初の外国人力士が創設…東関部屋「閉鎖危機」の特殊事情

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移転した東関部屋の前でポーズをとる高見山。18年2月撮影(画像:共同通信社)

初の外国人力士として「ジェシー」の愛称で親しまれた。ちゃんこなどの食事や集団生活の相撲文化に馴染めず、母国アメリカに帰ろうと考えたのは一度だけではない。それでも幕内最長の97場所(当時)に出場して、あげた白星は683個。東の関脇にまで昇進し、72年7月場所で初優勝した際にはリチャード・ニクソン大統領から祝電が届いたーー。

そんな愛すべき高見山(76)が、86年2月に創設したのが東関部屋だ。93年3月場所で、所属する同じハワイ出身の曙が横綱に昇進。11回の優勝をとげ、部屋の名前を一躍有名にした。そんな名門部屋が、36年の歴史に幕を閉じようとしている。何が起きているのだろうか。

「発端は、19年12月に先代の東関親方(元前頭・潮丸)が41歳の若さで急死したことです。突然の事態に、部屋は一時同じ高砂一門の八角部屋が預かることになります。後任の師匠選びは難航しました。しばらくは、正式な師匠不在で所属力士は稽古をしていたんです。

師匠の第一候補は、『ロボコップ』の愛称で親しまれ部屋付きだった現親方の元小結・高見盛(44)でした。しかし関係者が説得しても、なかなか首を縦に振りません。親方は周囲にあまり気を遣うタイプではなく、器用でもない。本人もそれを自覚しています。翌20年1月に渋々部屋を継承しましたが、精神的な負担を理由に条件を出したんです。『任期は1年ほど』と。部屋の運営は実質、優秀なマネージャーが仕切っていました」(相撲協会関係者)

転機となった移転

期限の1年の間に高砂一門関係者が後継者を探したが、なかなか話がまとまらない。

「結局1年の限定期間を終えてしまい、今年3月場所後の部屋閉鎖がほぼ決定的になったんです。本来なら自分の部屋を持てるのですから、立候補者がいてもおかしくない。現親方や次の候補者が継承に難色を示した理由の一つに、部屋の特殊な事情があります」(同前)

東関部屋の特殊事情とは、何だろうか。協会関係者が続ける。

「東関部屋は、もともと東京・東駒形にありました。両国国技館の比較的近くです。先代が部屋を引き継ぐと移転を計画。新たな場所は、東京の葛飾区が地域や観光の活性化を狙い誘致した柴又でした。土地は区に、ある程度のカネを払って借りる。一方、建物の所有権は先代の遺族にあります。現親方も、遺族に家賃を払っていました。

この複雑さが、現親方も候補者も継承に二の足を踏む原因です。遺族に部屋の所有権があると、トラブルになった例は過去にたくさんあるんです。例えば11年11月に急死した鳴戸親方(元横綱・隆の里)の遺族は、部屋の土地や建物を所有していました。部屋の継承が承認されていたのは、元前頭・隆の鶴です。ただ遺族は家賃を要求するだけでなく、部屋の運営にも口を出してきた。『先代ならそんな指導はしない』と。嫌気がさし独立した隆の鶴が作ったのが、田子ノ浦部屋です。

相撲界では、こうした遺族とのトラブルは多数ある。現親方や候補者が、部屋の存続に及び腰なのも、ある程度は納得できます」(スポーツ紙担当記者)

渦中の現親方は、3月9日付けの日刊スポーツの取材にこう答えている。

〈自分がどうこう言っても悪いほうにとられてしまう。ノーコメントです〉

一斉を風靡した高見山の部屋の消滅は、どうやら避けられない状況のようだ。すでに所属力士に対しては、同じ高砂一門の八角部屋へ移籍準備が進められている。

  • 写真共同通信社

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