを貸してくれることになったので、家賃と光熱費でおよそ8万円を稼げば毎月なんとか屋根のある自分の空間を確保することができた。

昨年10月くらいまでほぼ毎日「立ちんぼ」で働いて、時にはパチンコで気を紛らわせて、路上の女友達とホストクラブに遊びに行く余裕もあった。

ところが新型コロナが再び猛威をふるいはじめた11月頃から、どうにもこうにも行かなくなった。

「全然あかん。これはやばいわー、って。来てくれるお客さんにタバコ買ってもらったり。たまには家賃を助けてもらったりした」

メグさんは当時を振り返って話す。

今年の1月に入ってからは「このままじゃ、あかんやろな」とわかっていても、生活保護申請は相当ハードルが高いと周りから聞いていた。生活保護を申請すると更生施設に収容され、何カ月も観察されて初めて許可が下りる・・・そう言い伝えられていた。

なぜ水商売の世界に入り、鬱になってしまったのか

高校1年生の時にタバコを吸っていたところを見つかって停学。停学期間が終わってもゲームセンターに入り浸り、タバコを吸いながら遊んでいたところを補導されて退学となった。

半年くらいは嘘をついて学校に行くふりを続けたが、ついに同居していた祖母に見つかる。気を取り直して手に職をつけるために1年間洋裁学校に通った。学校にはいろんな人がいて、楽しかった。洋裁の仕事にも就き、有名ブランドで服も作った。

19歳になると派遣会社に登録し、地方にあるプラスチックやお菓子工場で数カ月単位で働いた。ところが、友人とともに、派遣元が中間搾取していたことを指摘したことで派遣切りに遭う。その後は、ファストフード店で正社員職を見つけ、結婚を前提にしていた恋人もできた。喜ぶのもつかの間、母親が、新居である狭いアパートに同居したいと言い張ったことで、婚約は破談。家を飛び出して水商売に足を染めた。

「それ以来、ずっとひとりーー」。

寂しそうにメグさんは、そう言った。

蓄えはあれど、ビジネスホテルの宿泊費と食費などで所持金は3カ月で底をついた。すでに親とは疎遠になっていた。帰れば、「(兄弟二人と同様)お前も金せびりに来てんのやろ」と言っていた母親もその再婚相手も、そのうち行方がわからなくなった。

デリバリーヘルス嬢の友人宅に転げこみ、デリヘルの電話番として働き始めたが、女の子が足りないと言われ、手っ取り早く自分もその仕事をするようになった。時としてチラシ貼り係が外で捕まり、警察からの手入れがありそうだと聞いて、慌てて事務所を撤退することもあった。しばらくデリヘル嬢のマンションに潜伏し、警察の捜査を交わしてはまた新居地を開くーー。

「そんな生活にもほとほと疲れて、だんだん惨めになっていった」

胆管結石で急遽手術が必要となり、入院中に成り行きで生活保護を申請することになった。しばらくは惨めだった生活を脱却したものの、生活保護受給者を「税金で食っている」として、知り合いでさえ白い目で見るような差別を経験し、次第に鬱状態になっていった。

年末年始に新宿・大久保公園で行われたコロナ相談村での経験から「より女性が足を運びやすい場」を作るために「女性による女性のための相談会実行委員会 」を発足。そのメンバーでもある筆者は3月3日に小池都知事に面会した(写真提供:松元千枝)

勇気をもって生活保護申請に踏み切ると…

2020年も終わる頃、いつもたむろしている新宿・歌舞伎町に「年越し支援・コロナ被害相談村」が開村した。同じネットカフェで生活している女友達が2人、相談に行くというので同行した。まさか自分も2度目の申請に踏み切るとは思ってもいなかった。この界隈では、生活保護の支給は更生施設で何カ月か観察された後に可否が決定されると伝達されているからだ。

「みんなびっくりしてる。そんな簡単に生活保護受けられたのかと。一カ月もしないうちに受給が決まったことにみんな驚いている」

メグさんは少し嬉しそうにそう言いながら、自分でも驚きを隠せないでいた。

せっかく保護を受けられることが決まった今は、30年ほど疎遠になっていた病院通いを始めた。婦人科に始まって、歯科、内科、整形外科など毎週のように検査や治療を受けている。

「(生活保護の申請をせずに)あのまま行っていたら、絶対に家賃を払えなくなって追い出されていたと思う。警察にも捕まっていたかもしれない。昨年、捕まった時には、遊びか生活のためかと聞かれた」

この生活はもう長い。側から見たら犯罪かもしれない。それでも生活のためならやるしかない。メグさんは続ける。

「聞かれた警察官には、他の仕事ができないから、こういう仕事をやっている。生活するためにやってるんですよ。ネット難民なんで、と言ってやった。いいイメージはないじゃないですか。でもこそこそしたくない。生活のために仕方がないから。それでも年末には、もう助けてもらうのも手かなと考えるようになった。こんなに早く決まったのはありがたい」

メグさんは、今やっと、次の日のことを考えても焦らなくなったと言う。その心の余裕が、また好きな洋裁をやってみようかという気持ちにさせる。

「住むところがあるのはやっぱり安心できる。20年近く水商売に染まっていたけれど、それで東京に来たおかげで、底辺から這い上がることができたのかなと思えるようになった」

3月13日と14日午前10時から午後5時(受付4時30分まで)までは、新宿・大久保公園で「女性による女性のための相談会」が開かれる。年末年始の「年越し支援・コロナ被害相談村」では、男性が多かったため、相談したくても公園に足を踏み入れることを躊躇したというメグさんのような女性がいた。

親や子どもや夫のニーズを優先し、「わきまえる」ことを求められる女性には、自分が抱える悩みや不安を相談することも、時に難しさがともなう。

女性による女性のための相談会」では、そうした女性たちがどんな些細なことでも話せるよう、専門性を持った女性の相談員やスタッフが対応する。同時に、身の回りの生活備品や食品なども無料提供する予定。相談会は、日本労働弁護団と日本労働弁護団女性労働PTが後援する。

  • 取材・文・写真松元千枝

    ジャーナリスト。人権や労働など社会的正義に関する問題を主に取材する。共著に『マスコミ・セクハラ白書』(文藝春秋)、『マンガでわかるブラック企業』(合同出版)など、共同翻訳には『ストする中国』(彩流社)があり、2021年1月に共同翻訳『世界を動かす変革の力——ブラック・ライブズ・マター共同代表からのメッセージ』(明石書店)を出版

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