死者数が膨れ上がる流血のミャンマー「緊迫の現場写真」
新聞テレビが報じない戦場化した街の真実 平和的抗議活動が一転、激しさを増したのはなぜなのか
仰向けに倒れた男性の左胸部には銃創が一つ、パンツは真っ赤な血で染まっていた――。ミャンマーの最大都市・ヤンゴンで遺体の写真(2枚目)を撮影したカメラマンのチョー氏(仮名・30代)が説明する。チョー氏は普段は実名で活動しているが、国軍に拘束される恐れがあるため匿名で取材に応じた。
「彼は国軍のクーデターに対する抗議デモに参加して撃たれたんです。どうみても実弾です。ところが国軍は、『軍を貶(おとし)めるためにデモ参加者が殺した』と主張しています。理不尽にもほどがある」
国軍・警察のデモ隊への弾圧により、ミャンマー全土での死者数は少なくとも56人に上る(9日現在)。弾圧が本格的に強まったのは2月28日。各地で銃撃が起き、この日だけで18人が死亡した。クーデター発生から1ヵ月が経過しても市民の抵抗が収まらず、国軍が焦りを募(つの)らせたためとみられる。3月3日には38人が死亡し、一日で最大の死者数となった。そのうちの一人が写真の被害者で、まだ25歳という若さだった。
「僕の家の近くにある噛(か)みたばこ屋の息子で、よく挨拶をしていました。お店は今、閉まっています。近所の人なので、明日は我が身だと思いました」
そう語るチョー氏はクーデター以降、自警団のメンバーとしても活動している。国軍による恩赦で2月半ば、囚人2万人以上が街に放たれ、各地で放火や盗みをしているとの不安が広まったためだ。
「不審者を捕まえ羽交い締めにして持ち物検査をしたところ、ナイフが出てきた。問い詰めると、『国軍側に一日当たり20万チャット(日本円で約1万5400円)を前払いされ、犯罪を起こすよう指示された』と白状しました」
自警団が事情聴取を終えると、不審者の頭をバリカンで丸刈りにし、眉毛も剃(そ)る。敵対する警察には突き出せないため、二度と悪さができないよう不格好にし、その姿をスマホで撮影して釈放する。
国軍も自警団への攻勢を強めている。夜間に民家に押しかけ、自警団を相次いで拘束しているのだ。大学や病院なども占拠し始めており、すでに1700人以上のデモ参加者らが拘束されている。
夜になるとヤンゴン市内には銃声も轟くようになった。チョー氏の自宅周辺も静寂を切り裂く発砲音が響き、そのたびに真っ暗闇の街が光るという。
「威嚇(いかく)射撃だと思います。銃声は30分以上続きました。住民たちから『明かりを消して、物音を立てるな』と言われ、みんな怯(おび)えています」
3月27日には「国軍記念日」が控えている。それまでにデモ隊の鎮圧を成し遂げたい国軍の出方次第では、さらなる流血の事態を招く恐れがある。
『FRIDAY』2021年3月26日・4月2日号より
- 取材・文:水谷竹秀
’75年、三重県生まれ。『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』。ウクライナ戦争など世界各地で取材活動を行う