25歳で上場したリブセンス社長は「ニヤニヤしている草食系」 | FRIDAYデジタル

25歳で上場したリブセンス社長は「ニヤニヤしている草食系」

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「社長の仕事場」を見たい!第4回 取材・文: 夏目幸明 (経済ジャーナリスト)

オフィスでの村上。常に笑顔なので、よく友人から「いつもニヤニヤしているね」とからかわれるという
オフィスでの村上。常に笑顔なので、よく友人から「いつもニヤニヤしているね」とからかわれるという

「今までどんな恋人がいたんですか?」

そんな質問を投げかけると、村上太一(31)は、はにかみながら答える。

「年上が多かったですね。仕事優先でいさせてくれる人が良いので」

求人サイトなどを手掛ける『リブセンス』を大学時代に起業。史上最年少の25歳で東証1部上場を果たした若き社長は、常に笑顔を絶やさない。親しみやすい反面、一見、誰に対しても”ニヤニヤ”しているように思えてしまう。

「IT業界は『100人の凡人より、一人の天才のアイデアが状況を変える』と言われる世界です。だから、規則を作って皆で同じことをするよりもフランクに話し合える雰囲気作りを重視しています」

その言葉通り、オフィスの雰囲気は自由闊達そのもの。机の上には菓子が並べられ、各所には、自由に移動できるボール形のスツールが転がっている。仕事場ながら、サークル活動で使われる大学のラウンジのような活気があった。

『リブセンス』は’06年に起業するや、アルバイト求人サイト「マッハバイト(当時は『ジョブセンス』)」が数年で日本最大級の求人サイトに成長。現在は転職クチコミサイト「転職会議」も立ち上げるなど貪欲に進化を続けている。

村上自身も貪欲で、起業直後は体を壊してもおかしくないほどの働き方をした。

「『サイバーエージェント』の藤田晋(すすむ)社長が、著書で『週に110時間働く』と書いていたので、私は120時間働きました」

働き方こそ貪欲だが、私生活で贅沢をするわけではない。上場後もしばらく家賃約10万円のマンションで暮らし、現在も、ランチはコンビニや近所の中華料理屋で済ませるという。

貪欲であり無欲。矛盾した人格が共存しているように見える村上だが、本当の彼は、どんな人間なのだろうか?

経営者だった祖父の影響

村上が「将来、経営者になりたい」と考えたのは、なんと小学生の時だった。

「祖父は全国1位の営業成績を取るほど優秀な証券マンでした(父は建設会社のサラリーマン)。そんな彼が、突然退職して画廊の経営を始めたんです」

祖父は以前よりイキイキして、「病室に絵が1枚あるだけでこんなに雰囲気が良くなるんだぞ」と嬉しそうに口にした。

「祖父にとって、『好きなこと』と『世の中に求められていること』を両立できるものが、アートだったんです。画廊の経営を楽しむ彼の姿を見て、私も『好きなことを仕事にして人々を幸せにしたい。そのために経営者になりたい』と夢見るようになりました」

忙しい学生時代を送りながらも、村上がこの夢を忘れることはなかった。早稲田大学高等学院在学時には、「起業の練習になる」と文化祭の副委員長を務め、会場設営、予算管理など、仲間にそれぞれ得意そうな仕事を任せた。そんなある日、彼はある印象的な光景に出会う。

「繁華街でバイト募集の貼り紙を見たんです。それを見て、『既存の求人媒体だと掲載料金が高いから、壁や電柱に貼るしかないのかな』と感じました」

早稲田大進学後も、村上はこのときの些細な印象を覚えていた。さらに、彼はその記憶から着想を得てビジネスプランコンテストで優勝を果たす。提案したのは「求人サイトの立ち上げ」。特徴は、アルバイトの応募があって初めて広告料金が発生する成功報酬型にしたこと。これなら、募集する側のリスクは小さくなる。

「『人々を幸せにする事業がやりたい』。そういう明確な思いを持っていたから、何気ない求人広告の貼り紙が、私にとって特別な意味を持ったんだと思います」

優勝した村上は、大学の一室をオフィスとして借りられることになった。そして’06年、彼は念願だった起業を果たす。

友との決別、そして再起

しかし、物事はそう順調に進まなかった。起業して数ヵ月後、高校生の頃から「起業する時は一緒に」と語り合っていた仲間が、会社を抜けていったのだ。

「彼に『一対一で話があるから』と呼び出され、『辞めたい』と告げられたんです。海外旅行とか、学生らしいことをしたかったようです。ずっと一緒にやっていこうと思っていた大切な仲間でした。だから、『辞めないでくれ。悪いところは直すから』と泣きついたり、感情的になって『責任取れよ!』と怒ったりもしました。でも、彼の決意は変わりませんでした」

普段にこやかな村上が、このときだけは感情をむき出しにしたという。仲間が抜け、彼は一人で泣いた。当時、営業に行けば「学生らしいアイデアだね」とあしらわれ、睡眠時間もほとんどなかった。さらに月々の売り上げは数千円。仲間の士気は下がり、村上も『会社経営を辞めてしまおうか』とまで考えたという。

だが、彼はあきらめなかった。まず変えたのは、求人サイトの仕組みだ。広告掲載料金を徴収するタイミングを、アルバイトの応募が入った段階から、なんと採用が決まった段階に変更。採用決定まで自社に利益が入らないこのシステムは、ハイリスクでまさに前代未聞。だがこれにより、広告出稿者側のリスクはなくなった。さらに、採用が決まった応募者には自社の売り上げからお祝い金を出すことに。自社にとって不利な条件のもとで、徹底的に広告出稿者と応募者の利益を追求するという賭けに出た。

すると、出稿者と応募者は劇的に増加。売り上げも、初年度は約500万円だったが、昨年度は約65億円を記録した。

変化の激しいIT業界で、村上は今も、成長のための”事業磨き”を怠らない。

「人材ビジネスは、IT技術の発達により生き残りが難しくなりました。『どんなアルバイトがあって、どんな求職者がいるのか』という情報は、今やインターネットで誰でも見つけられますから。そこで、私たちは情報に付加価値を付けるようにしています。『マッハバイト』は、どんな年代・性別の応募者が、どんな企業に応募して、最終的にどの職場に採用されているのか、というデータをすべて記録し、応募者に役立ててもらえる形で提供しています。今後もこうしたデータの解析に積極的に取り組み、他の求人サイトとの差別化を図るつもりです」

「経営者」というと、ギラギラした人物を想像しがちだ。しかし村上は、常に笑顔でかつ無欲に見える。だが、それが彼の全てではない。穏やかな表情の奥には、「悩んでいるよりは先に進もう」という合理的で情熱的な一面が潜んでいる。

「これからは、日本に留まらず、世界に通用するものを作っていきたいです」

決して立ち止まらないこと。それが村上の「LIVE SENSE(生きる意味)」なのだ。(文中敬称略)

オープンスペースでも作業ができるようになっている。一般社員のほか、村上もよくこの場所を使用する
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画廊を営んでいた祖父と小学生時代の村上。村上はこの頃から既に経営者を目指していた
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大学1年時、ビジネスプランコンテストで優勝。このときの案が、後に自社の求人サイトの雛形となる
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村上が働く社長室は社員たちの部屋と隣接しており、彼らと密にコミュニケーションが取れるという
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本誌未掲載カット
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  • 取材・文夏目幸明(経済ジャーナリスト)写真會田 園(1~2、5枚目写真)、リブセンス提供(3~4枚目)

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